第79話 突撃
ピレネーの麓。開戦から三日が経過していた。
絶え間ない巨石攻撃と、夜間の連続した奇襲。
マサトの計算された徹底的な精神摩耗作戦により、数万のスペイン軍はすでに限界を迎えていた。しかし、いくら泥沼に引きずり込んでいるとはいえ、圧倒的な兵力差であることに変わりはない。
「くそっ! 相手はもう正気じゃねえぞ!」
ジャンが血煙の立ち込める前線から駆け戻り、汗を切るように叫んだ。
「夜襲と巨石で削り続けてきたが、敵の指揮官も追い詰められてヤケクソになってる! 全軍で強引に押し切る気だ!」
「……ああ、見ればわかる」
俺は双眼鏡を覗き込み、表情を硬くした。
眼下では、眠気と恐怖で目を血走らせたスペイン兵の巨大な群れが、死体の山を踏み越えて泥臭く斜面を這い上がってきていた。こちらの連続射撃も、もはや狂気にとらわれた大群の勢いを止めきれなくなっている。
「マサトさん! 敵の先鋒が第2防衛線を突破します!」
「引きつけてライフルを叩き込め! アラマサ自警団、陣地を死守しろ!」
激しい銃砲声と怒号が激突する。
交代制で体力を温存してきた俺たちだったが、物理的な「数の暴力」がじわじわと押し寄せてくる絶望感はぬぐえない。最新の兵器と無制限の補給があっても、数倍の敵を数千で押さえ続けるには、そろそろ限界の時間が近づいていた。
「マサト……! ナポレオン将軍は本当に来るんだろうな!?」
ジャンが歯を食いしばりながら、俺の肩を掴む。
「東部戦線からここまで、どれだけ鉄道を使ったって……オーストリア・プロイセン十万を倒してすぐ移動するなんて、常識じゃあり得んぞ」
「来るさ」
俺は懐中時計の文字盤を静かに見つめ、力強く言い放った。
「あの男は天才だ。そして、俺が敷いた『鉄道』の価値を誰よりも理解している。……絶対に約束の時間内にやって来る」
「ハハハ! 諦めろフランスの小童ども!」
陣地の目と鼻の先まで肉薄してきたスペイン軍の指揮官が、狂喜に満ちた顔で剣を突き立てた。
「お前たちの主力は東で壊滅しているか、遠く離れた地で足止めされているはずだ! ここを突破し、手薄なパリを血で染めてやる!」
数千のスペイン兵が一斉に勝ち鬨を上げ、雪崩のように俺たちの本陣へ襲いかかろうとした
その時。
地平線の彼方、山あいの合間から、地鳴りのような猛烈な振動が響き渡った。
ズズズズズ……ッ!!
「な、なんだ……!? 地震か!?」
スペイン兵たちが思わず足を止める。
次の瞬間、山腹を貫く線路の先から、空を黒く染める膨大な煙と共に、けたたましい汽笛の音が炸裂した。
――ボォォォォォォッ!!!!
一つや二つではない。十数編成もの巨大な軍用列車が、線路が軋むほどの猛スピードで雪崩れ込んできたのだ。
「……来たぞ」
俺はニヤリと口元を吊り上げた。
滑り込んだ列車の扉が一斉に跳ね飛ばされる。
そこから吐き出されたのは、温かい食事を取り、列車内で万全の休息を終えた、十五万のフランス軍主力。
「お待たせしました、マサト総裁!」
先頭車両の屋根の上に躍り出たナポレオンが、ギラギラとした野生の眼光で軍刀を掲げた。
「東の軍はすべて肉片に変えてきました! 全軍、突撃! 疲弊しきったスペインの豚どもを挟み撃ちにし、一兵たりともピレネーを越えさせるな!!」
「「「オォォォォォォッ!!!!」」」
大勝利の勢いをそのままに、万全の体調で駆けつけたフランス主力軍の大軍勢が、疲労困憊のスペイン軍の側面と背後へ嵐のように雪崩れ込んだ。
「バ、バカな……!? なぜ東部にいたはずの主力がここにいる!?東から南まで一ヶ月はかかるはずだ! やはり、 やつらは悪魔かーッ!?」
絶叫とパニックがスペイン軍全体を支配する。
東部戦線を二日で制し、そのまま『鉄道』を爆走して駆けつけたナポレオンの疾風の如き挟撃の前に、スペイン軍の陣形は一瞬で崩壊した。




