第34話 治す場所は、帰る場所になります
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仕立て屋ミリアに服を依頼してから3日が経過した。
『屋外療養区画』には、朝日を浴びて活気ある光景が広がっていた。
ウィンドウルフのコロが、弾むように土を蹴って三歩駆け、律儀に立ち止まってこちらを振り返る。フォレストキャットのリーフも、自傷することなく、土の匂いを楽しんでいた。その首には『お皿』は付けられていなかった。
そして、隔離処置室からリハビリに参加し始めたハニーベアだ。巨体をゆすりながら、ゆっくりと、しかし確実に自らの足で大地を踏みしめていた。
俺はその穏やかな光景を眺めながら、一つの重い現実に直面していた。
(――彼らの鼻腔から瘴気は消えた。だが、今ここで彼らを野生へ戻せばどうなる?)
森は依然として黒い瘴気に沈んでいる。彼らを放流することは、再発が確実な毒の海へ突き落とすのと同じだった。
「……リコ。俺は、あの子たちを森へ戻すことはできないと思う」
隣で掃除をしていたリコが、手を止めて俺を見た。
「治す場所は、帰る場所になることもある……前にワタルが言った通りにするのだ」
「ああ。『戻れない子の居場所』を作る。……そのためには、村長の許可が必要だ」
***
昼前、俺とリコは村長ゴランの屋敷を訪ねた。
「ワタル先生、話が違うではないか! 完治すれば森へ戻すという条件で、あそこを貸したのだぞ!」
ゴランの声が居間に響いた。ミーナの母セラが、ティーカップを持つ手を止める。
彼は行政責任者として、人間を傷つけた経験のある大型の魔物を村の近くに留め置くことに、強い拒絶を示した。
「村長、これは村のためでもあるんです」
「村のためじゃと?」
俺は努めて冷静に、論理を組み立てた。
「森の瘴気が消えない限り、戻せば必ず再発します。再発して狂暴化した個体が再び村人を襲うリスクを考えれば、私の管理下に置き、その行動を把握し続けることこそが、村の安全保障にとって最適解なんです」
沈黙が流れる。
「お茶をどうぞ」
セラがテーブルにティーカップを置いた。
ゴランが苦虫を噛み潰したような顔でティーカップを取ったその時、部屋の隅にいた孫娘のミーナが口を開いた。
「おじいちゃんだって、リコさんに『少しだけなら』ってちゃんと許可をもらってから、こっそりコロに干し肉をあげていたじゃない。会えなくなったら、おじいちゃんが一番寂しいんでしょ?」
「な、ななな……! ミーナ、それは……!」
赤面して狼狽するゴラン。セラはミーナを部屋から連れて出ていった。
彼は俺の視線を避けるように咳払いをすると、ようやく重い口を開いた。
「……村の外で勝手に再発されるよりは、把握できる場所に置く方がまだマシだ、というわけだな」
ゴランは険しい表情のまま、しばらく黙って考え込んでいた。
「……わかった。最後まで面倒を見る、というやつだったな。そういう形で、あやつらの定住を許可しよう」
「ありがとうございます」
「ただし、施設を拡張する際は必ず事前に報告しろ。いいな!」
「わかりました」
俺とリコはゴランに頭を下げて外に出た。
***
ゴランの許可を得たその足で、俺たちは仕立て屋ミリアの店へ向かった。
店に入ると、ミリアが完成したばかりの服をカウンターに並べて待っていた。
「待たせたね。ワタル先生のは清潔な深緑のスクラブだ。……そして嬢ちゃん、あんたのはこれだよ」
奥で着替えを済ませて出てきたリコを見て、俺は思わず息を呑んだ。
生成りの丸襟ブラウスに、芽吹いたばかりの草木のような若草色のジャンパースカート。前面には温かみのある木のボタンが並んでいる。
何より驚いたのは、その機能性だった。
襟ぐりは耳や首の動きを邪魔しないよう低く柔らかく作られ、背中の肩甲骨周りには、四つん這いに近い姿勢で患者を覗き込んでも突っ張らないゆとりがある。
さらに、腰の後ろは尻尾の付け根に合わせて「逆V字」に開いており、リコが嬉しそうに尻尾を振っても、布が引っ張られることがなかった。
「……すごく、動きやすいのだ。ワタル、見て! 耳も尻尾も、どこも痛くない!」
ぴょんと跳ね、くるりと回るリコ。本来の輝きを取り戻した彼女の姿を見て、俺は確信していた。
(体を服に合わせるんじゃない。服を体に合わせる。……それは、患者を無理に森へ戻すのではなく、患者に合った環境を作るという俺たちのやり方と同じだ)
***
その夜。
保護区に戻った俺たちの食卓には、農家マルタから今日届いたばかりの、瑞々しい野菜を使った温かいスープとサラダが並んでいた。
「マルタさんの野菜が入るようになってから、食事の彩りも栄養も格段に良くなった。エーリスさんの魔力回復にも、これなら十分なのだ」
リコが満足げに頷き、シャキシャキとした食感の野菜を口にする。
干し肉と卵だけだった以前の食生活から、確実な物流を確保したことで、俺たちの『生活』は今、確かな厚みを持ち始めていた。
「……リコ、明日からはドッグランの拡張工事を始めよう。あの子たちが一生を過ごす場所だ。もっと広く、もっと安全にしないとな」
「ええ。村長さんにも釘を刺されたし、きっちり報告書をまとめてから取りかかるのだ」
【施設管理カルテ】
運用体制:傷病個体の野生復帰の可否を再評価。瘴気環境下での再発リスクが高い個体(コロ、リーフ、ハニー)について、保護区内での終生飼養方針を決定。
区画拡張:屋外療養区画の拡張方針を決定。詳細計画は村長ゴランへ事前報告のうえ実施。
物資調達:農家マルタによる野菜供給体制が安定稼働。スタッフの栄養状態および生活環境の向上を確認。
人的管理:仕立て屋ミリア製の身体適合服を導入。スタッフの作業効率および尊厳の維持を確認。
特記事項:治療の完結を「放流」ではなく、「再発しない生活環境の確保」として再定義する。
次工程:ドッグランの拡張工事計画、および新建物の内装整備。
その会話を、闇の中から聞いている者がいた。観察官、ノクシアだった。
***
私は暗闇の中で、静かに震えていた。
ワタルたちは、ただ目の前の命を救おうとしているだけだ。だが、その結果として生まれた生活圏は、食糧供給の線を取り込み、患者を留める場所を広げ、魔王軍の支配の象徴である瘴気の領域を、少しずつ押し返し始めている。
(この場所は、着実に広がっている……。瘴気の領域を侵食する、白き『聖域』として)
治療のための拡張。しかし魔王軍から見れば、それは支配領域の後退を意味する。
私は報告書を握りしめたまま、この組織がはらむ真の脅威を、まだ文字にできずにいた。
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