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魔物は討伐しません、診察します〜転生獣医のもふもふサファリパーク開拓記〜  作者: あおにし
第2部 夜魔族ノクシア

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第25話 治すには水も台も足りません

いつも応援ありがとうございます!お楽しみください!

保護区の門の内側には、スライムの働きで清浄な空気が満ちていた。


だが、それは私の肺にはまだ慣れない、あまりにも毒気の薄い「白い聖域」だった。


その静寂を、担架に乗せられたハニーベアの苦しげな呼吸と、場違いな怒号が切り裂いた。


「右だ! いや、もっと左に振れ!」


「無理です親方、耳が柱に当たっちまう!」


石工棟梁ロッカの弟子たちが、担架を抱えて悲鳴を上げている。家畜小屋の入り口で、ハニーベアの立派なお尻が文字通り「つかえて」いたのだ。


「……お尻を少し圧縮して。角度を30度傾けてスライドさせてください」


管理者ワタルは、まるで難手術の執刀指示のような真剣な面持ちで「搬送角度」を命じている。


助手のリコが、「そんなことより、柱を傷つけないようにするのだ!」とハラハラしながら見守る中、数分間の格闘の末――ポンッ、という間の抜けた音と共にハニーベアが室内へと収容された。


だが、収容された瞬間に、もともと広くない小屋の床は、ハニーベアの丸い体でほとんど埋まってしまった。


ワタルは即座に既存患者の配置転換を命じる。


「リコ、コロとリーフをドッグランへ。ハニーはこのケージには入り切らないし、俺たちの踏み場もなくなる」


リコが手際よく既存患者を避難させる。


その手際のよい配置転換を横目に、ワタルはハニーベアの鼻腔をスキャンし、険しい顔で首を振った。


「……今の設備じゃ、手が出せない。水も、器も、床も……全部足りないんだ」


ワタルが指差したのは、窓際で『プルプル・サーバーくん一号』が細々と精製している水瓶だった。


「まず、水だ。あの子の巨大な鼻を洗うには、今の十倍以上の清浄水が要る」


「それに、器と床もだ」


ロッカが、藁の敷かれただけの土の床を強く蹴った。


「ワタル先生、ここでハニーを処置してみな。大量の膿と汚水が土に染み込み、あんたたちの生活圏は一晩で腐っちまうよ。治すなら、まずそれを受け止める石の器を造るんだ。それが職人の流儀だよ」


さらに、治癒士のエーリスが蒼白な顔で付け加える。


「わたくしの魔力も……。精密な処置の間、この巨体を眠らせ続ける『鎮静』は、わたくし一人ではそう長くは持ちませんわ」


水、器、排水、そして鎮静。四つの壁が立ちはだかる中、門を蹴破るようにして村長ゴランが踏み込んできた。


「――話は聞いた。眠っている今のうちに、この個体を討伐処分にする!」


ゴランの背後には、腕に包帯を巻いたテオを抱えたルッカの姿がある。


「ワタル先生、私は村長として、これ以上の危険を許せん。こんな狂暴な獣を、いつまでも村の近くに置いてはおけんのだ!」


ゴランが抜き放った剣の先が、ハニーベアに向けられた。その時だ。


「待って、おじいちゃん! やめて!!」


テオがルッカの腕を振り解き、怪我をした腕を庇いながらハニーベアの前に立ちふさがった。


「テオ、動いちゃだめ!」


ルッカが叫んだ。


「ハニーは悪くないんだ! お願い、殺さないで……っ、ハニーを助けて、ワタル先生!!」


子供の悲痛な叫びが、ゴランの剣を一瞬だけ止めた。その隙を、ワタルは見逃さなかった。


ワタルはゴランに向き直った。


「村長、待ってください。ここで無理に討伐処分を行えば、体内に溜まった高濃度の毒が一気に漏れ出します。排水設備を備えた石造りの床がない場所での殺処分は、土を汚し、井戸水への影響まで疑わなければならない二次災害を招きます」


ワタルの言葉に、エーリスが青ざめて頷く。


「……ええ。魔力が乱れた状態で急所を外せば、暴発に近い反応が起きる可能性がありますわ。少なくとも、周囲への瘴気漏出は避けられません」


ワタルがさらに畳み掛ける。


「中途半端な攻撃は激痛でハニーを目覚めさせます。暴れれば毒が飛び散る。それよりも、暴れても壊れず汚染を外へ逃がさない石造りの処置台と排水路に封じ込める方が、物理的な隔離として遥かに確実で安全です」


「アタイが作るよ」


ロッカが力強く身を乗り出した。


「膿も水も完璧に受け止める、石の器をね。アタイの仕事が、討伐よりも確実だってことを見せてやる」


テオの涙、ワタルの防衛論、そしてロッカの保証。


ゴランは、最後にハニーベアの鼻先で健気に浄化を続けるプルツーを見つめ、苦渋の決断を下した。


「……わかった。だが、これは治療ではなく『隔離管理』としての許可だ。テオの被害はギルドの記録に正確に残させる。一滴でも汚染が外へ漏れれば、その時は私の責任でこの施設を閉鎖する。必要なら、焼き払うこともためらわん」


こうして古い家畜小屋は、ただの古い小屋から、村が条件付きで認め、ギルドの記録にも残される「診療施設」へと変わった。


***


私は、一人静かに脳内の監察記録を更新した。


『監察記録:第242号(暫定保管資料)』

【事実経過】対象管理者は、大型個体(ハニーベア)の収容に伴う物理的限界(サイズ、堅牢性、汚染廃液の処理)に直面。これに対し、感情的な「救済」ではなく、村の安全保障を担保する「リスク管理の論理」を用いて村長と交渉。汚染の拡散防止を名目に、排水設備を備えた石造り施設の建設および、村とギルドの公認(制度的保護)を勝ち取った。

【軍事的懸念事項】

拠点の要塞化(ハード面の強化):小屋が石造りの堅牢な構造へ改築される見込み。これは物理的な防御力の向上を意味する。

制度的防壁の構築:「村公認」という法的・行政的な盾を得たことで、外部勢力による強権的な介入や排除が困難となった。

兵站機能の萌芽:排水・浄水インフラの必要性が明確化。高濃度の瘴気汚染個体を安全に管理・処置するための統合拠点化が開始された。

【結論】対象は、設備が「ない」という限界を、制度とインフラの「構築」によって突破した。これは個人の技術を超え、人間社会の仕組みそのものを「瘴気戦略への障壁」に作り変える行為である。極めて危険な兆候と判断し、対象管理者の脅威度を「特級監察対象」へ上方修正。直ちに四天王ガウルへ中間報告を行う必要がある。


私は、闇の中に溶け込み、次の処置に備える「管理者」の後ろ姿を冷徹に、しかし拭いがたい戦慄とともに見つめ続けていた。

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