チャッピーと探究3 新たな妄想に挑んでみる
【風炉の丘】
チャットしてるうちにピキーンと閃いたので、妄想書きます。
黄金時代の人類は素晴らしい種族だった。話すまでもなく善悪を理解できていた。
白銀時代の人類は100歳まで子供なので、正義を説く必要が出てきたが、アストライアの言葉を素直に聞く良い子たちだった。
だが青銅時代の劣化した人類から様子が変わってくる。卑怯で残酷で嘘つきな種族に成り果てていた。
神々は失望して天へ去り、ゼウスは人類のリセットを考える。
唯一残ったアストライアが必死に正義を説くも、人々は聞く耳を持たない。
つい力で従わせてしまい、自ら理想を否定した自分に絶望。アストライアは天へ引きこもってしまう。
庇う者がいなくなったので、ゼウスは「デウカリオーンの洪水」で青銅人類を滅ぼしてリセット。
新たな人類を生み出し、英雄時代へと突入する。
【チャッピー】
おお、これはかなり綺麗につながりますね。
特に感心したのは、
アストライアの退場と洪水神話を因果関係で結び付けたこと
です。
原典では、
•人類が堕落する
•ゼウスが怒る
•洪水を起こす
という流れですが、
「なぜ今まで我慢していたゼウスが、ついに決断したのか」
は意外と曖昧です。
そこへ、
最後まで人類を信じていたアストライアが諦めた
というワンクッションを入れる。
するとゼウスの行動に納得感が出ます。
むしろこの場合、ゼウスは最初から滅ぼしたかったのかもしれません。
青銅時代の人類は『仕事と日』でもほとんど救いようがありません。
•戦争大好き
•暴力大好き
•青銅の武器ばかり作る
•最後は自滅
という連中です。
ゼウスから見れば、
「もうダメだろ、こいつら」
だったはず。
しかしアストライアだけは言う。
「まだ希望があります」
「私が説得します」
「人は正義を理解できます」
だからゼウスも猶予を与える。
ところが結果は失敗。
さらに皮肉なのは、
アストライア自身が暴力を使ってしまうことです。
ここでゼウスは決定的な事実を突き付けられる。
正義の女神ですら暴力に頼った。
ならばこの時代は終わりだ。
というわけです。
そしてこの設定だと、
アストライアの失敗は無駄ではなくなるんですよね。
彼女が去ったから洪水が起きる。
しかし洪水後の世界には、
彼女の教えがわずかに残っている。
だから英雄時代が生まれる。
ここで英雄時代を挟むのも上手いです。
もし洪水後にすぐ鉄の時代へ行くなら、
アストライアの努力は完全な敗北になります。
しかし英雄時代がある。
つまり、
人類は一度だけ、アストライアの理想に近づいた。
とも解釈できる。
例えば創作的には、
洪水後の人類を見てアストライアが密かに地上を覗く場面がありそうです。
すると、
•ヘラクレス が怪物を倒して人々を救う
•ペルセウス が弱者を守る
•テセウス が共同体のために戦う
そんな姿が見える。
もちろん英雄たちも欠点だらけです。
しかし青銅時代の人類ほど絶望的ではない。
そこでアストライアは思う。
「私の言葉は届かなかった。」
「だが完全に無駄でもなかったのかもしれない。」
と。
そして神話好きとして特に惹かれるのは、
この構成だとアストライアが
プロメテウスに近い立場
になることです。
プロメテウスは人類を信じた。
ゼウスは人類に失望した。
アストライアもまた人類を信じた。
だが最後には自分が折れてしまった。
つまり、
プロメテウスが「火」を与えた存在なら、
アストライアは「正義」を与えようとした存在になる。
その結果として洪水神話が起きると考えると、ギリシャ神話の大きな流れの中にも意外と自然に収まっています。
むしろ今のお話を聞いていると、アストライアは単なる正義の女神ではなく、
「人類最後の弁護人」
みたいな役回りに見えてきますね。
だから彼女が天へ帰った瞬間が、人類の運命が決まった瞬間になる。これは物語としてかなり強い転換点だと思います。
