第27話 治すための部屋を作ります
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古い家畜小屋に、早朝から重低音の軋み音が響いていた。
「……ッ、危ない!」
俺は反射的に、ハニーベアの巨体から飛び退いた。
エーリスの魔法で眠っているはずのハニーが、苦しげに寝返りを打っただけで、俺が間に合わせに作った木製の柵が悲鳴を上げ、粉々に砕け散ったのだ。
大型魔物の重量と筋力は、もはや個人が片手間に組んだ設備で制御できる域を完全に超えている。
ふと、小屋の裏手に広がる二重柵のドッグランへ目をやる。
そこでは、リハビリ中のコロとリーフが、プルツーが維持する澄んだ空気の中で穏やかに過ごしていた。
コロの右後肢は三歩走るごとの休息を厳守させることで、以前よりも確かな筋肉を取り戻し、足取りも安定している。
リーフもまた自傷を完全に止め、土の匂いを楽しむ余裕が出ていた。
この「確実に良くなっている日常」こそが、今の保護区の成果だ。だが今、その平穏が足元から崩れようとしていた。
ハニーベアの鼻腔からは、絶え間なく瘴気混じりの膿が溢れ出している。小屋の空気を守るはずのプルが、その膿を直接浄化するために患部につきっきりになっているが、それでも処理が追いつかない。
いつもなら弾むように返ってくる「ぷるるっ」という声も、今朝は水の底で潰れたように弱い。透明な体の奥には、瘴気を吸った灰色の筋が細く残っていた。
最大の問題は、この処理でプルが疲弊し、保護区の清涼な空気を維持するための「余力」が完全に消失していることだ。
もしプルが力尽きれば、次に外から強力な汚染が押し寄せたとき、この保護区を守る手立てがなくなってしまう。
「プルの献身」という不安定な支え一本に頼る段階は、ここで終わりにしなければならない。
「リコ、俺はガルドさんのところへ行く。誰か一人の根性に頼る治療は、治療じゃない。ここで終わりにするんだ」
俺は村のガルドの工房へと走った。
「ガルドさん、頼みがあります。あのミノタウロスの時の知見を、今度は施設として実装したいんです。閉じ込めるためではなく、安全に診るための隔離処置室を造りたい」
ガルドは即座に意図を理解した。
「なるほど、力でねじ伏せるんじゃなく、怪我をさせずに保定して、あんたらもあいつも安全な位置に置くってわけだな」
***
それからの数日間、古い家畜小屋は本格的な「工事現場」と化した。その間、エーリスは人間の治療の合間を縫い、ハニーを完全に眠らせるのではなく、痛みと興奮だけを抑える浅い鎮静を短時間ずつ重ねてくれた。
石工のロッカが、ハニーの重さに耐える石の処置台と、膿を一滴も土に漏らさない密閉排水路を作り上げた。徹夜明けの目を赤くしながら、それでも石の継ぎ目を指でなぞり、漏れがないことを確かめていた。
「処置台と排水路はできた。あんたたちの土は一秒たりとも汚させないよ」
その石床に、ガルドが特注の鉄格子と、ミノタウロスの治療で培った頑丈な保定用アンカーを打ち込み、物理的な「隔離処置室」が形を成した。
エーリスが浅い鎮静を維持し、リコが呼吸と耳の動きを見張る。ロッカの弟子たちが石床の上に敷いた丸太を抜き、ガルドが革帯を一本ずつアンカーに通していく。
ハニーの前肢と胴体を傷つけない位置で支え、ようやく隔離処置室の中央に体を収めた。
「まずはよし。皆さん、ありがとうございました」
「これで、『強い魔力鎮静』をかけ続けなくても済みそうですわね。もちろん、処置の時にはわたくしがつきますけれど」
エーリスが胸をなでおろした。エーリスにもハニーにつきっきりになってもらうことが多かった。
「エーリスさん。何度もここまで来てもらって、本当にありがとうございます」
「いえ。これはわたくしのやるべきことですから。でも、今後の治療として、今の給水状況だとどうにもなりませんね」
エーリスはハニーの膿を見ながら言った。
石と鉄の「隔離処置室」が完成したところで、今の『サーバーくん一号』の精製量では、巨体を洗うには数分で底をつく。
何より、大量の水を流せば排水・浄化が追いつかず、小屋全体に汚染が広がってしまう。そうなのだ。器ができても「中身」となる水が足りない。
さらに、今の少しずつ水を落として濾す滴下式フィルターでは流量を増やせばすぐに目詰まりを起こす。井戸を手で漕ぎ続ける重労働も、もう限界だった。
「困りましたわね」
悩む俺たちを見て、ガルドが言った。
「まずは、問題を切り分けようぜ。井戸から水を汲む作業と、浄化水を作る作業は別だ」
「えっ?」
「井戸から水を汲む作業については、タンクに自動で直接汲み上げられるようなシステムを作ればいい」
「そんなことができるんですか?」
「井戸とタンクを密閉した管でつなぐ。タンクの中の薄い金属板を一定の拍で震わせ、圧を下げて水を吸い上げる。戻る時は逆止弁で井戸側へ逃がさねえ。水は一方向に進む」
「つまり、タンクに肺を持たせるんですね」
「そういうことだ。水を汲む腕の代わりに、タンク自身に呼吸させる」
「管と弁の隙間を、わたくしの『組織安定化』で固定すれば、気密は保てますわ。圧が逃げなければ、水は上がります」
だが、話を聞いていたリコが眉を寄せた。
「でも、ワタル。水を自動で汲み上げられるようになっても、それを浄化することはできないのだ」
「そうなんだよな。プルやプルツーの膜も限られているし、これ以上負担をかけられない。マスクのフィルターも継続して作らなきゃならないし、プルたちの浄化成分を、全部こっちに回すわけにはいかない。」
みんな黙った。水を汲み上げられても、浄化できなければ意味がない。
ハニーの鼻を洗う水には、普通の井戸水ではなく、瘴気を抑えられる清浄水が必要なのだ。
【施設管理カルテ】
運用実績:大型魔物用隔離処置室を新設。石の処置台、密閉排水路、鉄格子、保定用アンカーの設置を完了。
患者状況:ハニーベア……隔離処置室へ収容。前肢および胴体を革帯で支持し、エーリスの浅い魔力鎮静下で管理中。
課題:清浄水の供給量不足……現行の『サーバーくん一号』では鼻腔洗浄および処置室洗浄に必要な水量を確保できない。
次工程:井戸水の自動揚水機構、清浄水の大量精製方式、排水浄化設備をそれぞれ検討する。
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