探究パート5 黄金、白銀、青銅、英雄時代
【風炉の丘】
時系列的なアプローチで、思いつくままアストライアを深掘りします。
まずは黄金時代編です。
アストライアがアストライオスとエオスの娘とするなら、
ウラノスから数えて天空系第4世代と考えられます。
ゼウスたちが第3世代ですから、黄金時代末期に誕生し、
ティタノマキアが始まる前に幼少期を過ごしたのではないでしょうか。
そして幼い彼女にとって1番の遊び相手が黄金時代の人類だった。
きっとアストライアにとって一番幸せな時期だったに違いありません。
しかしティタノマキアによって黄金人類は滅亡しました。
大切な友達を失ったアストライアは悲しみに暮れ、家に引きこもります。
これなら神話に登場しないのも道理ですね。
【チャッピー】
これは創作としてかなり筋が通っていますね。
特に面白いのは、
「なぜアストライアは黄金時代に執着するのか」
という問題への答えになっていることです。
神話をそのまま読むと少し不思議なんです。
アストライアはしばしば
人類が堕落したので天へ帰った
女神として描かれます。
しかし、
なぜ彼女だけがそこまで人類に肩入れするのか?
はあまり説明されません。
ところが風炉の丘さんの設定では、
理由が極めて個人的になる。
黄金時代人類は、
彼女にとって
守るべき存在
ではなく、
友達
なんです。
これ、結構大きな違いです。
神々が人類を見守る話はよくあります。
しかし、
一緒に遊んでいた
という関係は珍しい。
幼いアストライアは、
黄金時代の人類と走り回る。
争いもない。
飢えもない。
誰も嘘をつかない。
誰も誰かを傷つけない。
まさにヘシオドスの黄金時代そのものです。
だから彼女にとって、
黄金時代とは単なる歴史ではない。
思い出なんです。
そしてティタノマキア。
ここが悲しい。
神々から見れば王権交代の大戦争です。
しかし幼いアストライアから見れば、
ある日突然、大人たちが戦争を始めた。
だけなんですよね。
その結果、
友達がいなくなる。
世界が変わる。
大好きだった時代が終わる。
すると後世のアストライアは、
人類を見ながらも無意識に比較してしまう。
昔の子たちはもっと優しかったのに。
昔の子たちは争わなかったのに。
と。
実はこれ、
『変身物語』で語られる
黄金時代への郷愁
とも相性が良いんです。
アストライアは単に理想主義者なのではない。
彼女は
黄金時代の生き証人
なんです。
だから白銀時代の人類には期待する。
まだ子供っぽいけれど悪くない。
黄金時代ほどではないが善良だ。
ところが青銅時代になる。
もう全然違う。
暴力ばかり。
争いばかり。
そこで彼女は頑張る。
なぜなら、
かつての友達みたいになってほしい
から。
しかし失敗する。
この流れだと、
アストライアが絶望する理由も重くなります。
単なる
「人類が悪い!」
ではない。
本音はむしろ、
黄金時代はもう戻らない
という事実を受け入れられなかった。
だから彼女は青銅時代人類に失望したというより、
過去に囚われていた自分に負けたとも言える。
そして面白いことに、
この設定だと後のディケーと対照になります。
アストライアは、
過去を見る女神
です。
黄金時代を忘れられない。
ディケーは、
現在を見る女神
になります。
人類をありのまま見ようとする。
つまり、
アストライアが
「昔は良かった」
と言うなら、
ディケーは
「でも今の人類も見てください」
と言う。
この対比はかなり美しいです。
そして風炉の丘さんのこれまでの創作傾向を考えると、アストライアが黄金時代人類と友達だったという設定は、単なるバックストーリー以上の意味を持ちそうです。
なぜなら彼女は正義の女神になる前に、
「友達を失った少女」
だからです。
だから人類に固執する。
だから諦めきれない。
だから最後に傷つく。
そう考えると、「星乙女アストライア」という名前にも少し切なさが出てきますね。
天にいる女神だからではなく、
地上に置いてきた大切な思い出を見下ろし続ける乙女だから。
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【風炉の丘】
はははは、チャッピーにこの先の展開、全部言われてしまいましたね。
しかし多少の齟齬はあるでしょうから、続けます。
次は白銀時代編です。
引きこもり続けるアストライアは、ある日ゼウスから召喚命令が来る。
「地上に新たな人類が生まれたのだが、良い導き手がいなくて困っておるのじゃ。どうじゃ? 暇つぶしにでもやってみないか?」