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【風炉の丘】
先ほどの続きで、ここから英雄時代。
傷心のアストライアの代理でテミスが地上に降り、リセットされた人類に法の正義を説くことに。
ひとまず遵法精神の概念は理解させたが、逆らう者が後を絶たなかった。
テミスは秩序と平和のためなら、暴力が伴う正義の執行にも躊躇がない。
犯した罪にふさわしい罰を与えることで、悪人たちを「わからせ」るのだった。
ただし一点だけ問題があった。悪法もまた法なのだ。
それがテミスの……、法の正義の限界だった。
考えてみれば、テミスが2代目アストライアを継承するのは意味がないかも。
継承するのはディケーのみで、彼女がアストライアを名乗ったため、後世では同一視されるようになった…
という方が綺麗ですよね。
【チャッピー】
ええ、私も後半の案の方が綺麗だと思います。
というより、ここまで組み上げてみると、
•アストライア=理想の正義
•テミス=法の正義
•ディケー=人の正義
という三段階構造が見えてきます。
この場合、テミスは「アストライアを継承する者」ではなく、
アストライアの失敗を受けて生まれた解決策
なんですよね。
初代アストライアは、
人は正しさを理解すれば善くなれる
と信じていました。
だから言葉で説く。
しかし失敗した。
そこでテミスが出てくる。
テミスは言う。
理解できないなら従わせればよい。
秩序とは善意ではなく法によって維持される。
これは非常にテミスらしい。
彼女は理想家ではなく、宇宙秩序そのものですから。
ところが今度は別の問題が生じる。
風炉の丘さんが書かれた、
悪法もまた法
ですね。
これが実に面白い。
アストライアの弱点は「理想だけ」。
テミスの弱点は「秩序だけ」。
対照になっています。
例えば極端な話、
暴君が制定した法律でも、
テミスは法である以上それを執行するかもしれない。
なぜなら彼女の基準は
善か悪か
ではなく
秩序か無秩序か
だからです。
これは神話のテミスにも近い気がします。
テミスは人間の幸福を司る神ではなく、
宇宙の秩序を司る神ですから。
そこで登場するのがディケー。
彼女は母から法を学び、
伝説からアストライアの話を聞いて育つ。
そして思う。
理想だけでは人は救えない。
法だけでも人は救えない。
この時点で既に両者の欠点を理解している。
だからディケーは地上へ降りる。
これが上手い。
アストライアは人間を信じすぎた。
テミスは人間を理解しなかった。
ならば私は人間を知ろう。
という流れになる。
そしてディケーが「アストライア」を襲名する。
これは神話的にもかなり収まりが良いです。
後世の人々から見れば、
天から降りてきた正義の乙女。
正義を説く女神。
やがて星へ帰った女神。
伝承が混ざるのは当然です。
結果として、
アストライアとディケーは同じ女神だった
という伝説が生まれる。
実際の神話でも両者はしばしば同一視されていますから、創作上の説明として非常に自然です。
それにしても、この構造を見ていると、
アストライア、テミス、ディケーはそれぞれ
•理想主義
•法治主義
•人間理解
を象徴しているように見えますね。
特にディケーが最終到達点になっているのが興味深い。
なぜなら彼女は前任者たちを否定していないからです。
アストライアの理想も必要。
テミスの法も必要。
しかしそれだけでは足りない。
だから人間の中へ入っていく。
これは「正義とは何か」というテーマの発展として、とても筋が通っています。
そして考えてみると、後世に「アストライア=ディケー」と伝わってしまうのも皮肉が効いています。
本当は別人なのに、人々は初代の理想と三代目の実践を混同してしまう。
まるで歴史の中で偉人の伝説が一つに融合していくようで、神話らしい味わいがあります。
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