第22話 帰る場所の話をします
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「ワタル、ちょうどいいところに来たね。紹介したい人がいるんだ」
ギルドへ『息守りマスク』の納品に訪れると、ギルドマスターのモルガナが俺を手招きした。
彼女の隣には、見慣れない旅装の女が立っていた。
黒紫色の髪を頭巾に収め、腰には数多くの標本瓶と薬草袋を提げている。雪のように白い肌と、感情を排したような静かな瞳が印象的な女だった。
「こちらはノクシアさん。夜行性魔物専門の薬草師兼素材鑑定士だ。このルミナ村周辺で瘴気汚染を受けた魔物素材の変化と、夜にしか採れない薬草の分布を調べているんだとさ。まあ、素性はまだ洗い切れてない。だから最初はあんたの判断で受け入れな」
「ノクシアと申します。こちらの保護区には、他では見られない貴重な症例が多いと聞き、ぜひ記録させていただきたいと思いまして」
丁寧な挨拶だが、その声はどこか冷たい鉄の響きを帯びているように感じた。隣にいたリコが、外套の端をぎゅっと握り、俺の背後に一歩隠れる。
リコの銀色の耳が警戒に伏せられ、鼻が微かに動いた。
「……ワタル、この人。薬草の匂いがするけど、その奥が……すごく冷たい。森の獣とも、人間とも違う匂いがするのだ」
リコの直感は鋭い。俺はリコの声を軽く扱わないことにした。
だが、魔物の症例を客観的に記録できる専門家の協力は、今の保護区にとって大きな助けになる。もちろん、無条件に受け入れるつもりはない。
俺はノクシアに真っ向から向き合い、獣医として条件を告げた。
「症例記録への協力は歓迎します。ただし、患者に触れること、採取すること、夜間に単独で区画へ入ることは禁止です。見学と記録は、俺かリコの立ち会いのもとでお願いします」
「……患者、ですか。魔物を、そう呼ぶのですね」
ノクシアが一瞬、意外なものを見るように目を細めた。
彼女がなぜそこで反応したのか、その時の俺には分からなかった。ただ、魔物を「患者」と呼んだ瞬間、ノクシアの静かな瞳に、かすかな揺らぎが走った。
***
その日の夕刻。
村を歩くノクシアの眼は、冷徹に「異常」を捉えていた。
彼女はギルドの受付脇に並べられた人間用の『息守りマスク』を手に取り、その構造を観察する。
職人ガルドの工学、治癒士エーリスの魔法、そしてワタルの医学が結びついたその道具は、人間が瘴気を防ぎ、魔物と共存するための強力な「器」となっていた。
「人間が、瘴気対策具を量産している……。これを身につければ、並の兵でも汚染地帯での活動が可能になるというのですか」
さらに彼女は、薬草師という肩書きを使い、エーリスと接触した。
「この『夜露草』、本来なら瘴気が濃い場所では枯れるはずですが。ここでは見事に自生していますね」
「ええ。最近、この村の周囲だけ瘴気反応が弱まっているんです。ワタルさんたちの浄化活動の影響だと思いますわ。わたくしも、布への魔法定着を少しお手伝いしています」
エーリスの屈託のない言葉に、ノクシアは戦慄した。
魔王による世界規模の瘴気拡大戦略が、この小さな村を中心とする異常な清浄圏によって局所的に阻まれている。
彼女は、これを「白い欠落」の物理的証拠として、静かに脳内の観察記録へ刻み込んでいった。
***
夜。ドッグランは月明かりに照らされて静まり返っていた。
柵の向こうでは、コロとリーフが浄化された土の上で身を寄せ合い、穏やかな寝息を立てている。
俺とリコは、昼間に干しておいたフィルター用の浄化布を、一枚ずつ丁寧に取り込み、籠に収める作業を続けていた。
「……リコ。リコには、帰る場所はあるのか?」