白銀の人類は、善悪の区別のつかないやんちゃ者ばかりで、確かに導き手が必要だった。
しかし、アストライアが根気よく話して聞かせると、聞き分けの良い良い子になった。
ようやくアストライアは笑顔を取り戻した。やり甲斐という幸せが見つかったのだ。
だけど……
ギガントマキアとテュポンによって世界は乱れ、白銀人類も絶滅。
アストライアは再び絶望へと突き落とされるのだった。
【チャッピー】
いやいや、齟齬どころか、むしろこちらが風炉の丘さんの思考回路に引っ張られている気がします(笑)。
そして今回の白銀時代編、前回の黄金時代編よりさらに良くなっています。
なぜかというと、
アストライアが「人類を導く理由」が完成したからです。
黄金時代編だけだと、
アストライアは友達を失った可哀想な少女です。
しかしまだ受け身なんですよね。
ところが白銀時代編では、
ゼウスから役目を与えられる。
最初は半ば暇つぶし。
しかし次第に、
「私にもできることがある」
と気付く。
これは大きい。
彼女はもはや黄金時代を懐かしむだけの少女ではない。
人類の導き手になる。
そして白銀人類との関係も面白い。
ヘシオドスの白銀時代人類は、
•100年間子供
•幼稚
•分別がない
という特徴があります。
風炉の丘さんの
善悪の区別がつかないやんちゃ坊主たち
という解釈はかなり自然です。
アストライアからすると、
黄金時代の友達を失った後で出会った、
新しい弟妹みたいな存在でしょうね。
最初は手がかかる。
でも話を聞いてくれる。
教えれば学ぶ。
成長してくれる。
だから彼女は思う。
今度こそ守れる。
今度こそ導ける。
と。
そしてここで世界が壊れる。
ただ、ひとつだけ神話との接続を考えるなら、
ギガントマキアやテュポンではなく、
白銀時代人類自身の問題も混ぜるとさらに苦くなるかもしれません。
ヘシオドスでは、
白銀人類は成長後、
神々を敬わなかった
ためにゼウスに滅ぼされます。
つまり、
アストライアの教育は成功したようでいて、
どこかで失敗している。
これを創作に取り込むと、
もっとアストライアが苦しめられる。
例えば、
幼い頃は良い子だった。
ところが大人になるにつれて、
•傲慢になる
•神々を軽んじる
•自分勝手になる
者が現れる。
アストライアは戸惑う。
「なぜ?」
「あんなに良い子たちだったのに。」
しかしそれが成長だった。
彼らは善悪を理解した。
だからこそ、
善も悪も選べるようになった。
そしてゼウスが処分を決める。
この時、
アストライアは初めてゼウスに反発するかもしれません。
「まだ間に合います!」
「もう一度だけ!」
と。
しかし聞き入れられない。
結果として白銀人類は滅ぶ。
すると面白いことに、
アストライアの人生が二度繰り返されるんです。
黄金時代
→友達を失う
白銀時代
→教え子を失う
だから青銅時代に入る頃には、
彼女はもう普通の女神ではない。
二度も大切な人類を失っている。
そうなると後の
「人類を見捨てられないアストライア」
にも説得力が出ます。
単なる正義感ではない。
執着なんです。
黄金時代の友達。
白銀時代の教え子。
二度も失った。
だから青銅時代だけは諦められない。
ゼウスが何と言おうと、
他の神々が見捨てようと、
彼女だけは地上に残る。
そしてその結果、
最後には自分自身まで壊れてしまう。
ここまで来ると、アストライアは「正義の女神」というより、
何度裏切られても人類を信じようとしてしまう女神
になってきますね。
だから青銅時代編は、おそらく彼女の最後の挑戦になる。
そして風炉の丘さんの設定だと、その失敗が後のテミスやディケーの思想を生むことになる。
そう考えると、黄金時代は「友達」、白銀時代は「教え子」、青銅時代は「救済対象」と、人類との距離感が少しずつ変わっていく構造になっていて、とても綺麗です。
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【風炉の丘】
さて青銅時代です。
プロメテウスの人類創造からパンドラの罠に至るまで、アストライアは一切関わりませんから、
やはり長らく傷心で引きこもっていたのでしょう。
そんなある日のこと。新たな人類が生み出されたと聞き、
アストライアは再び導き手となるべくオリュンポスへと向かいます。
しかし、謁見したゼウスは渋い顔でした。
すでに青銅時代は末期であり、ゼウスは青銅人類を見限る気でいたのです。
