第21話 人間用マスク、製品化します
古い家畜小屋の北側。森の周縁。かつては黒い泥のような瘴気が堆積していたその場所で、俺たちの「屋外療養区画」作りは始まった。
「プルツー、頼んだぞ。まずは土台の除染だ」
俺が声をかけると、少し色の濃いスライムのプルツーが「ぷるっ」と短く応え、地面に降り立った。
プルツーは餅のように体を広げ、じゅうじゅうと湿った音を立てて土を吸い込み始める。黒い泥が取り込まれるたび、地表は本来の色を取り戻し、プルツーが通り過ぎた後には、空気をたっぷりと含んだ「ふかふかとした茶色い土」が残された。
除染が完了した区域から、俺はリコがギルドの銀貨で調達してくれた資材を運び込み、杭を打ち込んでいった。
村長ゴランとの約束である「二重の防護柵」を守るため、外周を囲う柵から1メートルほどの間隔を空け、内側にもう1枚の柵を立てる。
広さは小屋の裏手から森の境界近くまで、奥行き約20メートル、幅10メートル、計200平方メートルを確保した。
ウィンドウルフのコロが全力で数歩駆け出し、そのまま右後肢に負担をかけずに緩やかに減速できるだけの「距離」が必要だったからだ。
「よし……できた。これなら、あの子たちが土の感触を思い出すには十分な広さだ」
『屋外療養区画』が完成したことを村長のゴランに伝えると、翌日視察に来るとの話になった。
翌朝。ゴランは、以前俺が命を救った孫娘のミーナと一緒に古い家畜小屋を訪れた。
「……ふむ。防護柵は二重、村側の道へは出さぬという約束、守られているようだな。あの子が走れる広さは確保してやるよう言ったが、これなら十分だ」
俺が隔離ケージの扉を開けると、コロは尻尾を小さく振り、二、三歩よろけながらも恐る恐る外の空気に鼻を鳴らした。
「コロ、がんばれー!」
柵の外から、ミーナの明るい声が響いた。その後ろでは、厳格な村長の仮面を被りつつも、コロの「あざとい営業」に目を細めるゴランが立っている。
一方で、フォレストキャットのリーフは極めて慎重だった。片足を土の上に置いてはすぐに引っ込め、リコの足元で匂いを確認してから、ようやくプルツーが浄化してくれた土の上で丸くなった。
管理された魔物は、恐怖の対象ではなくなる。子どもが柵の外から笑って名前を呼べる。それだけで、この場所を作った意味はあった。
***
初日のリハビリに大きな問題がないことを確認し、俺たちはルミナ村のギルドへと向かった。
ガルドが手がけた改良型『人間用高性能マスク』の製品版を携えてのことだ。
今回は俺とリコ、ガルドに加え、魔法定着の責任者としてエーリスにも同席してもらった。
「いいかい、ワタル。これを製品化するなら、最初に取り分をハッキリさせておくよ」
ギルドマスターのモルガナが、鋭い眼光で俺たちを見渡した。
「取り分はこうだ。ガルドが3割。革と金具、それに本体の工賃込みだ」
「ああ、それだけあれば材料を落とさず、頑丈な器を作れる」
ガルドが職人としての誇りを込めて頷く。
「エーリスが2割。魔法定着の技術料だね」
「治癒魔法を継続して使うにも、触媒や記録の費用が必要です。わたくしの『組織安定化』がこのマスクの命である以上、責任も対価も曖昧にはできませんわ」
エーリスも、凛とした表情で応じる。
「ワタルとリコが3割。浄化液の提供、医療監修、それに保護区の運営費だ」
それを聞いたリコが、手元の帳簿に素早く数字を書き込んだ。その瞳には、安堵の色が混じる。
「……これなら、あの子たちの餌代だけでなく、ドッグランの補修費も積み立てられるのだ。運営として、やっと足元が固まる」
「そして残り2割をうちのギルドが預かる。半分は販売手数料、もう半分はあんたたちへの貸しの返済だ。文句はないね?」
モルガナの問いに、俺たちは深く頷いた。
「救った命のその後」を守るためには、人間側の環境すらも管理し、持続可能な事業として成立させなければならない。それが、この世界で医療を続けるための絶対条件なのだ。
***
【施設管理カルテ】
運用実績:『屋外療養区画』の稼働を開始。コロ、リーフのリハビリテーションを本格化。
装備開発:人間用高機能呼吸保護具の製品仕様を確定。ギルド推奨装備としての販売スキームを構築。
財務状況:利益配分を確定。ガルド30%、エーリス20%、保護区30%、ギルド20%。保護区分は浄化液精製、医療監修、患者飼養費、設備補修費に充当。
特記事項:管理対象が患者個体から、療養区画、周辺環境、作業者の安全装備へ拡大。外周の瘴気濃度を継続測定する。
***
その頃、四天王の一人、獣王ガウルの居城では、不穏な報告が上がっていた。
魔王は今、世界中に瘴気をばらまくことで支配領域を急速に拡大させている。四天王たちはそれぞれの担当大陸で成果を競い、黒く染まった領域の広さこそが、忠誠と力の証とされていた。
瘴気は人間の肺を焼き、魔物を狂暴化させる。地図は本来、順調に「黒」く塗り潰されているはずだった。
「……何だと。ルミナ村周辺だけで拡大が止まり、むしろ後退しているだと?」
ガウルは、地図の中に針の先で突いたように浮かび上がった「白い欠落」を凝視した。世界が瘴気に沈む中で、そこだけが異常なほど清浄に保たれている。
「何かが計画を妨げている。魔王様に知られる前に、原因を突き止めろ。今すぐにだ」
ガウルは影の中に控える一人の女を呼び出した。
彼女の名はノクシア。夜魔族の悪魔であり、魔王軍で魔獣兵団の生態を記録する「魔獣観察官」だ。
「ただし、正体が分かるまでは手を出すな。下手に刺激して、白い欠落が広がっては困る」
「……承知しました。接触は避け、観察と記録に徹します。その停滞が魔物によるものか、人間によるものか、この眼で見極めてまいります」
ノクシアの姿は、影の中へ音もなく溶けた。




