第77話 十八番
南部ピレネー山脈の麓。
破竹の勢いで北上を続けていたスペイン軍前衛部隊は、突如として進軍を止めざるを得なくなった。
「報告! 前方の峡谷に、見たこともない鉄の砦が出現! 敵の防衛線が構築されています!」
「ハハハ! 狼狽えるな!」
スペイン軍の指揮官は高笑いした。
「フランスの主力は東部で我が同盟軍と戦っているはずだ! あそこにいるのは寄せ集めの警備兵に過ぎん! 数の暴力で踏み潰せ!」
数万のスペイン兵が、地鳴りを立てて押し寄せてくる。
対する防衛陣地の中心に立つ俺は、静かに懐中時計を取り出した。
ナポレオンが東部で戦闘を開始してから、丸一日……そろそろか)
「マサトさん! 敵の第一波が射程に入ります!」
レオの叫び声と同時に、俺は右手を高く掲げた。
「慌てるな。引きつけて……撃て!」
ドォォォォン!!
アランソンから列車で大量輸送された最新鋭の大砲と、新式ライフルが一斉に火を噴いた。
圧倒的な射程と精度を誇る弾丸の雨が、油断していたスペイン軍の先鋒を瞬く間に薙ぎ払う。
「な、なんだあの射程は!?」
「ひ、怯むな! 相手の数は少ない! 弾が切れるまで押し込め!」
狂ったように押し寄せてくるスペイン軍。だが、どれだけ突撃を敢行しようとも、俺たちの弾薬が尽きることはなかった。
陣地のすぐ後方には、煙を上げる列車が絶え間なく滑り込み、アランソンから直送された膨大な弾薬と食料を次々と吐き出していたからだ。
「物資は無限にある! 叩いて叩いて、叩き見せろ!」
圧倒的な物量と弾幕で、数倍の敵を泥沼の足止めに引きずり込む。
「くそっ、なぜ弾が切れん! この数の差でなぜ攻め落とせんのだ!?」
スペイン軍の指揮官は髪を掻きむしりながら叫んだ。
彼らは知る由もない。俺たちが陣を構えているのは、急勾配な麓の上方という絶対的な優位点。そして背後には、休むことなく弾薬と糧食を運び続ける「鉄道」が繋がっているということを。
「正面の突撃に行詰まったか……。マサトさん、敵が一度後退して陣を再編しようとしています!」
望遠鏡を覗く自警団の団長ジャンの報告に、俺は不敵な笑みを浮かべた。
「休ませるわけないだろ。ここからが本番だ」
俺は眼下に広がる広大な峡谷、そこにひしめくスペイン軍の大陣営を見下ろした。
高い位置に陣取った最大の利点は、射程の長さだけじゃない。重力を味方にできることだ。
「全隊、第二段階へ移行。例のブツを行くぞ」
「了解です! 各班、巨石の固定を解除!」
ジャンの合図とともに、工兵隊が斜面に設置していた太いロープを切断した。
鉄道の力を使い、前もって崖際に集積しておいた巨大な岩石の群れ。それが一斉に、激しい地鳴りを立てて斜面を転がり落ちていく。前回は完全に人力で巨石を運んだが、やはり鉄道だとかなり楽だな。
ゴォォォォォォン……ッ!!
「な、なんだあの音は!? 上を見ろ!」
「ひ、悲鳴を上げろ! 岩が落ちてくるぞーーっ!?」
猛烈な落加速度のついた無数の巨石が、無防備なスペイン軍の宿営地へ雪崩れ込んだ。
大砲すら不要な、自然の重力による物理的な破壊。天幕は踏み荒らされ、陣列は滅茶苦茶に砕かれ、峡谷全体に絶叫とパニックが吹き荒れる。
「よし、引き上げるぞ! 深追いするな!」
パニックに陥る敵を横目に、俺はすかさず撤退の指示を出した。
追撃して叩き潰すのが目的ではない。奴らの「体力」と「精神」を削り取ることが目的なのだから。
そして、夜。
漆黒に包まれた山あいに、スペイン軍は怯えきっていた。
昼間の巨石攻撃と圧倒的な火力の前に、まともな食事も取れず、緊張状態が続いている。
「警備を厳重にせよ! 敵は少数だ、夜襲に来るぞ……!」
スペイン兵たちが震えながら暗闇を見つめていた、その時――
――パンッ! パパンッ!
「敵襲ーっ! 敵襲ーーッ!」
闇の中から突如放たれた数発のライフル弾。
スペイン軍が大混乱に陥り、一斉に武器を取って暗闇に向かって無差別に銃を乱射し始める。しかし、数分後に彼らが静まり返った時には、すでに銃弾を放ったアラマサ自警団の姿はどこにもなかった。
部隊の三分の一だけを使った、小規模なフェイントの奇襲。
これを一晩のうちに、一時間おきに別の場所から何度も何度も叩き込む。
「ハハ……またハズレか。おい、頼むから少し寝かせてくれ……」
睡眠を完全に奪われ、いつ落ちてくるか分からない岩と暗闇からの狙撃に怯え続けるスペイン軍。その精神は、わずか一晩でボロボロに磨り減っていった。
対するこちらは、完全な「交代制」だ。
「ふぁ……よく眠れた。マサトさん、交代の時間ですね」
「おう、ご苦労様。温かいスープパンが列車で届いてるぞ。しっかり食べて寝ておけ」
「助かります!」
アランソンからの定期便で届く温かい食事と清潔な毛布。
三分の一の部隊が交互に前線に立ち、残りの三分の二は快適に休息を取る。どれだけ夜戦が長引こうと、こちらの兵士たちは常に体力を万全に保っていた。
夜が明け、朝靄が立ち込める頃。
スペイン軍の指揮官が目にしたのは、目のクマを濃くし、疲労と恐怖でフラフラになりながら槍を握る自軍の兵士たちだった。
そして、麓の上の快適な陣地で、万全の体調でライフルを構えるフランス軍の姿。
「……怪物め」
スペインの指揮官は、震える声でそう漏らすしかなかった。
兵力差は圧倒的に不利。
だが、このピレネーの麓において、戦況を完璧にコントロールしているのは、間違いなくマサトが率いるアラマサ自警団と現地の守備隊達だった。




