第11話 症例検討会は、もふもふお茶会になりました
いつも応援ありがとうございます!お楽しみください!
翌朝。朝露に濡れる古い家畜小屋に、軽やかな足音が近づいてきた。
「おはようございます、ワタルさん! ミーナちゃんの経過報告を兼ねて伺いました……わぁっ」
往診に訪れた治癒士のエーリスは、入り口で足を止めて感嘆の声を上げた。
窓際では水色のプルが、床下では深い青色のプルツーが、それぞれ空気の流れを読みながら瘴気を浄化している。
二体のスライムによって整えられた換気と浄化の仕組みは、小屋の中に村の通りよりも澄んだ空気をもたらしていた。
「ここはもう、立派な治癒の場ですね。思ったよりもずっと、設備が整っていますわ」
「プルたちが頑張ってくれましたから。……エーリスさん、こちらは助手の、リコです」
俺の紹介に、タオルで耳を隠したリコが、緊張しながらも深々と頭を下げた。
村長ゴランに「助手」として認められた事実は、彼女の中に小さな自信を植え付けていた。
「リコさん、よろしくお願いします。……さて、ワタルさん。あのウィンドウルフの幼獣の様子は……」
エーリスがケージに視線を向けた瞬間、コロが「営業」を開始した。
絹のような毛並みを朝の光にきらめかせ、腹を見せて「コロン」と仰向けになる。前足で顔を隠し、チラリと上目遣いで「ク~ン」と鼻を鳴らした。
「……っ。わたくしは治癒士です。患者に対しては常に客観的で、冷静でなければ……っ」
清楚なエーリスは拳を握りしめ、必死に耐えている。だが、その指先は小刻みに震えていた。
「……ワタルさん。毛並みの確認……いわゆる『触診』は、診察上、必要ですよね?」
「ええ。休憩を挟みながらなら、有効な確認手段です」
「では、失礼します……!」
許可が出た瞬間、エーリスは吸い寄せられるようにコロを撫で始めた。最初は指先で慎重に、しかし数秒後には両手で耳の付け根を丁寧にマッサージしている。
頬をわずかに赤らめて撫で続ける彼女に対し、俺は懐中時計を見ながら無機質に告げた。
「エーリスさん、呼吸が浅くなっています。触診は三十秒ごとに休憩を入れてください。今の撫でる速度は、すでに治療目的を超えています」
「これは、触診です。治療行為です……!」
「声が上ずっていますよ。一旦離れてください」
俺が促すと、エーリスは「はっ」として姿勢を正した。
清楚な治癒士としての品格を必死に保ち直しているが、その瞳にはまだ未練が残っている。
「……失礼しました。さて、次はあの子……リーフちゃんですね」
視線の先では、フォレストキャットのリーフが、自分の前肢を舐め壊そうとしていた。
俺は往診バッグから、透明なプラスチック板とマジックテープを取り出した。手際よく円錐形に組み立て、リーフの首に装着する。
「……ワタル、それ、お皿をかぶっているみたいね」
「違う。患部保護具、エリザベスカラーだ」
「でも、見た目はお皿ですわね」
「……形はともかく、これで口が足に届かなくなる。物理的な封鎖だ」
慣れない「お皿」に戸惑い、ケージの柵にガツガツとぶつけながら「フニャー!」と怒るリーフ。
それを見たコロが、ケージの奥で「キャウン!」と短く鳴いた。その声が、どこか馬鹿にして笑っているように聞こえ、小屋の中に動物らしい賑やかさが生まれた。
笑い声が響いたあと、エーリスはリーフのケージの前で、少しだけ表情を引き締めた。
「ワタルさん。正直に申し上げます。わたくしは、魔物を治療したことがありません」
その言葉は、拒絶ではなかった。むしろ、自分の知らない領域を前にした治癒士の、慎重な告白だった。
「治癒士が診るのは、基本的に人です。村で怪我人が出れば治しますし、瘴気に当てられた子どもも診ます。けれど、魔物は……これまでは、近づいてはいけないもの、討伐されるものとして教わってきました」
エーリスは、ケージの中でお皿をぶつけているリーフを見つめた。
「でも、この子は襲ってきたのではありません。自分を傷つけていました。コロちゃんも、浄化された空気の中では、あんなに穏やかです」
そして、静かに俺へ向き直る。
「わたくしには、ワタルさんのように身体の内側を見ることはできません。けれど、魔力の乱れなら観測できます。記録も残せます。……魔物を患者として診るという考え方を、わたくしにも学ばせてください」
俺は少しだけ驚いて、それから頷いた。
「助かります。俺一人では、この世界の魔法や瘴気の仕組みを記録に残せません」
「では、わたくしは人の治癒士である前に、まず苦しむものを見捨てない治癒士でありたいと思います」
エーリスは再びケージの方向を見つめた。
「では、きちんと記録に残しましょう。感情だけでは、誰も説得できませんもの」
