第92話 私掠船
パリ、総裁府。
夜の帳が降りた執務室で、マサト総裁は壁に掲げられた巨大な大西洋の海図を見つめていた。その傍らには、ナポレオン将軍と、もう1人の総裁ラ=ファイエットが直立している。
「……マサト殿。ラトゥーシュ=トレヴィル提督の第一装甲艦隊が、我が国の最重要拠点であるサン=ドマング(ハイチ)の領海にそろそろ入る頃合いでしょう」
ラ=ファイエットの言葉に、マサトは静かに頷いた。
「アミアンでの講和で表立った戦争ができないイギリスが、砂糖とコーヒーの膨大な富を生むサン=ドマングを黙って見過ごすはずがない。必ず『手』を打ってくるはずだ」
「はっ! かつてドレイクやモーガンを裏で操ったイギリスの伝統芸……『私掠船(国家公認海賊)』ですな」
ナポレオンが怒りを孕んだ目で拳を握りしめる。
「奴らめ、自国の正規軍の名を伏せ、賞金稼ぎや海賊どもに大量の艦と砲を与えてカリブ海へ放ち、我が国の補給網を絶とうとしております。不潔で汚いネズミどものやり口だ!」
「構わないさ、ナポレオン」
マサトは冷徹な笑みを浮かべ、海図上のハイチ沖を指で押さえた。
「ラトゥーシュ=トレヴィル提督には全権を与えてある。木造の帆船を何十隻集めようと、アランソンの鉄と蒸気で造られた艦隊がそれをどう打ち砕くか……ロンドンに見せつけてやればいい」
同じ頃、サン=ドマング(ハイチ)沖、満月の照らすカリブ海。
波静かな海上に、突如として不気味な影が群がり現れた。
イギリス海軍省から極秘裏に「私掠免状」と資金、そして50門以上の重砲を積んだ戦列艦を買い与えられた海賊連合艦隊その数、実に大小合わせて三十隻以上。
「野郎ども! 敵はたった四隻のフランス船だ! 風上は俺たちが押さえた! 包囲して海に沈めろッ!」
総旗艦を務める海賊提督がサーベルを抜き、勝ちどきを上げる。
風を背に受けた三十隻を超える木造巨大帆船群が、フランスの第一装甲艦隊を取り囲むように巨大な半月陣を敷き、じわじわと間合いを詰めていく。
だが、包囲された中心に漂う四隻の「異形の怪物」艦隊は、静まり返っていた。
旗艦『マサト号』の艦橋。
ラトゥーシュ=トレヴィル提督は、望遠鏡から目を離すと、不敵な笑みを浮かべて艦長たちを振り返った。
「見ろ。イギリスの狐どもが撒いた撒き餌に群がる哀れなハエどもだ。……全艦、ボイラー圧力最大! 敵の風上、半月陣の『中央』へ向けて直進せよ!」
『ハッ! 圧力最大! 面舵いっぱい!』
ゴオオオオオオッ……!!
煙突から漆黒の煙と火の粉が夜空へ吐き出され、巨大な側面外輪がバリバリと激しい水飛沫を上げて海を叩き始めた。
「な、なんだと!? 風上に向かって突っ込んでくるぞ!?」
海賊たちが目を疑った。帆船の常識では、風上に向かって進むことなど絶対に不可能なのだ。
だが、フランスの装甲蒸気艦は風向きなど完全に無視し、波を押し破りながら怒涛の勢いで加速していく。
「撃て! 撃ち尽くせーッ!!」
パパパンッ! ズドオオオンッ!!
包囲する海賊船団の全砲門が一斉に火を噴いた。数百発の鉄砲弾が雨あられと『マサト号』の船体に降り注ぐ。
バコォン! ドガァァン!
凄まじい着弾音が響き渡り、海賊たちが「やったか!」と歓声を上げた。……だが、次の瞬間、彼らの歓声は凍りついた。
煙の中から現れたフランス艦の船体には、わずかな凹みと火花が散った痕があるだけだった。アランソン製の製鉄装甲が、木造船用の砲弾をことごとく跳ね返したのだ!
「は、弾いた……!? 砲弾が効かねえぞ!!」
「フン、蚊が刺したようなものだな」
ラトゥーシュ=トレヴィル提督が冷酷に腕を組む。
「全砲火、アランソン製10インチ榴弾砲、照準固定……打ち込めぇッ!」
ドゴォォォォンッ!!!
装甲艦の側面から放たれたのは、従来の鉄球ではない。内部に大量の爆薬を仕込んだ「最新型榴弾」であった。
チュドォォォォンッ!!
弾丸が海賊の大型木造戦列艦の側胴に突き突き刺さるやいなや、船内で大爆発を引き起こした。木片と炎が吹き飛び、一撃で巨大な戦列艦の脇腹にぽっかりと巨大な穴が開き、瞬く間に傾いていく。
「ぎゃあああッ!? 船が破裂したぞーっ!?」
「逃げろ! あいつらは怪物だ!!」
パニックに陥った海賊船団は陣形を崩し、蜘蛛の子を散らすように逃走を図ろうとした。だが、風を読まねば舵も切れない木造帆船に対し、風を無視して自在に急旋回する蒸気艦の機動力は圧倒的だった。
「逃がすな! 港の入口を塞ぎ、一船残らず海屑となせ!」
ラトゥーシュ=トレヴィルの激しい指揮のもと、四隻の装甲蒸気艦は縦横無尽にカリブ海を駆け巡った。
蒸気外輪が海賊の小舟を押し潰し、正確無比な榴弾砲が敵の木造船を次々と火達磨に変えていく。海面は燃え盛る木片と、助けを求める海
賊たちの悲鳴で埋め尽くされた。
海戦開始からわずか二時間。
三十隻を数えた巨大私掠船団は、撃沈二十二隻、大破捕獲八隻という、壊滅という言葉すらぬるい完全なる敗北を喫したのだった。
翌朝。
静まり返ったカリブ海で、ラトゥーシュ=トレヴィル提督は捕獲した敵旗艦の船長室を改めていた。
厳重に鍵のかかった金庫を斧で叩き割り、中から一枚の羊皮紙を取り出す。そこには、イギリス王室の親署と、海軍省の極秘印章がはっきりと刻まれていた。
「……やはりな。イギリスの狐め」
提督は口元を歪め、その証拠書類をしっかりと懐に収めた。
数週間後、パリ・総裁府。
ラトゥーシュ=トレヴィルから届いた速報と
「イギリスの私掠免状(原本)」を手にしたマサト総裁は、静かにそれをデスクの上に置いた。
「見事な勝利にございます、マサト総裁! カリブ海の海賊どもは一掃され、サン=ドマングへの航路は完全に安全となりました!」
ナポレオンが興奮を抑えきれない様子で報告する。
「素晴らしい成果だ。……そして、これで『カード』は揃ったな」
マサトが証拠の書類を指で突くと、ラ=ファイエットがニヤリと笑みを浮かべた。
「ええ。アミアンの講和条約を破って裏で海賊を雇い、我が国の商船を襲わせ撃破された……。この決定的な証拠を突きつけられれば、ロンドンの海軍省もネルソンも、ぐうの音も出ないでしょう」




