第91話 覇権
地中海から紅海、そしてアフリカ東海岸を経てインド洋へ。
ラトゥーシュ=トレヴィル提督率いるフランス海軍の装甲蒸気艦隊は、かつてない快進撃を続けていた。ただし、それは大砲を撃ち合う征服の進撃ではない。
パリの総裁府執務室。
「……マサト殿、ラトゥーシュ=トレヴィル提督よりインド洋および東南アジア航路からの戦果報告が届いたぞ」
ラ=ファイエットが、一本の紙の書簡をマサトのデスクに差し出した。
「インド沿岸の現地首長ならびに東南アジアの要衝の統治者たちと、無事に『給炭港協定』の締結が完了したそうだ。我が国の近代的な港湾インフラ整備と安価な鉄鋼製品の供給を条件に、フランス艦隊専用の石炭補給所と優先接岸権をピンポイントで確保したと」
「素晴らしいな。ラトゥーシュ=トレヴィル提督の交渉も見事だ」
マサトが満足そうに頷くと、デスクの前に直立していたナポレオンが、感服した様子で口を開いた。
「ハッ! 武力で現地を荒らさず、相手に『フランスの給炭基地を置く方が利益になる』と思わせるマサト総裁の戦略……実に見事でございます。イギリスのように力づくで土地を奪えば反乱に追われますが、この方法なら最小限のコストで世界の海に我が国の『足場』を築けます」
「その通りだ、ナポレオン。広大な陸地を占領・維持するには膨大な兵力と財政が必要になる。だが、風に左右されない蒸気船の『航続距離』を伸ばすための給炭港さえ点在していれば、我が国は世界のどこへでも数日でアクセスできる」
マサトは世界地図の上に、地中海からインド洋、サン=ドマング(ハイチ)、そしてアジアへと繋がる給炭港の「点」を赤線で結んで見せた。
これにより、フランスは既存の植民地に対する本国からの連絡・補給スピードを従来の三分の一以下に圧縮。
現地での反乱の芽を未然に摘み取ると同時に、イギリスの独壇場だったアジア・中南米との貿易ルートに本格的に割り込む体制が完成したのだ。
同じ頃。ロンドン、イギリス海軍省。
「……バカな。フランスの装甲蒸気船が、すでにインド洋から東南アジアの要衝にまで給炭基地を作り終えたと……!?」
報告書を握りしめる海軍卿の前で、ネルソン提督は深く悲痛な溜め息をついた。
「……事実です。彼らは広大な領土を奪うわけではなく、港の片隅に巨大な石炭貯蔵所と最新の埠頭を造り、現地の首長に圧倒的な富をもたらしている。我が国の帆船が風を待っている間に、彼らは黒煙を上げて我々の横を吹き抜けていくのです」
「くそっ……! アミアンで講和を結んでいる間に、やつらは陸だけでなく海でも手出しできない巨大なネットワークを作り上げたというのか!」
イギリスは「船の保有数」と「歴史」で圧倒的な海軍力を誇っていた。
しかし、フランスは「全艦装甲蒸気船」という圧倒的な技術の質と、世界中に張り巡らされた「給炭港ネットワーク」を手に入れた。
もはや、イギリスが一国で世界の海を支配する時代は終わったのだ。
「圧倒的な数のイギリス海軍」と、「超近代的な技術と物流を誇るフランス海軍」世界は、静かな冷戦状態の中で『英仏二大海洋国家』の時代へと突入したことを、ロンドンの男たちは認めざるを得なかった。
「……総裁。イギリス海軍省は、我が国の給炭網と装甲艦隊の展開に対し、手出しができず沈黙を守っております」
パリの執務室で、ナポレオンがピシッと敬礼を捧げる。
「よし。海上の二大巨頭体制が固まった以上、イギリスも軽々しく我が国に戦を仕掛けることはできない。……これで、次の段階へ進めるな」
マサトは静かに笑みを浮かべ、窓の外に広がるパリの街並みを見つめた。
軍事的な征服ではなく、産業・技術・物流によって世界の覇権構造を塗り替えたフランス。その試みは、ついに世界規模で実を結びつつあった