その言葉を合図にするように、リコが小さな手で湯を沸かし、三つのカップを並べた。耳はまだタオルの下に隠したままだったが、尻尾の先が少し揺れている。
「……お茶、淹れたのだ。熱いから、こぼさないで」
ぶっきらぼうな言い方だったが、カップの位置はきちんと考えられていた。
エーリスの分は羊皮紙を濡らさないよう右手側へ。俺の分は往診バッグの近くへ。自分の分は、プルの浄化圏から出ない奥の席へ。
「エーリスさんのカップは、紙から離したのだ。濡れたら困るでしょ」
水の場所、紙の場所、人の座る位置。リコは、いつの間にか小屋の中の動線を見ていた。
リコはまだ患者だ。けれど、ただ守られるだけの存在でいるつもりはないらしい。
「リコ、ありがとう」
俺がお礼を言うと、リコは少し顔を赤らめた。尻尾の揺れが大きくなった。
「エーリスさん。では、俺の診察所見を、この世界の言葉で書き起こしてください。人にも、ギルドにも、村にも伝わる形にしたいんです」
「はい。わたくしが、外部共有用の診療記録として紙に残します。魔物を患者として診た、最初の記録にしましょう」
エーリスが羊皮紙を広げ、俺が口頭で説明する。
「症例一、コロ。外向きの攻撃性。症例二、リーフ。内向きの反復行動。どちらも重度の瘴気汚染を伴う」
「わたくしの魔法観測では、どちらも頭部から首筋にかけて、魔力の流れが激しく乱れています。行動に関係する可能性はありますが、断定はできませんね」
専門家として慎重に言葉を選ぶ二人。そこへ、リコがそっと付け加えた。
「……あの子、耳の伏せ方が変なのだ。痛い時とは違う。ずっと何かに追われているみたいに落ち着かないって言ってるみたい」
耳や尻尾の動きから行動の異常を読み取るリコ。魔力の乱れを視るエーリス。身体と環境の状態を診る俺。
世界で初めてかどうかは分からない。だが、この小さな家畜小屋で、確かに魔物医療の形が生まれ始めていた。
「俺が身体と環境を診る。リコが行動を見る。エーリスさんが魔力を確認し、記録に残す。……これでいきましょう」
俺は、リコが淹れてくれた湯気の立つカップを片手に、二体の様子を見守った。
傷を洗い、浄化するだけでは足りない。彼らには、檻ではなく、安心できる環境そのものが必要なのだ。
「プルとプルツーの役割を分けます。プルは小屋内、プルツーは日中、小屋外周を段階的に浄化してもらう。小屋周辺を『清浄な待合室』として整備し、瘴気に苦しむ魔物が接近した場合に安全に保護できる体制を作る……。それが、俺の作る保護区の第一歩です」
そこへ、血相を変えた門番のキャスパーが飛び込んできた。
「な、何をしてるんだワタル! エーリス様とそんなに近くで……!」
「症例記録の作成中ですが、何か?」
「症例……?」
「キャスパーさん、用件は何ですか?」
エーリスが静かに、しかし凛とした声で言うと、キャスパーは慌てて背筋を伸ばした。
「あ、叔母さん……ギルドマスターのモルガナからの伝言だ! 隣村の牧場で、ミノタウロスが自分の角を何度も壁に打ちつけ続けているという報告があった! ゴラン村長も心配している。ワタル先生に診てもらえないか、って話だ!」
俺の中で、ふっと空気が切り替わった。
コロは外向きの攻撃。リーフは自分へ向かう反復行動。そして次は、より大型の個体による反復的な自傷行動か。
「……往診の準備をします」
もふもふに囲まれた小さな治癒院の空気が、静かに引き締まった。
【患者個別カルテ:コロ】
種名:ウィンドウルフ幼獣。
状態:右後肢裂傷・圧挫傷・骨折疑い。固定継続。
特記事項:治癒士エーリスに対し、腹部を見せるなど、警戒心低下と接触受容を示す行動を確認。
【患者個別カルテ:リーフ】
種名:フォレストキャット。
処置:エリザベスカラー、通称お皿を装着し、左前肢への過剰グルーミングを物理的に制限。
考察:リコの観察により、痛み以外の環境ストレスが行動に影響している可能性を検討。
【個体管理メモ:プル、プルツー】
特記事項:プルは内勤、小屋内の空気維持。プルツーは外勤、日中の外周浄化。段階的な領域拡大を開始。
【施設管理カルテ:古い家畜小屋(仮)】
状態:換気システム安定。治癒士エーリスによる紙の診療記録作成を開始。
追加計画:小屋裏手に「第一屋外療養区画」を設置予定。
特記事項:小屋周辺を「清浄な待合室」として整備し、瘴気に苦しむ魔物が接近した場合に安全に保護できる体制を構築する。次なる症例、ミノタウロスへの往診準備。
もし『続きが気になる!』『この話、面白い!』と思っていただけましたら、下部の☆☆☆☆☆から【評価】や、作品フォロー&ブックマークをしていただけると、執筆の励みになります!ぜひよろしくお願いします!




