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魔物は討伐しません、診察します〜転生獣医のもふもふサファリパーク開拓記〜  作者: あおにし
第1部 ルミナ村保護区開設

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第13話 透明な水なのに、飲めません

いつも応援ありがとうございます!お楽しみください!

古い家畜小屋に夜の帳が下りる。


石造りの壁にはプルたちが浄化した清涼な空気が満ちているが、俺の心は晴れなかった。


リコと囲む質素なパンとスープの夕食。その傍らに、俺は村長ゴランからもらった銀貨五枚の残金と、往診バッグから取り出した「清浄水の袋」を並べた。もう「生理食塩水の袋」はない。


「……リコ、銀貨ももう残り少ない。この場所には商人も来ないから、金を積んでも水は運んでもらえないんだ」


「……ワタル、医者なのに一文無しになるつもり?」


「それだけじゃない。この清浄水の袋、明日で予備がなくなる。……水がなければ、診療所は診療所にならないんだ」


夕食後、俺はランプを手に隔離ケージの巡回に向かった。


ウィンドウルフのコロは穏やかに眠っているが、フォレストキャットのリーフがエリザベスカラーを柵にぶつけ、患部をわずかに汚していた。


「……傷を洗ってやりたい。だが、ここで一袋使えば、明日の現場用がなくなる……」


洗うべき傷がある。だが、使えば明日の水がない。そんな計算を、患者の前でしなければならないことが、何より苦しかった。


俺は小屋の裏にあるバケツ式井戸へ向かった。


これまでこの井戸を使わなかったのは、村長との「井戸を汚さない」という約束があったからだ。もう一つ、剥き出しの縄や滑車が瘴気に晒されている構造そのものが、不潔に見えたからでもある。


俺はまず、井戸口に近い水を少しだけ汲んだ。


(――『絶対診察眼』)


『対象:井戸水・上層』

『状態:瘴気反応陽性/微細な黒色沈殿物あり』

『判定:飲用・創部洗浄には不適』


次に、縄をさらに伸ばす。桶が水面を割り、井戸の奥へ沈んでいく音が、石壁に反響した。


中ほどの深さで汲んだ水は、見た目にはほとんど同じだった。だが、診察眼に映る反応はわずかに違っていた。


『対象:井戸水・中層』

『状態:瘴気反応陽性/上層より軽度』

『判定:飲用・創部洗浄には不適』


さらに深い位置まで桶を下ろす。


『対象:井戸水・深部』

『状態:瘴気反応陽性/中層より軽度』

『判定:飲用・創部洗浄には不適』


「……上の方が濃い」


もし水脈から上がってくる水そのものが一様に汚れているなら、深さでここまで差が出るだろうか。むしろ、井戸口に近い場所で汚染を拾っている可能性が高い。


開きっぱなしの井戸口。瘴気に晒された縄。黒ずんだ滑車。何度も水に触れてきた古い桶。


水が悪いのではなく、水を汲む仕組みが悪いのかもしれない。


「……見た目が透明でも、これでは毒を飲ませるのと同じだ。だが、この井戸を医療レベルで使えるように再生させるしかない」


***


翌朝。俺たちはバルカ村のバロウ牧場へ向かった。


ミノタウロスが角打ちを繰り返す現場で、血と瘴気に汚れた大量の藁束を交換する作業だ。


俺が作業を始めようと、ずっしりと重い藁束に手をかけた、その時だった。


「待て、ワタル。そんなひょろひょろの腕で無理をするな」


門番のキャスパーが俺の手を横から制し、フッと不敵な笑みを浮かべて前に出た。そして、眩しそうに現場を見つめるエーリスをチラリと見た。


「瘴気に汚れた重量物を運ぶのは、俺たち衛兵の領分だ。医者は下がって、大人しく見守っていろ」


格好をつけてそう言い放つと、彼は見栄を張って巨大な藁束を二つ同時に抱え上げた。そのまま鼻息も荒く壁際へと運び始めるが、その足取りは明らかに危うい。


「キャスパーさん。顔面が紅潮し、頸動脈が怒張しています。何より、その姿勢は医学的に極めて不合理だ。腰椎に過剰な負荷がかかっていますが、なぜそこまで無意味な肉体的リスクを?」


