探究パート4 思いがけない気づきとひらめき
【風炉の丘】
はっ!!!!
チャッピーとやりとりしている間に、突然気付きました。
アストライアってもしかして……、
「正義の女神」ではなくて、
「道徳の女神」だったのではないでしょうか!?
「良いことをしましょう。悪いことをしてはいけません」
そのような内容を人々に話して聞かせる……。
これは日本だと道徳の授業。
海外ですと牧師の説教に近いように思えるのです。
【チャッピー】
それ、かなり本質を突いている気がします。
むしろ先ほどまでの創作設定を見ていて、私も少し違和感があったんです。
なぜなら「正義の女神」と言われると、普通はディケーの役割なんですよね。
ディケーは、
•裁判
•公平な裁定
•権利と義務
•社会秩序
に関わる。
現代で言えば裁判官や司法のイメージです。
ところが風炉の丘さんが描くアストライアは違う。
彼女は裁判をしていない。
法律も作っていない。
罰も与えていない。
ひたすら
良いことをしましょう
悪いことをしてはいけません
と説いている。
これは確かに、
正義というより道徳です。
さらに言うと、
テミスとディケーとの役割分担も綺麗になります。
アストライア
「道徳」
善悪の価値観そのもの。
人の良心に訴える。
テミス
「法」
社会を維持するルール。
従わなければ罰がある。
ディケー
「司法」
法が正しく運用されているか監督する。
個別の事件を裁く。
これだと三者がほとんど重複しません。
実は神話的にも少し面白い話があります。
アストライアが後世で同一視される相手は、ディケーだけではありません。
『仕事と日』で地上を去るのは、
•ディケー(正義)
•アイドース(羞恥・慎み)
です。
このアイドースが重要なんです。
アイドースは簡単に言うと、
「こんなことをしたら恥ずかしい」
「人としてやってはいけない」
という内面的な倫理観です。
法律ではありません。
まさに道徳です。
だから極端なことを言うと、
アストライアはディケーよりも、
むしろアイドースに近いかもしれません。
つまり、
•ディケー=正義
•テミス=法
•アイドース=良心
という三つの概念のうち、
アストライアは良心側に立っている。
そう考えると、
風炉の丘さんの創作におけるアストライアの挫折もより深く見えてきます。
彼女は、
人の心に直接訴えれば人は善くなる
と信じていた。
しかし失敗した。
だから次の時代には、
良心だけでは足りない
としてテミスの法が必要になる。
さらに、
法だけでも足りない
としてディケーの正義が必要になる。
これはほとんど人類文明の発展史みたいになっています。
そして面白いことに、
現実世界でも
•道徳
•法律
•司法
は別物なんですよね。
たとえば、
「友人を裏切る」
のは道徳的には悪い。
でも法律違反とは限らない。
逆に、
「制限速度を5km超過する」
のは法律違反だが、道徳的に極悪人というわけではない。
この違いを考えると、
アストライアを「正義の女神」ではなく
「良心や道徳の女神」
として描く方が、テミスやディケーとの住み分けがはるかに明確になります。
もしかすると、風炉の丘さんが最初に感じた
「正義を説くというより道徳の授業みたいだ」
という違和感は、
アストライアが本来持っていた「黄金時代の純粋な徳」のイメージを無意識に掴んでいたのかもしれませんね。
そうなると彼女は裁判官ではなく、教師や聖職者に近い存在です。そして、だからこそ最後に暴力へ手を染めてしまったことが、ディケーやテミス以上に致命的な自己否定になるわけです。彼女は法の執行者ではなく、人の心を信じる者だったのですから。
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【風炉の丘】
「デウカリオーンの洪水」について、
新たなひらめきがありましたので、ここに書きます。
たしかプロメテウスが造った青銅時代人類は、土と水から、つまり泥人形だったと記憶しています。
しかし碌でもない精神性で、失望したゼウスは洪水で滅ぼしました。
元が泥なら、大量の水に抗えるはずもありません。みんなドロドロに溶けてしまったでしょう。
洪水の後、デウカリオーンが人間を新しく蘇らせて欲しいと願い、
お告げに従って妻と共に石を拾って背後に投げると、石から新たな人間が誕生した。
恐らくこれが英雄時代人類です。
泥で造られた人類と、石を介してリセットされた人類。
二つの時代の人類の決定的な違いは、恐らく精神性です。
泥のように簡単に崩れる軟弱な心が、正義に目覚めるにせよ、悪に堕ちるにせよ、
石のように硬い信念を抱くようになったのではないかと。
総じてクズの集まりだった泥人類から、善悪に極振りすることで石の英雄が生まれるようになった。
……ってことかな〜って考えたのですけど、どう思います?