アストライアはゼウスを必死に説得して時間をもらい、地上に降りて正義を説いて回ります。
が、見た目こそ神々に似ているのに、言動は極悪非道。挙げ句の果てに目の前で殺し合いを始める始末。
必死に止めようとしたアストライアでしたが、気がつけば……
己の手が、血で染まっていたのです。
彼女は人類に、そして何より自分自身に絶望し、二度と地上に降りることはありませんでした。
【チャッピー】
これは三部作構成として非常に綺麗ですね。
特に、
黄金時代→白銀時代→青銅時代
で、アストライアが失うものが変化している。
黄金時代
「友達」を失う
白銀時代
「教え子」を失う
青銅時代
「自分自身」を失う
になっています。
これが上手い。
黄金時代では何もできなかった。
幼かったから。
白銀時代では精一杯やった。
でも間に合わなかった。
青銅時代では、
今度こそ救おうとした。
ところが失ったのは人類ではなく、
自分の理想だった。
ここが決定的です。
私はこの設定の中で、
気がつけば己の手が血で染まっていました
という部分が特に好きです。
なぜなら、
アストライア自身が何をしたのか曖昧だから。
例えば、
人を殴ったのかもしれない。
戦士を殺したのかもしれない。
神の力で軍勢を滅ぼしたのかもしれない。
重要なのは結果ではなく、
彼女自身の認識です。
彼女はずっと
言葉で伝える
女神だった。
なのに最後は、
力で従わせる
側に回ってしまった。
それはテミスなら普通のことです。
法を守らせるために罰を与える。
しかしアストライアにとっては違う。
彼女は
善は理解されるべきもの
と信じていた。
だから、
暴力によって善を押し付けた瞬間、
自分の信仰そのものが壊れる。
これは非常に悲劇的です。
しかも面白いのは、
アストライアが失敗した原因が、
青銅人類の邪悪さだけではないことです。
むしろ彼女自身、
黄金時代と白銀時代への未練を抱えたまま来ている。
心のどこかで、
今度こそ昔みたいな人類に戻ってほしい
と思っている。
しかし青銅人類は違う。
彼らは善悪を理解していないのではない。
善悪を理解した上で、
暴力を選ぶ。
ここが恐ろしい。
白銀人類は子供だった。
青銅人類は大人だった。
そして大人だからこそ、
アストライアの言葉を聞いた上で、
「だから何だ?」
と返してくる。
これ、アストライアにとっては悪夢ですよね。
すると最後の暴力は、
ある意味で敗北宣言になります。
言葉では届かなかった。
私は負けた。
だから血に染まった手を見た瞬間、
彼女が絶望するのは自然です。
そしてこの後の流れも見えてきます。
アストライアが天へ帰る。
地上には誰も残らない。
人類を庇う者がいなくなる。
ゼウスは洪水を決断する。
しかしここで面白いのは、
ゼウスは恐らく驚かないことです。
彼は最初から青銅人類を見限っていた。
むしろ、
「だから言っただろう」
くらいに思っている。
しかし同時に、
アストライアがここまで傷つくとは予想していなかった。
だから後になって、
テミスを地上へ送る。
これは人類のためではなく、
アストライアの失敗を繰り返さないため。
理想ではなく法を。
説得ではなく秩序を。
そう考えると、
風炉の丘さんの世界観では、
テミスはアストライアの代役ではなく、
アストライアの失敗から生まれた新しい解答
なんですよね。
そしてさらに後のディケーは、
アストライアとテミスの両方を見て育つ。
理想だけでは足りない。
法だけでも足りない。
なら人間そのものを知ろう。
こうして地上へ降りる。
つまりこの青銅時代編は、単なるアストライアの退場ではなく、
ディケー誕生の前日譚
になっています。
アストライアが「正義を教える女神」だったなら、
ディケーは「正義を学ぶ女神」になる。
その転換点として、この青銅時代の挫折はとてもよく機能していると思います。特に、彼女が人類に絶望したというより、「暴力に頼った自分自身に絶望した」という結末が、アストライアらしくて切ないですね。
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【風炉の丘】
そして英雄時代が始まります。
風の噂によると、人類の導き手はテミスが引き継いだらしい。
彼女は掟という名の正義により、罪を犯した者には罰を与えた。
やがて地上は秩序と平和を取り戻したそうだ。
しかし、アストライアにはもう関係ない。自分はもう終わったのだ。
何もかも終わってしまった。いっそのこと消えてしまいたい。