俺が無機質に問いかけると、キャスパーは今にも血管が切れそうな顔をしながら、絞り出すような声で言い返した。


「……ッ、るせえ! これは、村を……守る、男の、意地……だっ!」


「まあ……! なんて凛々しい。村の守り手の鑑ですわ、キャスパーさん!」


傍らで見守っていたエーリスが感嘆の声を漏らし、頬を染めてその献身を称えた。


その瞬間、キャスパーの目に力が宿った。彼はさらにわら束をもう一つ、無理やり上に積み上げ、震える足で歩を進める。


「……あいつ、いま腰が抜けても幸せそうなのだ」


リコが隣でジト目を向けて呟く。


***


作業後、泥だらけの手を洗う水すら惜しむ俺に、キャスパーが肩で息をしながら教えた。


「……そんなに、水が、心配なら……ギルド横にある、手押しポンプにしろよ。あれなら蓋も閉まってて汚れないだろ」


その言葉に閃いた俺は、すぐに村へ引き返した。ギルド横の井戸を見ると、キャスパーが言うように手押しポンプ式になっていた。


俺が考えていた「外から入る汚染を断つ」という方向と、キャスパーの言葉がぴたりと噛み合った。これなら、行ける。


その足で村長ゴランを訪ねた。庭では、かつて俺が救った少女ミーナが元気に走り回っていた。


「あ、ワタル先生! 見て、もうこんなに走れるよ! 外の空気、もう苦しくないよ!」


「あ、ミーナちゃん。本当によかったね」


彼女の純粋な笑顔に、俺は環境管理の価値を再確認した。


ゴランはミーナの頭を撫でたあと、しばらく黙って考え込んだ。


「井戸を塞ぎ、縄と桶を使わぬようにする。それ自体はよい。むしろ、放置したままより安全じゃろう」


「ありがとうございます」


「ただし、大量に汲むな。あの井戸は村の共同井戸と同じ水筋にある。今は小屋の治療に必要な分だけじゃ。村の井戸の水位に影響が出るようなら、そこで止める。水は村の命じゃ。そこは譲れん」


