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魔物は討伐しません、診察します〜転生獣医のもふもふサファリパーク開拓記〜  作者: あおにし
第2部 夜魔族ノクシア

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第23話 観察官に、聖域を見せます

「――はい、そこで止まってください。初めて入る人は、どんなに清潔そうに見えても外部由来の菌や瘴気を持ち込む可能性があります」


入り口で、俺はノクシアを制止した。


「患者のいる区画に入る以上、手洗いと消毒は例外なく必要です」


彼女は一瞬、不快そうに目を細めたが、俺が『プルプル・サーバーくん一号』の木栓を抜き、ひしゃくで透明な水を汲み上げると、その瞳に静かな好奇心が混ざった。


「一晩かけて溜めた貴重な水です。無駄にはできません。両手を出して」


俺はひしゃくから一滴ずつ、大切に彼女の指先へ水を注ぎ、流し洗いを促した。


魔法による生成水でもなく、ましてやこの汚染地帯の井戸水でもない、スライムの浄化膜を透過した「見たこともないほど澄んだ水」。


ノクシアは、自分が汚染源扱いされたことが不服なのか、わずかに眉を寄せていた。

それでも俺の手元から目を離さず、ひしゃくから落ちる水を妙に真剣な顔で見つめている。


仕上げに往診バッグから出した消毒液を指先に吹き付けると、俺はようやく彼女に「立ち入り」を許可した。


家畜小屋の中に一歩踏み出したノクシアは、すぐにその「異常」に気づいた。


「……窓際のスライムが、外気を吸い込んでいる?」


「ええ。プルは小屋の空気担当、床下のプルツーは流路担当です。うちの大事な浄化係ですよ」


俺がそう言って窓際のプルを労うと、プルは「ぷるるっ!」と元気に鳴いて体を震わせた。


「そんなスライム……聞いたことがない。しかも二体も……」


「もともとは一体だったけど、二体に分裂したんです。スライムには詳しくないんですが、プルやプルツーは珍しい個体なんですかね?」


「ええ。スライムが瘴気を浄化するなんて話、私の知る限り、聞いたことがありません。分裂するということも」


ノクシアはそう言って、再びプルとプルツーを見た。


***


ノクシアの記録者としての目は、恐るべき事実を捉えていた。


魔王軍の侵攻を支える戦略兵器「瘴気」が、最下級魔物のスライムによって食われ、薄められ、消されている。


しかも管理者は、それを兵器とも実験体とも呼ばない。


――浄化係。


役割を与え、休ませ、労う。ノクシアには、その運用思想そのものが理解できなかった。


***


俺たちは二重柵で囲われたドッグランへと向かった。


そこには、リハビリ中の二体の患者がいた。


「……あっ」  


ノクシアが声を漏らす。  


柵の中では、ウィンドウルフのコロが、右後肢を庇いながらも三歩だけ力強く駆け出していた。


だが、それ以上は追わない。


俺の隣に立つリコが指をパチンと鳴らすと、コロは即座に速度を落とし、ゆっくりと歩いて戻ってきたのだ。


「コロ、欲張っちゃだめなのだ。三歩走ったら、次は五分歩く。忘れたの?」  


リコの厳しくも温かい声に、コロは「ク~ン」と鼻を鳴らして従った。  


さらにその横では、フォレストキャットのリーフが、前肢を舐めようとして――その舌先が前肢の毛に触れる寸前で止まった。


一度だけ鼻をひくつかせ、それから顔を上げる。以前なら、そのまま皮膚が赤くなるまで噛み続けていた。


二重柵のドッグランへ近づこうとしたノクシアの前に、リコが立ちはだかった。


「そこから先は、ワタルの許可が出てから。コロはまだ、急な接近が苦手なのだ。……あなた、冷たい匂いがするから」


リコはただ半歩だけ前に出て、ノクシアとコロの間に立つ。


もう俺が口を出さなくても、距離の取り方は分かっているらしい。


***


その静かな聖域の空気を、凄まじい衝撃音が切り裂いた。


「おいッ! ギルドのモルガナに聞いてきたよ。魔物を殺さずに治すっていう『変な医者』は、あんたかい!」


門を蹴破る勢いで飛び込んできたのは、日焼けした肌に逞しい腕を持つ三十代の女性石工棟梁、ロッカだった。


「大声は控えてください。ここは療養区画です」


「悪い。だが、こっちも店が一軒やられてるんだ。アタイが腕を振るって建ててやった、妹夫婦の大事な店がハニーベアにぶっ壊されたんだ! 」


彼女は荒っぽい言葉をまくしたてた。それでも、怒りだけでここまで走ってきた顔には見えなかった。


「……だが、あのハニーベアはな。アタイが小屋を建ててる間、ずっと端材を転がして遊んでた馴染みの奴なんだ。人を襲うような質じゃない。だからモルガナの姐さんと大喧嘩して、討伐される前にあんたを連れてこいって走ってきたんだよ!」


俺はロッカが持ってきた、破壊された石材の断面を観察した。


「蜂蜜壺は?」


「ほとんど無事だよ。あいつ、壁ばっかり壊してやがった」


「なら、蜂蜜そのものを狙った行動とは考えにくいですね。壁だけを壊し続けていたなら、匂いの場所が分からなくなっているパニック……瘴気による嗅覚異常の可能性があります」


「……はあ?  妹夫婦の店を壊された話をしてるんだよ、アタイは!」


戸惑うロッカに対し、俺は即座に往診バッグを掴んだ。


「現場を見ましょう。討伐隊が来る前に鎮静させます。……プルツー、力を貸してくれ。今日は少し長い往診になる」


俺が床下に声をかけると、「ぷるっ」と短く応えて深い青色のスライムが俺の足元まで跳ねてきた。ジッパーを開いたバッグの中に彼を招き入れる。


「……管理者は、そのスライムを往診道具の一つとして携行するのですか?」


背後で見ていたノクシアが、不可解なものを見るように目を細めた。俺はバッグの口を半分だけ開けたまま肩に担ぎ、門へと歩き出した。


「道具じゃありません。空気の悪い場所へ行く時に、患者の呼吸を守ってくれる大事なスタッフです」


「夜行性魔物の嗅覚異常なら、鑑定士として私の専門分野でもあります。記録役として同行を」


ノクシアが静かに申し出た。俺は彼女の目を見て、釘を刺すように言った。


「同行は構いません。ただし、現場では俺の指示に従ってください。患者と負傷者、両方の安全が最優先です」


***


ハニーベアの被害現場へ向かいながら、ノクシアは脳内の記録を硬質な言葉で更新した。


『監察記録:第240号(暫定保管資料)』

対象施設内に、瘴気を捕食・分解するスライム二体、プルおよびプルツーを確認。管理者は同個体を消耗品ではなく職員に近い形で扱う。一方で、その機能は移動可能な防護兵器に匹敵。瘴気戦略の局所的無効化を可能にする重大な阻害因子。

次項、ハニーベア実害症例。対象管理者の実地対応を観察する。

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