第84話 お家騒動
フランスが『アミアンの講和条約』によって平穏を取り戻し、空前の鉄道ブームに湧いていた頃。
ピレネー山脈を越えた南の隣国、スペイン王国は未曾有の混乱に陥っていた。
「……マサト、スペインの情勢についての報告だ」
総裁府の執務室で、ラ=ファイエットが苦々しい顔で書簡を差し出してきた。
「先のフランス侵攻の大敗によって、スペイン王室の権威は地に落ちた。現在、愚鈍な国王カルロス4世と、王位を奪おうとする息子フェルナンド皇太子派が真っ二つに分かれて激しい内紛を起こしている。国内は無政府状態に近い」
「自滅、ですか」
俺がコーヒーを口に含んでいると、ドカドカと激しい足音とともにナポレオンが部屋へ入ってきた。
「聞きましたよ、マサト総裁! スペインの豚どもが醜い身内揉めを始めたらしいですな!」
ナポレオンはギラギラとした野心に満ちた目で、壁に掛けられた巨大なヨーロッパ地図を指差した。
「絶好の好機だ! 今すぐフランスの精鋭を引き連れてピレネーを越え、武力で両方を叩き潰す! そして信頼できる者を新しいスペイン王に据えれば、イベリア半島は完全に我がフランスの領土となりますよ!」
武力で強引に押さえつければ、スペイン民衆の激しい反発を呼び、果てしないゲリラ戦の泥沼に引きずり込まれる……それが歴史の教訓だ。
「ダメだ、ナポレオン。軍隊を送り込んで武力で占領するのは一番悪手だ」
俺はきっぱりと首を振った。
「な……!? なぜですか! 敵は混乱しているんですよ! 今なら簡単にマドリードを占領できる!」
「占領はできても『統治』はできない。言葉も文化も違う土地で、異国の軍隊が威張り散らせば、民衆はゲリラとなって泥沼の抵抗を始める。兵力と軍費が無制限にすり減るだけだ」
俺の言葉に、ラ=ファイエットも深く頷いた。
「マサトの言う通りだ、ナポレオン。我が国は今、復興と産業革命の真っ只中だ。無意味な占領戦に貴重な兵と金を使うわけにはいかん」
「……なら指をくわえて見ているだけですか?」
不満そうに腕を組むナポレオンに、俺はニヤ
リと笑ってみせた。
「誰が見ているだけと言った? 兵隊ではなく別のものを送り込むんだよ」
数日後、マドリードからの密使がパリへと到着した。
王位を狙うフェルナンド皇太子派の使者は、絶大な軍事力と経済力を誇るフランスの介入を恐れつつも、自分たちの派閥を正当な「新国王」として承認してほしいと頭を下げに来たのだ。
「……マサト総裁。我がフェルナンド殿下が即位された暁には、フランスとの友好を約束いたします。どうか我が派を後押ししていただけないでしょうか」
おどおどとこちらを伺う使者に対し、俺は静かに一枚の「協定書」を滑り込ませた。
「フェルナンド殿下の即位を承認し、王室の内紛を収めるための援助をしましょう。……ただし、条件があります」
「条、条件……と申しますと?」
「我が国が資金と技術を全額出資し、ピレネー山脈を横断する『ピレネー国際鉄道』を建設させてもらいます。そして、バルセロナからマドリードに至る主要路線の敷設権と、運用権を我が国に譲渡していただく」
「な……ッ! 鉄道の敷設権と運用権を……!?」
使者が息を呑む。
俺は穏やかな笑みを浮かべたままだが、その目は一切の妥協を許さない。
「我が国の鉄道が繋がれば、過疎化したスペインの農村部にも食料と物資が届き、貴国の経済も劇的に潤うでしょう。軍隊で踏み荒らされるか、鉄道を受け入れて豊かになるか……殿下に選んでいただいてください」
使者が逃げるように去った後、ナポレオンが感心したように口笛を吹いた。
「……なるほど。軍隊で占領する代わりに、鉄道という『動脈』を打ち込んで、スペインの経済そのものをフランスに依存させるわけかですか。さすがマサト総裁ですな。」
「そうだ。鉄道網を押さえておけば、反乱が起きても瞬時に部隊を送り込めるし、何よりスペインの鉱物資源や農作物が安価でフランスへ流れ込んでくる。銃弾一発撃たずに、実質的な従属国にできるんだよ」
ラ=ファイエットは首を横に振りながら、不敵に笑った。
「マサト殿は恐ろしい男だな。剣で倒すより、金と鉄で骨抜きにする方がよっぽど惨い」
「褒め言葉として受け取っておくよ」
武力による占領ではなく、インフラと経済による「新時代の覇権」。
マサトの手によって、歴史の泥沼は鮮やかに回避され、フランスの鉄路はピレネーを越えてさらに南へと伸びていくのだった。




