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魔物は討伐しません、診察します〜転生獣医のもふもふサファリパーク開拓記〜  作者: あおにし
第2部 夜魔族ノクシア

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第33話 診療所には、身だしなみも必要です

いつも応援ありがとうございます!お楽しみください!

隔離処置室に据えられた『高濃度浄化液培養槽』が稼働を始めて、丸一日が経過した。俺は早朝の静寂の中で、試作機の前に立ち、意識を集中させた。


(――『絶対診察眼』)


透過図に映し出されたタンクの内部では、プルたちの浄化成分が魔力共鳴によって理想的な濃度まで凝縮されていた。水全体が、プル本来の澄み渡るような青い輝きを放っている。


「よし……成功だ」


これがあれば、プルやプルツーに毎回浄化成分を頼る負担は、大きく減らせる。この「種火」を2000リットルタンクへ少量移すだけで、大量の清浄水を安定して供給できる。排水の密閉受け槽に入れることで排水の浄化も可能になる。清浄水を回す体制が整ったのだ。


俺はそのまま入院患者たちの様子を見に、屋外療養区画(ドッグラン)へ向かった。  


コロとリーフは、それぞれの朝食を食べ終え、ふかふかの土の上で穏やかに過ごしていた。


そして、隔離処置室のハニーだ。


鼻腔を『絶対診察眼』で透過すると、数日前まで組織を侵食していたどろりとした黒い影は大きく薄まり、ところどころに健康な粘膜の再生が見え始めていた。


「ハニー、急性期の処置はこれで一区切りだ。呼吸音もずいぶんきれいになったな」


これまでは処置台に固定されていたが、明日からはあの子たちと同じように、ドッグランでの運動療法(リハビリ)に進めるだろう。


着実に「命」が元の形に戻っていく手応えがあった。


***


「あら、ワタルさん。ここからの眺めも素晴らしいですわね」


午後の回診の合間、新築棟の建築現場を視察していたエーリスが、俺を見つけて微笑んだ。


石工棟梁のロッカが進める新棟は、一階が診察室と病室、二階が居住区という本格的な二階建ての骨組みが出来上がっていた。


「ええ。村長が建築を認めてくれたおかげです」


「ですが、ワタルさん」


エーリスがふと真剣な顔になり、俺の胸元をじっと見つめた。


「身なりについても、少しお考えになった方がよろしいかと。……そのスクラブ(術衣)、汚れもひどいですし、あちこち綻(ほころ)んでおりますわよ」


言われて自分の服を見下ろす。転生してからずっと着続けている緑色のスクラブは、度重なる往診とハニーの処置ですっかりくたくたになり、落ちない汚れが染み付いていた。


「医療従事者は患者やその家族に安心感を与える身だしなみも重要です。あまりに自分を疎かにするのは、プロとして感心しませんわ」


エーリスのプロ意識に基づいた苦言に、俺は返す言葉もなかった。どこで服を調達できるか尋ねると、彼女は村のギルドで相談することを勧めてくれた。


***


俺とリコは、さっそく村の冒険者ギルドへと足を運んだ。


ギルドの隅では、モルガナが小柄な女性に木剣の足運びを教えていた。


「サラだよ。冒険者レオンの妹さ。兄より筋がいい」


サラは短く俺たちに頭を下げると、すぐにまた鋭い踏み込みで修行に戻った。


将来が楽しみな後ろ姿を見送った後、モルガナは俺たちに腕利きの仕立て屋を紹介してくれた。


***


モルガナに紹介された家を訪ねると、足踏み式の縫製機が規則正しい音を立てていた。


店主のミリアは、三十代後半の、いかにも職人らしい鋭い眼光を持つ女性だった。


「新しい術衣を作ってほしい? ああ、構わないよ。まずは採寸だ」


ミリアは手際よく俺の寸法を測っていく。すると、彼女の視線が俺の背後に控えていたリコに向けられた。


「あんた、その服。人間用を無理やり詰め直して着てるだろ。耳や尻尾の付け根が引きつれて、動きを制限してるじゃないか」


「……でも、私は今の服でも動けるのだ。予算も限られてるし……」


リコが耳を伏せて小声で答えた。彼女はこれまで、俺や患者のこと、そして保護区の家計を優先して、自分の不便を常に後回しにしてきたのだ。


「動けることと、合っていることは違うよ」


ミリアはリコの尻尾の付け根には触れず、ただ服の布が不自然に寄っている部分を指差して言った。


「いいかい、嬢ちゃん。服は体に合わせるものだ。体を服に合わせるんじゃない」


その言葉は、リコのこれまでの「我慢」を優しく救い上げるように響いた。


「獣人用の型紙は取ったことがないけれど、サイズを合わせて作るというのは同じさ。……応急の一着なら三日後。ちゃんとした替えは、その後に作ってやるよ」


ミリアの力強い言葉に、リコは驚いたように目を見開いた後、少しだけ頬を赤らめて小さく頷いた。尻尾が、服の中で小さく揺れた。


***


保護区に戻ると、建築現場を指揮していたロッカが汗を拭いながら俺を呼び止めた。


「ワタル先生、相談がある。あの巨大タンク、6時間で2000リットルも水が作れるんだろ?」


「ええ。今のところ、供給量にはかなりの余力があります」


「なら、新築棟に『浴室』を作らないかい。泥にまみれて処置するあんたらの衛生管理にもいいし、将来は魔物のケアにも使えるだろう?」


「……浴室、ですか」


衛生は医療の根幹だ。スタッフの清潔を保ち、疲労を回復させることは、診療所の維持に直結する。


「お願いします、ロッカさん。……今の水量なら、運用に組み込めると思います」


その夜。夕食を囲みながら、俺たちは新調する服や、設計に加わった浴室の話で盛り上がっていた。その会話を闇の中で聞いている者がいたことに俺は気付いていなかった。


【施設管理カルテ】

浄化インフラ:高濃度浄化液培養槽の試験運用を開始。24時間後、浄化成分の高濃度化を確認。

施設改修:新築棟への浴室設置を追加設計。処置後の洗浄、スタッフの衛生管理、将来的な温浴治療への転用を検討。

人的管理:スタッフの服装改善による信頼性向上、およびリコの身体適合服による作業効率化を図る。仕立て屋ミリアを衣服管理の協力者として受理。

患者経過:ハニーベアの急性処置フェーズを完了。次工程より運動療法、環境順化へ移行。

特記事項:診療所の維持には、働く者の生活環境と尊厳の維持も不可欠である。


***


リコとワタルの会話を盗み聞きながら、私は夜の闇に浮かぶ「聖域」を見つめていた。


(水、食料、衣服、そして浴室……)


それらは戦場で奪い合うものではなく、この拠点の中で一つずつ丁寧に積み上げられていくものだった。


(この場所は、単なる石の壁だけで守られているのではない……)


私は、心臓の鼓動が早まるのを感じた。


この拠点は、石ではなく、そこにいる者を疲弊させず、病ませず、逃げ出させない「暮らし」そのもので、見えない壁を築いているのだ。


私は報告書に書き留めるべき言葉を見失い、ただその光景に圧倒されていた。


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