第58話 とある砲兵
総裁政府の樹立から数週間後。
マサトの元に、南フランスの港湾都市「トゥーロン」からの戦況報告が届いていた。
イギリス・スペインの連合軍に占領された要衝トゥーロン。
総裁政府軍は奪還を図り包囲陣を敷いていたが、司令官の無能さも手伝って攻略は完全に頓挫していた。
執務室で書類の山と格闘していると、もう一人の総裁であるラ=ファイエットが、困惑と感心が入り混じったような表情で歩み寄ってきた。
「マサト殿、少し良いか? 南フランスの『トゥーロン港攻囲戦』の件なのだが……前線から少々妙なレポートが届いていてね」
ラ=ファイエットは苦笑しながら、一通の作戦計画書をマサトのデスクに置いた。
「現地の上層部を飛び越えて、一人の若い砲兵将校が直接我々に送りつけてきた作戦案だ。『正面突破は愚者の選択。港を見下ろす高地に砲台を築き、イギリス艦隊を湾内から追い払えば勝てる』……とね。上層部は『青二才の狂論』と一蹴したようだが」
マサトが計画書を手に取り、目を通す。
緻密な地形分析、砲弾の射程計算、そして敵艦隊の心理まで読み切った完璧な砲撃戦術。
「どう思う、ラ=ファイエット総裁?」
「軍事の常識から見れば、あまりに大胆で生意気な作戦だ。しかも書いたのは、まだ20代前半の階級も低いコルシカ出身の大尉に過ぎん。……だが」
ラ=ファイエットは不敵に目を細めた。
「この作戦、筋が通りすぎている。現地で指を咥えている無能な将校どもより、よほど戦いというものを理解しているよ」
「同感ですね」
マサトは思わずニヤリと笑った。
「常識に囚われた将軍たちには思いつけない発想だ。……この男、良くないですか? 叩き上げの天才臭がプンプンする」
「ハハッ、君もそう思うか! 私もね、この若者の『俺にやらせろ』と言わんばかりの野心に満ちた文章が気に入ったんだ。……よし、思い切って賭けてみるか!」
数日後、トゥーロン郊外の前線基地。
「おいボナパルト! また貴様の青くさい意見書か! 砲兵ごときが出しゃばるな! 兵士を集めて突撃させれば勝てるのだ!」
無能な司令官から罵倒され、コルシカ出身の若い大尉は、冷めた瞳で地面を見つめていた。
愚か者め……。それでは味方の血が流れるだけだ。なぜ砲兵の威力を理解できない……!
自分の才能を理解されない焦燥感と諦め。
拳を握りしめたその時、幕舎の幕が払われ、足音が響いた。
「おい、司令官。お前は今すぐ解任だ。荷物をまとめてパリへ帰れ」
「な、なんだ貴様は!? 私を誰だと……」
言いかけた司令官の言葉は、男の後ろに控える軍監たちによって遮られた。総裁政府のラ=ファイエットだった。
ラ=ファイエットが、騒ぐ司令官を軍監たちに連れ出させる。
残された若い砲兵大尉は、突然現れた総裁を前に息を呑んでいた。
ラ=ファイエットはナポレオンに歩み寄ると、あの計画書を彼の胸に押し当てた。
「ナポレオン大尉。お前の作戦、総裁政府の決定として採用された。これよりトゥーロン奪還作戦の指揮は、お前に全権を委ねる」
「え……!? 私のような、一期下士官に……!?」
「もう1人の総裁であるマサト殿と俺で話してな。マサト殿が君のことをすごく期待してるようでな、君の作戦で行くこととなった」
最新型・規格化12ポンド砲50門と、湿気に強い改良型火薬、そして無制限の砲弾を運び込まれた。
ナポレオンは絶句し、幕舎の外に並ぶ圧倒的な物資と最新の大砲群を見つめた。
自分が頭の中で思い描いていた「理想の砲兵部隊」が、いま目の前に完璧な形で用意されている。ナポレオンの全身に、雷が落ちたような衝撃が走った。
彼は素早く片膝をつき、力強く頭を下げた。
「総裁! 感謝いたします! 2日でイギリス艦隊を湾内から叩き出し、トゥーロンを勝利で飾ってみせます!」
「見事な答えだ、行ってこい!」
ラ=ファイエットの檄を受け、ナポレオンの瞳に「英雄」としての鋭い野心が点火した。
こうして、後に全ヨーロッパを震撼させる軍事の天才が、マサトたちの手によって歴史の表舞台へと解き放たれたのだった。




