第19話 守るために対価をいただきます
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古い家畜小屋に、朝の清涼な空気が満ちている。
窓際では水色のプルが「ぷるるっ」と鳴きながら外気を浄化し、床下の少し色の濃いプルツーが「ぷるっ」と短く応えて汚染の滞留を防いでいた。
「……よし。プルもプルツーも、順調だな」
俺は二つの隔離ケージへと向かった。
「おはよう、コロ、リーフ。診察だぞ」
俺は『絶対診察眼』を起動し、ケージの中で丸くなる患者たちを診察した。
ウィンドウルフのコロは、脳内の瘴気反応は安定期にあるが、狭いケージ内での生活による筋力低下の兆候が出始めている。俺がケージを開けると同時に、ちぎれんばかりに尻尾を振った。
隣のケージでは、フォレストキャットのリーフがお皿を柵にぶつけながらも、大人しく頭を下げた。自傷衝動の波は弱まっているが、まだ魔力の流れには淀みがある。
「……リハビリが必要だな。今のままじゃ、傷が治ってもまともに走れない」
俺が独り言のように呟くと、俺の隣でケージの掃除をしていたリコの耳は、不安げに伏せていた。
「リハビリも大事だけど、私たち本当に生活ができなくなりそうなのだ」
リコが厳しい表情で帳簿を広げた。
「ワタル、干し肉も卵ももうほとんどない。コロたちの栄養は削れない。……ギルドへの『借り』も膨らむ一方で、このままだと私たちの生活が先に干からびるのだ」
リコの言葉には、経営者としての切実な重みがあった。善意だけでは、この小さな保護場所を維持することはできないのだ。
そこへ、往診準備のために治癒士のエーリスが合流した。
「おはようございます、ワタルさん! 今日も往診前に、あの子たちの……わぁっ!」
彼女が足を踏み入れた瞬間、コロがコロンと仰向けになり、前足で顔を隠すように丸まって「ク~ン」と高い声を上げた。計算し尽くされた「あざとさ」だ。
「……っ。わたくしは治癒士です。……ですがワタルさん、この筋肉の張りを確かめる『触診』は、医学的に不可欠なプロセスですよね?」
「ええ。回復傾向にある今こそ、丁寧な確認が必要です」
俺が事務的に答えると、エーリスは「では、失礼します!」と、頬を染めてコロの耳の付け根をマッサージし始めた。
「エーリスさん、撫でる速度が治療目的を超えています。三十秒ごとに休憩を入れてください」
「これ、は、触診ですわ……!」
リコが隣で「……あの二人、コロが間に入るといつもこれやってるのだ」と、呆れたような、しかし少しだけ羨ましそうなジト目を向けていた。
コロの触診――という名の耳の付け根確認が終わるころには、机の上に浄化布の材料が並べられていた。浄化液の精製、そしてエーリスの魔法による『組織安定化』の定着作業だ。
「わたくしの魔法とワタルさんの技術が重なって、初めてこの布は患者を守る道具になるのですね」
エーリスが愛おしそうに布を撫でる。その横で、リコがペンを走らせた。
「エーリスさんの魔力も、浄化液も、タダじゃない。今日、バロウさんに正式な『対価』の話をするのだ」
***
バロウの牧場。
管理小屋では、ギックリ腰で『経過観察対象』となったキャスパーが、座りながら必死に記録をつけていた。
「ワタル、これだ。昨夜のあいつの呼吸音と、耳の動きの記録……門番の意地で書き上げたぜ」
「これは立派な経過記録です。キャスパーさん、重量物は運べませんが、観察者としては十分に戦力です」
俺が事務的に評価すると、キャスパーは「……へへ、戦力か」と嬉しそうに鼻を擦った。
現場では職人のガルドが、ミノタウロスの動きに合わせてハーネスの当て革をミリ単位で調整していた。
「道具ってのは、着けて動かしてからが本当の勝負だ。こいつの体に馴染ませてやるよ」
ガルドは革帯の端を指で弾き、音を聞いてから金具を少しだけ緩めた。
ガルドの工学、エーリスの魔法、俺の医学。それらが現場で噛み合っていく。俺は汚れたフィルターを新品に交換しながら、牧場主のバロウに向き直った。
「バロウさん。今後はギルドを通じて、正式な『継続管理依頼』として、この子の管理を続けさせてください」
フィルター交換、器具調整、往診、そしてキャスパーによる観察報告をセットにした提案だ。
バロウは、ミノタウロスの鼻面を見つめたまま、深く頷いた。
「あいつが自分を壊さずに済むなら、喜んで頼む。金で済むなら、安いもんだ」
作業の合間、キャスパーがミノタウロスのマスクを見ながら漏らした。
「なあワタル。この高性能マスクの人間用って作れないのか? 門に立ってると、森から風が来る日は喉が焼けるんだ」
「人間用か。ミノタウロス用を小さくすればいいってもんじゃねえ。人間は喋るし、走る。別の設計がいるな」
ガルドの職人魂に、新たな火が灯った瞬間だった。
***
ルミナ村に戻り、俺たちはギルドマスターのモルガナに契約成立を報告した。
「……ですが、モルガナさん」
リコが意を決して、モルガナの前に進み出た。
「契約はできたけど、今の私たちには、今日の食料を買う現金も足りないくらいなのだ。自分たちの分を削るのにも限界がある」
モルガナはガハハと豪快に笑い、ずっしりと重い銀貨の袋をリコに手渡した。
「気に入ったよ! 投資した種が芽吹く前に枯れちゃ意味がない。これはバロウからの報酬の『先払い』だ。しっかり食べな!」
帰り道。リコは銀貨の袋を揺らし、少しだけはにかんだ。
「これで、今晩もご飯を食べられる。……それに、コロとリーフにリハビリ用の『ドッグラン』を作ってあげられるのだ」
「ああ。だがリコ、小屋の外を拡張するには村長のゴランさんの許可が必要だ」
「……守る場所を広げるにも、許可が必要なのか。運営って、本当に一筋縄じゃいかないのだ」
リコは苦笑いし、俺は遠くに見える「森の境」を見つめた。
「次は、あそこだ。ミノタウロスが、もう一度あそこに立てるか。それを確かめる時が来ている」
俺は静かに、次なる目標――『森の境復帰試験』を宣言した。
【施設管理カルテ】
運用実績:『息守りマスク初号機』の保守体制を確立。ハーネスの適合性をガルドの協力により改善。
財務状況:ギルド仲介による「魔物健康管理契約(継続管理依頼)」の第一号を締結。モルガナからの先払いにより、古い家畜小屋外周のリハビリ区画整備準備を開始。
開発計画:現場のニーズ(門番・牧場主の要望)に基づく「人間用高機能呼吸保護具」の設計に着手。
特記事項:ワタル、エーリス、ガルド、リコ、キャスパーによる多職種連携体制が、日常の「管理」として機能開始。
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