第12話 ミノタウロスの角は、誰のために
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「……いいか、ワタル。本当に無理はするなよ。あんな化け物、もし暴れ出したら俺たちじゃ手も足も出ないんだからな」
隣村――バルカ村へ向かう道中、門番のキャスパーは何度も同じことを繰り返していた。
バルカ村からの緊急事態は、まずギルドマスターのモルガナに届き、即座に村長ゴランへと共有された。親書を受け取ったゴランの要請により、俺たちは、まだ名前もない小さな魔物医療のチームとして、初めての往診に向かっていた。
足元では、少し色の濃いスライムのプルツーが、俺たちの歩みに合わせてぽいんぽいんと跳ねている。
「ワタルさん、プルツーさんを連れ出して大丈夫なのですか? 小屋の浄化が……」
隣を歩くエーリスが心配そうに尋ねる。俺は前を向いたまま答えた。
「小屋の空気は、今ではプル一体で維持できる範囲まで安定しています。コロとリーフも落ち着いていますから。今日のような野外活動には、外勤担当のプルツーの力が必要なんです」
「なるほど、適材適所ですね。ワタルさんの判断はいつも合理的です」
エーリスが感心したように頷き、俺の顔を覗き込んできた。専門的な議論に熱が入り、自然と二人の距離が近くなる。
すると、前を歩いていたキャスパーが、血相を変えて二人の間に割り込んできた。
「あーっ! 危ない! ワタル、足元に……危ない石が、あるかもしれないだろ!」
「石……? 平坦な道ですが」
「いいから! エーリス様にそんなに近づくな! 不敬だぞ!」
必死に「人間障壁」になろうとするキャスパーに対し、俺は彼の顔をじっと観察して告げた。
「キャスパーさん。心拍数が上がっていますし、顔も赤い。過度の興奮状態ですね。深呼吸をして、冷静になってください」
「なっ……! 俺は冷静だ!」
「さすがワタルさん、よく見ていらっしゃる。キャスパーさん、無理はいけませんよ」
エーリスにまでそう言われ、キャスパーは絶望したように肩を落とした。
リコが冷めた目でその様子を眺めている。
「……ワタル。あいつの耳、さっきから『邪魔してやる』って形にピクピク動いてるのだ」
賑やかな道中は、目的地の牧場が見えた瞬間に終わりを告げた。
ドォン。
ドォン。
腹の底に響くような、重苦しい鈍い音。
巨大な牛の頭部を持つ魔物――ミノタウロスが、立派な角を何度も岩壁に叩きつけていた。角の根元からは血が滴り、岩肌にはいくつもの亀裂が走っている。
「叔母さんの言う通りだ……あんな化け物、もしこっちを向いたらおしまいだ」
キャスパーが、剣を握る手すら忘れたように呟く。
「いいかワタル、これはルミナ村やバルカ村だけの問題じゃない。この周辺一帯の村にはミノタウロスを討伐できるような高ランクの冒険者は一人もいないんだ。あいつが柵を破れば、二つの村はなす術なく踏みつぶされる」
俺は柵の外に立ち、『絶対診察眼』を起動した。
『対象:ミノタウロス』
『状態:重度の瘴気汚染/前頭部および角の打撲・亀裂/意識混濁』
『兆候:反復的な自己損傷行動(角打ち行動)、強い混乱を伴う常同行動』
透過図には、頭部から首筋にかけて激しい魔力の乱れが映し出されている。
「……今の家畜小屋のケージでは、このクラスの魔物は収容できない」
受け入れ先がないという現実。だが、俺が唇を噛んだその時、牧場主のバロウが転がるように駆け寄ってきて俺の腕を掴んだ。
「頼む、先生! 殺さないでくれ! あいつは化け物なんかじゃない。長くこの牧場を支えてくれた働き手なんだ。冬には、私の娘を背に乗せて歩いてくれたこともある。あの角で、冬の倒木をどかしてくれたこともある。人を傷つけるための角じゃないんだ……家族なんだ!」