「わかりました。まずは、汚染を増やさないための改修に留めます」


***


それからギルドへ向かい、モルガナに相談した。


「……ですが、俺には今、これを支払う金がありません」


正直に打ち明けると、モルガナはガハハと豪快に笑った。


「ミーナを救い、ミノタウロスの防衛線を維持している男だ。あんたは村の『投資先』だよ。費用はギルドで立て替えてやる」


紹介されたのは、馬具・農具職人のガルドだった。革と金具に精通し、村の設備を支えるベテランだ。


「ありふれた道具だ。だが、据え付けを雑にするとすぐ壊れる。道具は正直だ。手を抜いた分だけ、きっちり裏切る。今日は手が空いてる。すぐ取りかかるぞ」


ガルドは井戸口を覗き込み、縄を指で弾いた。


「水が悪いか、汲み方が悪いか。まずはそこを分けるんだな」


「はい。縄と桶、開いた井戸口から汚染が入っているなら、密閉すれば反応は下がるはずです」


「なら、答えは簡単だ。穴を塞ぐ。縄と桶をやめる。水を外に触れさせずに上げる。道具ってのは、余計なところを通すほど裏切るんだ」


夕方。井戸には重厚な鉄製のポンプが据え付けられた。


「ありがとうございました。それにしても、ポンプの据え付けが早いですね。普段は井戸や金具の仕事が多いんですか?」


「井戸もやる。荷車の金具もやる。革で馬具も作る。村の道具で困ったら、大体うちに来るんだ」


「そうなんですか。器用なんですね」


ガルドは右手で鼻を擦って言った。


「まあ、この辺りで馬具と金具を両方いじれる職人は、そう多くねえ。困ったら持ってきな」


「ありがとうございます」


ガルドが帰った後、俺はポンプの先に、砂利、砂、木炭を順に詰めた物理ろ過槽を連結した。


ハンドルを押すたびに、透明な水が勢いよく流れ出す。泥の濁りはない。縄の湿った臭いも、桶に染みついた黒い臭気も薄い。見た目だけなら、村の井戸水と変わらなかった。


だが、『絶対診察眼』の判定は、期待したところまでは届かなかった。


『対象:ポンプ汲み上げ水』

『状態:瘴気反応陽性/反応は改修前より低下』

『判定:飲用・創部洗浄には不適』


「……下がった。でも、消えていない」


俺は諦めきれず、その水を鍋に移し、激しく沸騰させた。泡が弾け、湯気が立ち上る。通常の病原汚染なら、これでかなり危険は下がるはずだった。


それでも、判定は変わらなかった。


「……砂でも、炭でも、熱でも。この世界の毒は消せないのか」


透明な水を前に、俺はしばらく言葉を失った。


外から入る汚れは、たしかに減った。だが、それだけではなかった。


井戸の内側。水面の下。長く使われなかった場所に、まだ何かが残っている。


一瞬、井戸そのものをプルに浄化してもらう考えが頭をよぎった。だが、すぐに打ち消す。


閉じた井戸底に、プルを落とすわけにはいかない。異常が起きても、すぐに引き上げられない。それは治療ではなく、小さな患者を汚染槽に沈めるのと同じだ。


その時だった。足元でプルが「ぽいん」と跳ねた。透明な水の前で丸い体を左右に揺らす。まるで、それが「食べられるもの」かどうかを確かめているようだった。


「……ぷるるっ?」


返事の代わりに、プルの体表が、かすかに淡く光った。


「待て、プル。無理はさせないぞ」


俺は慌てて手を伸ばしたが、プルは小さく跳ね、鍋から移した井戸水の桶へ自分から近づいた。


濾過し、煮沸し、それでも瘴気反応が残った水だ。


プルは桶の縁に体を預けるようにして、ほんの少しだけ水面へ沈んだ。


「ぷる……」


水面に、淡い青い光が薄く広がる。


だが、俺はすぐにプルを抱き上げた。


「そこまでだ。お前を水の浄化装置にするつもりはない」


プルは不満そうに「ぷるる」と揺れたが、俺の腕の中で大人しく丸くなった。


桶の水面には、光の名残のようなものが一瞬だけ浮かんだ気がした。だが、その時の俺にとって大事なのは、水の変化を確かめることではなく、プルを休ませることだった


【施設管理カルテ】

対象:古い家畜小屋の井戸。

検査:深度別採水を実施。上層水で瘴気反応強。中層・深部では反応低下。ただし陰性化せず。

初期仮説:井戸口、縄、桶、滑車など、汲み上げ過程での外部汚染混入。

改修:ガルドにより密閉ポンプ式へ変更。外気・縄・桶由来の追加汚染を低減。

再検査:ポンプ汲み上げ水では泥・臭気が改善。瘴気反応も低下。ただし飲用・創部洗浄には不適。

処理:砂・木炭による物理ろ過、および煮沸を実施。通常の病原汚染対策には一定の効果を見込むが、瘴気反応は残存。

考察:外部汚染のみでは説明不能。井戸内部または滞留水由来の残存汚染を要検証。

運用方針:井戸本体の直接除染は保留。汲み上げ水を外部で受け、沈殿・ろ過・プル由来成分による浄化方式を検討。

制約:村共同井戸と同じ水筋にあるため、大量取水は不可。水質改善と取水量管理を分けて扱う。

資源状況:往診バッグ内の清浄水の袋、枯渇寸前。

観察事項:プルが瘴気反応残存水へ自発的に接触。短時間で体表発光を確認。ただし本体への負荷を避けるため、直接浄化は継続しない。

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