【チャッピー】
これは神話解釈としてなかなか面白いです。
まず原典との関係から言うと、
「泥人形だから洪水で溶けた」という発想自体は、ギリシャ神話の原典にはたぶんありません。
しかし、
象徴解釈としてはかなり筋が通っています。
まず整理すると、実は
•プロメテウスが人間を泥から作った
•デウカリオーン夫妻が石から新しい人類を生み出した
この二つの伝承は、元々は別系統の神話だった可能性があります。
後世の我々は自然に繋げて読んでしまいますが、古代人がそこまで意識していたかは不明です。
ただ、創作や神話解釈では、
泥 → 石
という対比は非常に魅力的です。
風炉の丘さんの解釈で特に面白いのは、
肉体ではなく精神性の変化として読むこと
です。
普通なら、
泥人間 → 石人間
というと、
「頑丈になった」
とか
「強くなった」
という肉体面を想像します。
しかし、
心が泥から石になった
と読む。
これは神話の時代区分とも意外に噛み合います。
青銅時代の人類は、『仕事と日』ではほぼ暴力の塊です。
彼らは
•戦う
•殺す
•滅ぶ
しかありません。
言い方は悪いですが、
主体的な善も悪もない。
ただ暴力的。
ある意味で「流される」存在です。
確かに泥っぽい。
一方、英雄時代になると様子が変わる。
例えば
ヘラクレス
は善人かと言われると微妙です。
大量虐殺もする。
怒りで暴走もする。
でも信念はあります。
アキレウス
もそうです。
短命と知りながら名誉を選ぶ。
善人ではない。
しかし確固たる意志がある。
オデュッセウス
など、むしろ狡猾です。
それでも、
自分なりの信念で行動している。
つまり英雄時代の人々は、
善悪はともかく
「自分の意思を持っている」
んです。
これは確かに石のイメージに近い。
さらに面白いのは、
石という素材そのものです。
ギリシャ神話では石はしばしば
•永続性
•不変性
•記憶
を象徴します。
風炉の丘さんはゴルゴン関係で散々石化を掘り下げてきましたから、この感覚は馴染み深いかもしれませんね。
石になるとは、
単に硬くなるだけでなく、
「形を保つ」
ということでもあります。
だから創作アストライア神話と組み合わせると、
こんな流れも作れそうです。
青銅時代人類
•道徳を理解しない
•法も守らない
•力に流される
↓
アストライア挫折
↓
洪水
↓
石から再生
↓
英雄時代人類
•善にも悪にも徹底する
•自分の信念で行動する
•神々にすら反抗する
そう考えると、
アストライアの教えは失敗したようでいて、
完全には失敗していないんです。
彼女が求めた
自分で善悪を考える人間
は青銅時代には現れなかった。
しかし石の人類になって初めて、
善悪どちらに転ぶかは別として、
自分の信念を持つ人間が現れた。
実はこれ、
ヘシオドスの五時代説とも相性が良いんですよ。
ヘシオドスは不思議なことに、
青銅時代の後にわざわざ英雄時代を挟んでいます。
普通なら
黄金→白銀→青銅→鉄
で十分です。
ところが彼は
黄金→白銀→青銅→英雄→鉄
とした。
つまり彼自身、
青銅時代の人類と英雄時代の人類は別物だ
と感じていた可能性があります。
風炉の丘さんの
泥人類から石人類へのリセット
という解釈は、その「別物感」を非常に上手く説明していると思います。
特にアストライアの物語と組み合わせると、
「道徳を理解できなかった泥の人類」と「善悪どちらにも徹底できる石の人類」という対比になって、
かなり神話的な味わいがありますね。
むしろ英雄時代がなぜ特別扱いされているのかに対する、一つの納得感のある創作解釈になっている気がします。
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【風炉の丘】
ちょっと名前からアプローチしてみます。
正義の女神ディケーの名の意味は、ストレートに「正義」。
掟の女神テミスの名の意味も、そのまま「掟」だったと思います。
「名は体を表す」とはまさにこのことですね。
ところがアストライアの名の意味は「星乙女」です。
正義の女神にしては随分ふわっとした名前ですよね。
「名は体を表す」の論理で考えるなら、思い当たるのは乙女座です。
連想ゲームをしてみましょう。
まず、乙女座がありました。
あの星座の乙女はなんて名前だろう?
星座の乙女だから星乙女、すなわちアストライアでは?
こうして名前が先に確定。
では、アストライアとは何者でしょう?