俺の問いに、リコの銀色の耳がピクリと動いた。
数日前、ミノタウロスの復帰試験で牧場主のバロウが叫んだ「俺たちの牧場へ帰るんだぞ」という言葉が、ずっと胸に残っていたのだ。
リコは布を畳む手を止め、夜の森に視線を投げた。
「……家族はいた。父さんと母さんと、弟が一人。銀狼族の小さな集落。族長だった父さんは狩りが得意で、母さんは毛並みの手入れが本当に上手かったの」
彼女の声は、夜の冷気に溶けるほど細かった。
「でも、いろいろあって弱っていたころ、急に森の瘴気が濃くなって、群れがバラバラになった。私は必死に逃げて……その途中で、奴隷商人に捕まった。……みんなが今、どこにいるのか。生きているのか、それとも……。何も分からないのだ」
リコは自嘲気味に笑い、自分の銀色の尻尾を抱きしめた。死んだ、とも、生きている、とも言えない名前を、彼女は今も胸の奥に抱えたままなのだ。俺は、すぐに言葉を返せなかった。
リコは自分の尻尾をしばらく毛づくろいしてから、俺に問いかけた。
「ワタルは? ルミナ村の出身ではないし、遠いところから来たの?」
俺は、大きく息を吸い込んだ。そして、自分の過去を口にした。
「……俺は、この国の人間ではない。もっと遠い世界から来たんだ」
「もっと遠い……?」
リコは首を傾げた。
「そう。そこは、魔物も魔法もない世界だった。俺はそこで、傷ついた動物を診る『獣医』という仕事をしていた」
「魔物が、いない世界……?」
「ああ。代わりに、『動物園』という場所があった。動物の暮らす環境を整え、健康に生きられるよう管理する場所……俺は一度死んで、この世界で目を覚ました。だから、リコ。俺にも、帰れるか分からない場所がある」
「違う世界……。想像もつかない。でも、ワタルが嘘を言っているとも思えないし」
夜風が、二人の間を吹き抜けていく。
家族の生死を知らぬ銀狼の少女と、別の世界から流れ着いた獣医。
俺たちは形こそ違えど、共に「帰る場所」を見失ったまま、この小さな小屋を居場所にしていた。
***
そのとき、ドッグランの外周にある木立の影が、わずかに揺れた。昼間、ノクシアがルミナ村で集めた情報は、すべてこの古い家畜小屋へと収束していた。
ノクシアは声を拾えるぎりぎりの距離で足を止め、木陰に身を沈める。
接触はしない。観察と記録に徹する。それが、彼女に与えられた命令だった。
***
「じゃあ、ワタルにも帰る場所がないのね」
リコの問いに、俺は眠るコロたちを振り返り、静かに答えた。
「正確には、帰れるか分からない場所がある。ここは、帰る場所ではなく、治す場所。けれど、治す場所は、帰る場所になることもある。……俺は、この保護区をそんな場所にしたいと思っている」
「……相変わらずね、ワタルは」
リコは少しだけ、本当に少しだけ、銀色の尻尾を揺らして微笑んだ。
【施設管理カルテ】
運用実績:『屋外療養区画』にて、夜間の静穏環境を維持。
特記事項:助手リコとの信頼関係を再確認。帰属先不明者にとって、保護区が「生活の場」となりつつある。
外部協力記録:薬草師兼素材鑑定士ノクシアによる症例観察を条件付きで許可。患者への接触、採取、夜間の単独立ち入りは禁止。衛生管理手順(手洗い・消毒)の遵守を義務づける。
***
ノクシアは闇の中に溶け込み、ペンを走らせる。
『監察記録:第239号(暫定保管資料)』
対象施設では、魔物を兵器ではなく「患者」と呼称。管理者は同施設を「治す場所」と表現。さらに、それが「帰る場所」へと転化し得るとの発言あり。魔王軍の魔獣運用思想と、完全に矛盾。……継続的な観察を要する。
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