第56話 移行
国民公会の議場は、異様なほどの静けさに包まれていた。
「……ゆえに! 革命を完遂するためには、裏切り者ルイ・カペーの血が必要なのだ! 彼の死こそが、我らフランスを真の自由へと導く!!」
演壇に立つロベスピエールは、声を枯らして絶叫した。
かつてなら、この熱弁に議会中が沸き立ち、サン・キュロットたちが割れんばかりの拍手を送ったはずだった。
だが、今、彼に向けられているのは冷たい蔑みの視線だけだった。
……なぜだ。なぜ誰も賛同しない!?
ロベスピエールの背筋に冷たい汗が伝う。
彼には分かっていなかった。マサトが仕掛けた周到なメディア戦略によって、ロベスピエールはすでに「英雄を暗殺しようとした卑怯者」「自分の保身で仲間を売った男」として、完全に信用を失っていたのだ。
その沈黙を破り、ゆっくりと立ち上がったのは、マサトと通じている穏健派の議員だった。
「ロベスピエール議員。あなたの過激な主張は、ただヨーロッパ全土との無用な全面戦争を引き起こすだけだ。我が国に必要なのは『血』ではなく『新しい秩序』である!」
その言葉を皮切りに、議場から次々と賛同の声が上がる。
「そうだ! 国王の首を刎ねれば、周辺国が黙っていないぞ!」
「暴力と恐怖で国を支配しようとするジャコバン派の時代は終わったんだ!」
「な、貴様ら……! 革命の精神を忘れたか!」
狼狽するロベスピエールを無視し、議長が厳かに宣言した。
「これより、国王ルイ16世の処遇について決議を行う。……ロベスピエール派が主張する『死刑』は否決! 代わって、穏健派より提出された『国王の退位および王権の永久放棄』を可決する!」
ワァァァァァッ!! と議場が歓声に包まれる。
「これにより、数百年続いたブルボン朝は終焉を迎える! さらに、一部の過激派による独裁を防ぐため、権力を分散させた『総裁政府』の樹立を宣言する!!」
「そ、そんな馬鹿な……。死刑が、否決……?」
ロベスピエールは、膝から崩れ落ちるように椅子へ座り込んだ。
自分が主導して国王を処刑し、再び革命の指導者として返り咲く。その最後の希望の糸は、呆気なく断ち切られたのだ。
議事堂の2階、貴賓席。
そこには、マサトとラ=ファイエット侯爵の姿があった。
「見事だ、マサト殿。君が裏で穏健派の議員たちに根回しをしてくれたおかげで、最悪の事態は免れた。これで無用な流血もなく、フランスは新しい共和制へと軟着陸できる」
ラ=ファイエットは心底ホッとしたように息を吐いた。
「ええ。これでブルボン朝は名実ともに終わり、誰も独裁権力を握れない『総裁政府』が発足する。……そして」
マサトは包帯から覗く左目で、議場の片隅で亡霊のように項垂れるロベスピエールを冷酷に見下ろした。
「民衆からの支持も、議会での発言力も、最後の切り札だった国王処刑の熱狂も、すべてを失った。……これが『政治的死』ですよ」
暗殺を企てた男への復讐。
それは、首を刎ねることよりも残酷な、歴史からの完全なる退場宣告だった。
ロベスピエールは今や、誰からも見向きもされない、ただの哀れなピエロへと成り下がっていた。