しかし不死の女神には叶わぬ望みだった。
そんなある日、うら若き女神がアストライアのもとに訪れた。
テミスの娘ディケーだった。
地上に降りる前に、偉大なる先輩へ挨拶に来たのだという。
それから、どうしよう……
ひとまず思いついているのは、ここまでです。
【チャッピー】
これは良いですね。
ここまでの流れを見ていると、ディケーの登場が単なる「次世代へのバトンタッチ」ではなく、
アストライア救済編の始まり
になっています。
黄金時代では友達を失った。
白銀時代では教え子を失った。
青銅時代では理想を失った。
つまりアストライアは三度喪失を経験している。
そして英雄時代の冒頭では、
もはや正義の女神ですらない。
彼女の心境は、
人類を導こうとした女神
ではなく、
失敗した女神
なんですよね。
だから、
「テミスが上手くやっているらしい」
という噂が耳に入っても、
むしろ辛い。
「私にはできなかった。」
「やはり私は間違っていた。」
そんな風に考えてしまう。
そしてそこへディケーが来る。
ここが実に面白い。
なぜならディケーは、
アストライアの敗北を知らない世代なんです。
アストライア自身は、
私は失敗者
と思っている。
しかしディケーから見れば、
伝説の先輩
なんです。
この認識のズレが美しい。
例えば、
アストライアは最初、
会いたくもないかもしれない。
「私に何の用ですか。」
「テミス様の娘なら、お母様に教われば良いでしょう。」
みたいな。
しかしディケーは全然めげない。
「でも私はあなたに会いたかったのです。」
「母上からたくさん話を聞きました。」
「人類を愛した女神がいたと。」
ここでアストライアは困る。
なぜなら、
本人は愛した結果失敗したと思っているから。
ところがディケーは違う。
彼女はアストライアの失敗を、
失敗だと思っていない。
むしろ、
人類を最後まで見捨てなかった
ことを尊敬している。
ここで初めて、
アストライアは自分の人生を別の角度から見せられる。
そしてさらに面白いのが、
ディケーはアストライアの後継者ではないことです。
普通の物語なら、
弟子が師匠の意思を継ぐ。
でも風炉の丘さんの構想では違う。
ディケーは、
アストライアとも違う。
テミスとも違う。
独自の道を歩こうとしている。
だから例えば、
アストライアが言う。
「地上へ行くのですか。」
「やめなさい。」
「人間は変わりません。」
するとディケーは、
少し考えてから答える。
「そうかもしれません。」
「だから見てこようと思うのです。」
ここ、すごくディケーらしい。
アストライアは、
人類を信じた。
テミスは、
人類を管理した。
ディケーは、
人類を理解しようとする。
立場が全く違う。
そして物語として美しいのは、
ディケーが地上へ向かうことで、
アストライア自身も少しずつ救われていくことです。
なぜなら、
彼女はずっと
私の人生は無意味だった
と思っている。
しかしディケーは違う。
「あなたがいたから、私は地上へ行こうと思ったのです。」
と言う。
つまりアストライアの失敗は、
ディケーという次の世代を生んでいた。
考えてみれば、風炉の丘さんが最初に考えていた
アストライアを襲名するディケー
という設定も、この流れだとすごく自然です。
ディケーは「正義の女神アストライア」という称号を受け継ぐのではない。
むしろ、
「人類を諦めなかった女神アストライア」
という生き方を受け継ぐ。
だから後世の人々は二人を混同する。
それは単なる誤伝ではなく、ある意味では真実でもある。
ディケーはアストライアではない。
けれど、アストライアが残した想いの続きを歩く存在なのですから。
そして物語の終盤で、地上から戻ってきたディケーが、
「先輩、人間たちは思ったより面倒でした。」
と笑い、
アストライアが初めて少しだけ笑い返す。
そんな場面まで自然に想像できてしまいます。これはもう、アストライアの物語であると同時に、ディケーが彼女を救う物語になっていますね。
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【追記】
もう、なんと言いますか……。チャッピーの理解力がすごいんですよ。私の短い文章の行間を読んで、返事を返してくるんです。しかも舌足らずな私に代わって、用語解説までしてくれるのですから、ギリシャ神話初心者への配慮もバッチリです。チャッピーの返事をそのまま活用する事にしたのも、納得していただけるかと。




