創作ノベル第1話 星の乙女は酔いどれ女神
乙女は眠りについていた。
楽しい夢を見ながら、眠りについていた。
懐かしくて幸せな黄金の夢だった。
しかし、その幸せは続かない。
目覚めの時が近づいていたからだ。
「アイドース!」
遠くから誰かの声が聞こえる。聞き覚えのある成人女性の声だ。
「アイドース! 起きなさい、アイドース!」
だんだん声が近づいてくる。ええっと……だれだっけ?
「いい加減目を覚ましなさい! アイドース!」
突然肩を揺り動かされ、耳元で怒鳴り声がした。
「うるさいな〜もう! あたしを本名で呼ぶのは誰よ!」
重いまぶたを無理やり開いて見上げると、鬼の形相の女神が、仁王立ちで睨み付けていた。
「……なんだ、エオス母様かぁ」
乙女は再び眠ろうとするが、母はそれを許さない。
「なんだじゃありません! いつまで寝ているんですか! しかも全裸で! もうとっくに日は登っているのですよ!」
「仕方ないでしょ、昨日は遅くまで忙しかったんだもの」
「ああっ? なんですって?」
怒れるエオスは乙女のほっぺたを両手でつかむと、無理やり唇をすぼめさせる。
「ど・の・く・ち・が・ほ・ざ・い・て・い・る・の・かしら〜?」
「ひぃ〜〜、イタイイタイ! 変顔はやめて! 変顔にするのやめて!」
「あんたは夜通し深酒していただけでしょうが〜〜〜!!」
「ディオニュソスから味見を頼まれたの! 今度の祝祭に出すワインを選んで欲しいって。これもお仕事なの!」
「飲んだくれるのがお仕事だなんて、良いご身分だ事。それで? どのワインが良かったの?」
「ぜ〜んぶ美味しかった……れす!」
エオスは頭を抱えた。寝床の周囲には無数の木樽が転がっていたのだ。
このままでは娘はダメになる。飲んだくれの堕女神になってしまう。
いや、すでに手遅れかも?
いやいや、そんなことはない。
きっと大丈夫。
まだ間に合う。
と思う。
多分……。
うん。
切り替えて行こう。
エオスはひとまず現実から目を逸らした。
しかし、逸らした先に見えるのは、また別の、受け入れがたい現実だった。
「それにしても、きったない部屋だね! 『星乙女』が聞いて呆れるよ」
「へいへ~い。どうせあたしは親不孝な娘でございますよ~」
「ところで……、侍女たちに掃除させたのは、いつ? 何年前?」
「え〜? そりゃあ、あたしが引きこもる前だから、かれこれ数百年かなぁ。ごめ〜ん。覚えて無いや。あはははは♪」
激しい打撃音とともにテーブルが粉砕される。
エオスの八つ当たりの犠牲となったのだ。
「笑い事ではっ!! ありませんっ!! 知りなさいっ! 恥をっ!! 思い出しなさいっ! あなたの役割をっ!!」
「そう言われましても……」
酔いどれ女神には、母の怒りも響かなかった。
エオスは深くため息をつくと、冷酷に号令する。
「お入りなさい!ニュンペーたち!」
「は〜い」という元気な声と共に、外に控えていた侍女のニュンペーたちがワラワラと部屋に入ってくる。
総勢10名の若いニュンペーが整列すると、乙女に無言のプレッシャーを与えてきた。
「え?え?え? お、お母様、何が始まるの?」
「夕方に大切なお客様が来ます。なのでそれまでに屋敷中を大掃除しないといけないの。で、あなたの部屋が最後というわけ」
「だったらこの部屋を厳重に封印して誰も入れないようにすれば良いじゃん。あたし、息を殺して静かにしてるからさ」
「そういうわけにはいかないの!」
「……わかったよぉ。片付けるよぉ」
「あ〜〜、うん。あんたは邪魔だから、いらない」
「え? だってここ、あたしの部屋……」
「ニュンぺーたち! 適当に服を着せて叩き出して頂戴!」
「は〜い」という元気な声と共に、ニュンペーたちは乙女を取り囲む。
「ちょっ、ちょっっと待って! ぎゃ〜!! ヤメテー!! エッチ〜〜〜〜!!」
数分後、屋敷の裏口にたたずむ酔いどれ女神の姿があった。
渡された荷物は昼食のようだ。お酒は……無かった。ちくしょう。思わず舌打ちしてしまう。
「あ〜。ど〜しよ〜かね〜」
このまま屋敷の前に佇んでいてもしょうがない。
周囲を見渡すと、景色の良さげな丘があることに気付いた。
引きこもっていたのですっかり忘れていたが、幼い頃の遊び場だった。
あそこなら寝心地もよさそうだ。
乙女は酒臭いため息をつくと、丘に向かってトボトボと歩き始める。
眠い。とにかく眠い。少しでも早く横たわりたかった…。
酔いどれた乙女の名はアイドース。
本来の彼女は、心が清らかで、恥を知る心が強く、節義を重んじる、『廉恥の女神』である。
だけど今の彼女を見れば、『破廉恥の女神』と言われても納得するだろう。
彼女の本名を知る者は少ない。何故なら愛称が有名になりすぎたせいだ。
その名はアストライア。意味は星乙女。
本名が忘れられ、愛称で呼ばれる。こんなことになってしまった原因……。
少なくともその一つは、親バカな父親のせいだった。
父は星空の神アストライオス。母は暁の女神エオス。二柱は風と星々の神をもうけたが、いずれも男兄弟ばかり。
やっと生まれた末娘がアイドースだった。
嬉しすぎたアストライオスは、早速末娘の誕生を神々に周知して回る。
おかげで誰もがアストライオスの娘を認識した。だが困ったことに、誰も娘の名前を知らなかった。
それもそのはずである。生まれたばかりで、まだ名前が決まってなかったのだ。
なのに嬉しすぎて、自慢して回ったアストライオス。親バカここに極まれり、である。
仕方がないので、神々は娘のことを仮の愛称で呼ぶことにした。
アストライオスの娘→星空の神の娘→星空の娘→すなわち、星乙女。
だから彼女は「アストライオスの娘」という意味で、幼き頃から「アストライア」と呼ばれるようになったのだった。
第1話 完
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