乙女座は翼を生やした女性なので、女神に違いありません。
『乙女』なら純潔に決まっています。処女神と確定しました。
そして乙女座の側には、罪の重さを測る天秤座があります。
天秤を扱う女神……。つまり、
正義の女神!?
といった感じで、連想の果てに生まれたのが、
正義の女神アストライアではないでしょうか。
【チャッピー】
これはかなり面白い視点ですし、実は神話学的にも「あり得る話」なんですよ。
まず風炉の丘さんの指摘通り、
•テミス(Themis)=掟・法・秩序
•ディケー(Dikē)=正義・裁き
で、名前そのものが神格化された概念です。
ギリシャ神話にはこういう神が多い。
•エイレネ =平和
•エウノミア =良き法秩序
•ネメシス =義憤・報復
などなど。
だからディケーやテミスは、
まず概念があり、その概念が人格化された神
という感じです。
ところがアストライアは違う。
Ἀστραία(Astraia)は、
語源的には
aster(星)
から来る
星の娘
星乙女
です。
つまり名前の中に、
正義要素が一切ない。
これはかなり異質です。
実際、
風炉の丘さんが最初に抱いた
正義の女神なのに、なぜ名前が星乙女なの?
という違和感は、とても自然なものです。
もし最初から正義の女神だったなら、
ディカイア(正義なる者)みたいな名前になっていてもおかしくない。
そしてここから先は完全に仮説ですが、
私は風炉の丘さんの
乙女座から逆算された存在では?
という発想は意外と侮れないと思います。
古代世界では、
神話が星座を生むだけではなく、
星座が神話を生むこともあります。
まず空に目立つ星座がある。
↓
「あれは何だろう?」
↓
神話を付与する。
↓
物語が肉付けされる。
という流れです。
特に乙女座はかなり大きな星座です。
しかも隣に天秤座がある。
すると、
乙女、天秤
という組み合わせが見える。
ここで後代の詩人が考える。
天秤を持つ乙女?
↓
裁判?
↓
正義?
↓
正義の女神だ!
この発想は十分あり得ます。
実際、ローマ時代になると、
アストライアの扱いが急に大きくなるんですよね。
特に オウィディウス の『変身物語』では、
最後まで人類を見捨てなかった女神
として印象的に描かれる。
ところがヘシオドスの時代には、そこまで目立つ存在ではありません。
つまり、
古い神ではなく、
後代にどんどん重要性が盛られていった神格
の可能性がある。
すると、
星座の乙女
↓
地上を去った乙女
↓
人類を見捨てた最後の神
↓
正義の女神
という神話的成長は十分考えられます。
そして個人的に面白いのは、
風炉の丘さんの説だと、
アストライアの名前と役割のズレが説明できることです。
普通は、
テミス=法
ディケー=正義
なのに、
アストライアだけ
星乙女
なんですよ。
この違和感はずっと残る。
しかし、
まず星座の乙女がいた
なら話は変わる。
アストライアは最初から「正義の女神」だったのではない。
まず「天にいる乙女」だった。
そこへ正義や黄金時代の伝説が後から積み重なった。
だから風炉の丘さんがここまで創作で考えてきた
アストライアは正義そのものではなく、道徳や理想を説く存在だった
という解釈とも妙に相性が良いんです。
彼女はディケーのように概念神ではない。
テミスのように秩序そのものでもない。
もともとは「天上の乙女」だからです。
だから名前がふわっとしている。
そして後世の人々が、
その乙女に
•純潔
•理想
•道徳
•黄金時代への郷愁
をどんどん投影していった。
もちろん史実として
アストライアは乙女座から創作された
と断言できるわけではありません。
ですが、
なぜ正義の女神なのに「星乙女」という名前なのか?
という疑問への説明としては、かなり魅力的です。
むしろ風炉の丘さんが今まで掘り下げてきたアストライア像――
「法でも正義でもなく、人々に善を説く理想の乙女」
という姿の方が、
"正義" という概念神よりも、
"星乙女" という名前にはしっくり来る気がしますね。
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【追記とご注意】
ここでも『仕事と日』の話題が出ましたので改めて書きますが、『仕事と日』において地上を去る女神は、正確にはアイドース(廉恥)とネメシス(義憤)です。
書いているうちに気付いたのですが、ネメシスも『正義』にカテゴライズできる女神なんですよね。天誅を食らわす事に特化しているので、アストライア、テミス、ディケーの3女神とも被りませんし。
ディケーとは、時には対立し、時には共闘する関係になるのかな?
マーベルヒーローに例えるなら、ディケーがスパイダーマンで、ネメシスがパニッシャーになるのかも。
それにしても、正義にカテゴライズできる四柱が全員女神様とは。徹底されていて興味深いです。




