第17話 まずは器だけ当てます
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朝の古い家畜小屋。
俺は往診バッグの点検を終えると、二つの隔離ケージへと向かった。
「コロ、足の調子はどうだ?」
ケージの中では、ウィンドウルフのコロが元気よく尻尾を振っていた。固定された右後肢を気にせず跳ねようとするコロを、俺は苦笑して制する。
「まだリハビリには早い。いい子で寝ていろ」
隣のケージでは、フォレストキャットのリーフがリコの言うところの「お皿」――エリザベスカラーを不服そうに揺らしていた。前肢の自傷痕は乾き始めているが、まだ完全ではない。
「リコ、あの子たちの様子は?」
「……出発の準備を始めたら、耳が伏せられた。少し不安がってるみたいなのだ。プルがいてくれないと、また足を噛んじゃうかも」
リコの鋭い指摘に、俺は頷く。
「わかった。プルはいつも通り、ここで内勤だ。あの子たちの空気を頼むぞ。プルツーは、今日も隣村の往診についてきてもらおう」
「ぷるるっ!」
「ぷるっ」
二体のスライムがそれぞれの持ち場を認識したように鳴く。「入院患者」たちの安寧を確認し、俺たちは、今日もバロウ牧場へと足を向けた。
***
バロウ牧場。
朝の光が差し込む中、俺たちが到着すると、そこには既に汗を流して働くキャスパーの姿があった。
「おはようございます、エーリスさん! 今日の藁は、昨日より柔らかめを選んでおきました!」
「キャスパーさん、ありがとうございます」
キャスパーはエーリスの微笑みに顔を綻ばせた。だが、すぐに真顔に戻り言った。
「ワタル、見てくれ。昨日より、奥の壁の藁があまり潰れていないんだ。あいつ、少し落ち着いたんじゃないか?」
俺は即座に『絶対診察眼』を起動し、壁の損傷とミノタウロスの疲労度を確認した。
「……それは大事な情報です、キャスパーさん。角打ちの頻度が落ちている可能性がある。現場を日々見ているあなたならではの観察眼ですね」
「まあ、素晴らしい。キャスパーさんは命の変化を見逃さない、真の騎士のようですわ」
「ええ、まあ、村を守る門番として当然ですよ!」
エーリスの言葉にすっかり浮かれているキャスパーの背後でリコが呟いた。
「ただの藁番なのだ」
だが、その藁番が見つけた変化は、俺たちにとって確かな診断材料だった。
ガルドは鞄を開き、金属パーツを組み込んだ革製のフレームを取り出した。
「よし、まずは器だけ当てるぞ。中身を入れる前に、革と金具がどこに当たるか見ねえとな」
「鼻腔や気道を圧迫していないかは、俺が診ます」
俺の指示でエーリスが『魔力鎮静』をかけ、その数分間の隙にガルドがミノタウロスの鼻面にフレームを当て、革帯を締めていく。
俺が透過図で食い込みを指摘するたび、ガルドはその場で金具の角度を変えた。
「初回としては十分な適合です。少なくとも、激しい鼻息だけで吹き飛ぶことはない」
次に、ガルドが提案していた「物理的な制動システム」の準備に移る。
ミノタウロスのハーネスを、地面に打ち込んだ巨大な鉄の固定杭と綱で繋ぎ、角が壁に届く最後の数歩だけを、綱の張りで受け止める設計だ。
「俺がアンカーを運ぼう! 藁束に比べれば、こんな鉄杭、羽毛のようなものだ!」
エーリスの前でいいところを見せようと、キャスパーが無理やり巨大なアンカーを抱え上げた。だが、藁と鉄では密度が違う。
「キャスパーさん! 今、腰椎のあたりから人体が出してはいけない音がしました! 顔面紅潮、頸動脈怒張……それは根性ではなく、急性腰痛症の前兆です!」
「おい、藁と鉄杭を同じ重さで考えるなよ」
ガルドの呆れ声も届かず、キャスパーは「男の意地だ!」と叫んでアンカーを設置した瞬間、そのままへの字に固まって崩れ落ちた。
その横で、ガルドは冷静にミノタウロスの上半身の採寸と、「角が壁に届かない限界距離」の計測を終える。
動けないキャスパーに変わって牧場主のバロウが藁束を交換した。
ミノタウロスの患部を水で洗い、手当をした後、俺はエーリスに話した。最後に残った問題は、フィルターに使う浄化布の定着だった。
「瘴気を防ぐためのフィルターを今作っているのですが、その浄化成分を固定化することができないんです」
「浄化成分ですか?」
「プルが短く浸かった水と、そこに残った薄膜に、瘴気を浄化する反応がありました。布に浸せばフィルターになると思ったのですが、乾くと白い粉になって剥がれてしまうんです」
エーリスはしばらく考えていた。
「布に成分を留めることは、傷口を安定させることと似ているのかもしれません」
俺はミーナの傷口を思い出した。エーリスは、寄生虫を取り除いた後の傷口を排出路を少し残すように塞ぐ魔法をかけていた。
「つまり、繊維の中に留められるかもしれない、ということですか」
「ええ。試してみましょうか。わたくしも、この目で確かめたいですわ」
「俺は……門番の仕事があるから、村に……いや、まず立てないな……」
キャスパーが腰を押さえながら、小さくつぶやいた。
「キャスパーさん、無理に動かないでください。今日はバロウさんの牧場で安静にしてください。あとで腰を冷やします」
エーリスにそう言われ、キャスパーは力なく笑った。
「エーリス様にそう言われたら……藁の上でも、俺は騎士として休みます……」
「ただ寝てるだけなのに、格好つけてるのだ」
リコが冷ややかに尻尾を揺らした。
「キャスパーさんの観察眼と、犠牲――いえ、腰部損傷のおかげで、必要な採寸とデータは取れました。腰の方も、経過観察を継続します」
「……ワタル、あいつのためにも犠牲って言うのはやめてあげた方がいいのだ」
バロウが納屋の隅に藁を厚く敷き、キャスパーを横にした。腰を冷やす布を当てられても、キャスパーの視線はミノタウロスの方を追っていた。
***
古い家畜小屋に戻り、俺は乾いた布に浄化液を浸した。
エーリスが治癒魔法の『組織安定化』を布に施すと、浄化成分は、乾いた布の表面で白く剥がれることなく、繊維の奥に淡く留まっていた。
「どうですか?」
俺は布をくしゃくしゃにしたり擦ったりしてみたが、前のように白い粉になって出てくることはない。
『絶対診察眼』でも、繊維の中に成分がとどまっていることが確認できる。
医学、工学、そして魔法が、初めて一つの道具の中で重なった。『息守りマスク初号機』の誕生だった。
俺は手元のカルテを更新した。「命を救うための管理」という確かな手応えを感じていた。
【施設管理カルテ】
開発成果:呼吸保護用・対瘴気マスク『息守りマスク初号機』を試作。
技術的進捗:工学……ミノタウロス用多点支持フレームの適合、制動用アンカーの仮設置および採寸完了。
魔法……組織安定化魔法による浄化成分の繊維内定着を確認。
現場管理:キャスパーの定点観察により、角打ち頻度の低下傾向を示す情報を獲得。
負傷者管理:キャスパー、巨大アンカー運搬中に急性腰痛症を発症。腰椎周辺に炎症反応あり。移動困難のため、バロウ牧場で一晩安静。
特記事項:医学的理論を実用装備へ落とし込むには、工学的実装が不可欠。患者の呼吸、皮膚への接触圧、装着ストレスを含めて設計する必要あり。
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