バロウの悲痛な叫びに、俺は強く頷いた。
「連れて帰ることはできません。今の施設では彼を受け入れられない。ですが、ここで治す方法を考えます。ここが彼の場所なら、ここを治療できる環境に変えるだけです」
俺は即座に、バロウとキャスパーに命じた。
「バロウさん、落ち着いて! 今すぐ、ありったけの藁束と丸太をここに集めて、あの岩壁の前に積み上げてください! 急いで!」
指示を出した後、俺はチームに向き直った。
プルツーが瘴気を薄め、エーリスが柔らかな光を放つ。
『魔力鎮静』
「……乱れた魔力を、一瞬だけなだめます! ですが、長くは抑えられません……!」
「十分です! リコ!」
「くる……耳を伏せたのだ! 次、もっと強く打つ!」
「今だ! 用意させた藁束と丸太を、あの岩壁の前に積み上げろ!」
恐怖で動けないバロウの代わりに、キャスパーが必死に走り、緩衝材を壁に設置した。
次の衝突まで、数秒しかない。ミノタウロスの肩が沈み、首の筋肉が膨れ上がる。
あの巨体が振り向けば、キャスパーの体など藁束ごと吹き飛ぶ。俺は手を強く握った。
ドフッ、という鈍い音。衝撃が藁に呑み込まれた。キャスパーは膝に手をつき、荒い息を吐いた。だが、逃げなかった。
「これは治療ではありません。悪化を遅らせ、最悪の事態を防ぐための『管理』です」
俺は、自分に言い聞かせるように呟いた。
コロ、リーフ、そしてミノタウロス。共通するのは重度の瘴気汚染だ。
瘴気が身体だけでなく、行動制御にも影響している。その可能性は、もはや偶然では片付けられないところまで高まっていた。
往診の終わりに、俺はバロウに今後の方針を伝えた。
「明日からも毎日、プルツーを連れて浄化に来て、エーリスさんが鎮静をかけ、俺たちが緩衝材を交換します。一時施設ができるまで、一日も欠かさず続けます」
***
ルミナ村に戻った俺は、村長ゴランに報告した。
「隣村も、この村も、戦力がない。ならば原因を管理し、暴走前に彼を受け止める『防衛線』を作るしかありません。環境の浄化まで含めて、俺がこの個体の療養計画を立てます」
ゴランは深く溜息をつき、窓の外を見た。
「……昔ならな。今のギルドに、現役時代の『閃光のモルガナ』がいれば、あんなミノタウロス、一閃で討伐していただろうに」
俺はその足でギルドへ向かい、モルガナに報告した。
彼女は「あたしが行ってやりたいくらいだよ」と自笑しつつ、かつての『閃光』と呼ばれた頃の鋭い眼光を一瞬だけ見せた。
「倒すだけなら昔もできたが、治すなんて考えたこともなかったよ。もっとも、今の膝じゃ、あの頃みたいには走れないけどね。……ワタル、あんたが治療を形にするのが先か、あいつの角が自分ではなく『村』へ向くのが先か。時間との勝負だよ」
その夜。俺は小屋の奥で、次の開拓の図面を引き始めた。
診た。管理した。だが、治療には届かなかった。
「……受け入れられる場所がないだけで、救える命に手が届かない」
俺は頭の中のカルテに、強い決意を込めて書き込んだ。
【施設管理カルテ】
対象:バルカ村のミノタウロス(牧場管理個体/療養対象)
体制:現地での継続管理。
日次予定:プルツーによる周辺瘴気の低減。エーリスによる魔力鎮静およびバイタル確認。リコによる予兆監視。藁束・丸太による緩衝材の補填。
浄化戦略:古い家畜小屋外周から村道方面へ、浄化範囲を段階的に拡張。将来的にバロウ牧場への安全な往診ルート形成を目指す。
最重要リスク:角打ち行動の対象が、壁面から人・建物へ転じる可能性。
特記事項:戻るべき環境の浄化までを医療とみなし、現地での療養環境整備を優先する。
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