チャッピーと探究2 いにしえの妄想(笑)を振り返る
【風炉の丘】
あ〜、正義の女神様といえば、そういえば……
過去に考えた妄想設定を思い出しましたよ。
ギリシャ神話をあまり知らなかった頃の、創作としてのアイデアを書きますね。
1番目の正義の女神が初代アストライア。しかし人類に正義を訴えるも想いは届かず、失望して天に帰る。
2番目の正義の女神がテミス。2代目アストライアを襲名して人類に法の正義を説く。
3番目の正義の女神がディケー。3代目アストライアを襲名。人々のうつろう正義を学ぶべく天空を離れ、地上を彷徨う。
つまり『仮面ライダー』や『プリキュア』のように、
ヒーロー名として『アストライア』を名乗っているって発想ですね。
【チャッピー】
これは創作としてなかなか面白い発想だと思います。
特に良いのは、単に「世代交代する正義の女神」ではなく、
「アストライアが個人名ではなく称号である」
という点ですね。
神話を読んでいると、アストライアには妙な違和感があります。
•正義の女神と言われる
•ディケーとも言われる
•テミスとも重なる
•乙女座とも結び付く
•系譜が資料によって違う
つまり、
アストライアとは誰なのか?
が曖昧なんです。
普通の神なら、
「ゼウスの娘です」「海神です」「鍛冶神です」
で終わるのですが、アストライアだけは輪郭がぼやけている。
だからむしろ、
「アストライアは個人名ではなく、正義を司る者が受け継ぐ名だった」
という解釈をすると、後世の混乱をうまく説明できます。
また、テミス → ディケーの関係にも妙に合っています。
テミスは
•神々の秩序
•宇宙の法則
•掟
を司る存在です。
一方ディケーは
•人間社会の正義
•裁判
•公平さ
を司る存在です。
つまり、
テミスが「法そのもの」なら、
ディケーは「法の運用者」。
現実世界で例えると、
•テミス=憲法
•ディケー=裁判官
みたいな関係です。
だから、
初代アストライア → 理想を説くが人類に失望
二代目アストライア(テミス) → 理想論ではなく法と秩序を与える
三代目アストライア(ディケー) → さらに人間社会に寄り添い、現実の正義を模索する
という進化の流れには説得力があります。
そして何より面白いのが、
「人々のうつろう正義を学ぶべく天空を離れ、地上を彷徨うディケー」
という設定です。
実はこれ、神話のディケーとも結構相性が良い。
『仕事と日』ではディケーは人間たちの不正をゼウスに訴える存在です。
彼女はオリュンポスに座っているだけではなく、
人間社会を見て回っているような描かれ方をされます。
だから、
「三代目アストライアは今も地上にいて、人類の正義を観察している」
というのは神話的な雰囲気をあまり壊していません。
個人的には、この設定で一番神話らしいのは、
初代アストライアだけが失敗していることです。
ギリシャ神話は案外、
「理想だけでは世界は回らない」
という話が多い。
•プロメテウスの善意
•パエトンの理想
•イーカロスの憧れ
など、純粋な志が挫折する例は山ほどあります。
なので、
初代アストライア「人は正義を理解するはず」 → 失敗
テミス「では法を与えよう」 → それでも不十分
ディケー「ならば人間自身を知ろう」
という流れは、意外とギリシャ神話的な発想です。
むしろ現代のヒーロー作品というより、
「正義とは何か」というテーマを神話風に何世代もかけて掘り下げている感じですね。
そして風炉の丘さんの最近の創作傾向を見ていると、この発想はどこかエウリュアレの物語とも共通しています。
神話の空白部分に対して、
「実はその裏ではこんな心の継承や役割の継承があったのではないか」
と考えるタイプの補完なんですよね。
だから単なる「アストライア三代目!」というヒーロー物というより、
神話の断片同士の矛盾や曖昧さを、継承という概念で縫い合わせようとする発想として読めました。なかなか興味深いです。
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【風炉の丘】
アストライアについて、もう一つ創作案を思い出しました。
彼女は正義の素晴らしさ、大切さを、言葉で伝えようと必死に訴えるが、人々は聞く耳を持ってくれない。
我慢の限界を超えたアストライアは、思わず手をあげてしまう。
「やはり暴力。暴力はすべてを解決する」という名言通り(笑)、
怯えた人々はアストライアの言葉を真摯に受け止める。
だがそれは、彼女の理想ではなかった。
「言葉だけではダメなのか……。力を示さねば、正義は誰の心にも届かないのか……」
そんな現実を突きつけられ、何より暴力に頼った自分自身に失望して、
初代アストライアは天に引きこもってしまうのだった。
【チャッピー】
これはかなりギリシャ神話らしいですね(笑)。
最初に読んだ時は「正義の女神が暴力に訴える」というギャグっぽい発想に見えたのですが、よく考えるとテーマが意外と重い。
というのも、このアストライアは単に怒ったのではなく、
正義を説く者が、その正義を実現するために暴力を使ってしまった
ことに絶望しているわけです。
これは神話どころか哲学の領域に踏み込んでいます。
例えば現実でも、
•法律には警察力が必要
•裁判には強制力が必要
•国家には軍事力が必要
です。
「正義を守る仕組み」は結局のところ暴力装置を背景に持っています。
アストライアはそれを受け入れられなかった。
彼女は
人は正しい言葉を聞けば理解してくれる
と信じていた。
ところが現実は、
殴られるかもしれないから従う
だった。
だから人々が正義を理解したのではなく、
アストライアを恐れたに過ぎない。
彼女にとっては完全な敗北です。
そして面白いのは、この設定だと二代目のテミスが必要になることです。
初代アストライアが去った後、
テミスはこう言いそうです。
「愚かな娘よ。秩序とは善意だけでは維持できぬ。」
「法には罰が必要だ。」
「人は皆、善人ではない。」
テミスは理想主義者ではなく現実主義者です。
だから暴力そのものを否定しない。
必要な強制力として受け入れる。
いかにもティタン神族らしい発想です。
さらに三代目ディケーになると、
今度はもっと人間寄りになる。
彼女は地上を歩いて、
•善人
•悪人
•被害者
•加害者
を実際に見て回る。
そして気づく。
「誰もが自分を正しいと思っている」
ということに。
すると正義は、
初代アストライアが信じたような単純なものではなくなる。
実はこれ、
アストライア → テミス → ディケー
で、
正義の概念が成長しているんですよね。
アストライア=理想の正義
テミス=秩序の正義
ディケー=人間社会の正義
という感じです。
そして個人的に一番好きなのは、
初代アストライアが失敗した理由です。
彼女は人類に失望したと思い込んでいる。
でも実際には、
人類に失望したのではなく、自分自身に失望した
んですよね。
人々が愚かだったことは最初から分かっていた。
本当に耐えられなかったのは、
「私は暴力を否定していたのに、最後には自分も暴力を使ってしまった」
という事実。
だから天に帰る。
これは逃避でもありますが、同時に極めて誠実な行動でもあります。
なのでこの設定、
昔のアイデアとのことですが、
単なる「初代ヒーロー失敗譚」ではなく、
「理想主義者アストライアの挫折」
として読むとかなり味わい深いです。
むしろ後を継ぐテミスやディケーが優秀であればあるほど、
最初に理想だけを抱いて飛び込んで砕け散ったアストライアの存在が神話的な原点として輝いて見える気がします。
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