第50話 丘の上
降りしきる冷たい雨が、大地を黒い粘土のような泥沼へと変えていた。
だが、戦場に漂う緊張感は、泥の冷たさなど吹き飛ばすほどに殺伐としていた。
「……クソッ! フランス正規軍の奴ら、後方の補給部隊がこの豪雨でトラブルとかで大半が足止めを食らっていやがる! 届いたのはわずかな先鋒だけだ!」
望遠鏡を握りしめたジャンが、雨水に濡れた顔で吐き捨てた。
本来合流するはずだったフランス正規軍はトラブルで激減。
対するプロイセン・オーストリア連合軍は、三万を超える圧倒的な大軍勢。対するこちらは、ラ=ファイエット率いる国民衛兵と、マサト率いるアラマサ自警団の千名を合わせても、敵の半分にも満たない「極端な数的不利」に陥っていた。唯一の喜ばしい事は、こちらは小高い丘に布陣して、プロイセン・オーストリア連合軍は平地に布陣している。だが数で圧殺されたら、勝ち目はない。
『ドォン! ドォォン!』
両軍の大砲が火を噴き、砲弾が空を交差する。
だが、雨と泥によって砲床が沈み込み、狙いがまるで定まらない。砲撃戦は双方に決定打を与えられずに空振りに終わった。
「大砲じゃ埒が明かんと見たな……。見てみろ、敵が動くぞ!」
ジャンの叫びとともに、地平線を埋め尽くすプロイセン・オーストリアの歩兵集団が、泥を蹴立てて前進を開始した。
黒と白の軍服を着た「ヨーロッパ最強」と謳われるプロイセン歩兵が、寸分の乱れもない横隊を組み、圧倒的な数で丘を駆け登ってくる。
「数で押し潰す気だ! 接近しての泥沼の歩兵戦に持ち込むつもりだぞ!」
ラ=ファイエット率いる国民衛兵たちが、圧倒的な敵の威圧感と数に呑まれ、青ざめてじりじりと後退し始めた。
「ひ、ひぃっ……! 敵の数が多すぎる! 逃げろ!」
「静まれ! 退くな! 我々はフランスの壁だ!」
ラ=ファイエットが馬上で白刃を抜き、必死に部下たちを鼓舞して前線を繋ぎ止めようとする。だが、民兵集団である彼らでは、数で押し寄せるプロイセン軍の圧力を支えきれず、戦線崩壊は時間の問題だった。
「……ラ=ファイエット侯爵、作戦通り頼むぞ!」
マサトの声が戦場に響く。
コートを翻し、マサト率いる自警団が前線へと躍り出た。その背後には、黒い制服に身を包み、ライフルを構えたアラマサ自警団の千名が整然と引き続いていた。
マサトは前進してくるプロイセン軍の巨大な横隊を冷ややかに見据えた。
敵の将校たちは、マサトたちの小規模な陣形を見て「勝った」と確信し、ニヤリと下品な笑みを浮かべて指示を出している。
『一斉射撃の用意! 撃ったらそのまま銃剣突撃で踏み潰せ!』
プロイセン軍が一斉にマスケット銃を構えた。
当時の常識ならば、一発撃ち合えば再装填に三十秒かかる。その隙に数で一気に突撃すれば、必ず陣形を突破できるという計算だ。
だが、マサトはゆっくりと手を振り下ろした。
「アラマサ自警団……撃て」
『バババンッ!!!!』
小高い丘に、途切れない銃鳴が轟いた。
ライフル銃の単調な音が複数回、まるで連射してるようだ。千名の兵士が、3列に分かれ射撃したら、後列と入れ替わり射撃。勿論、後列では弾篭めなどをしている。そう、これはかの有名な『長篠・設楽原の戦い』の三段撃ちを手本とさせてもらってる。相手が1発撃ってる間に何発もの鉛弾を連続で発射し、敵軍は混乱する。
「な、なんだと……!? ぐあぁぁっ!」
「弾が……弾が途切れない!? 奴ら、いつ再装填しているんだ!?」
プロイセン軍の前衛が、まるで目に見えない巨大な鎌で刈り取られるように、一瞬で泥の上に崩れ落ちた。
「突撃だ! 撃ち終わった隙を狙え!」
敵の将校が血走った目で叫び、後続の兵士たちを前進させようとする。
敵軍は数的有利のため強引に犠牲覚悟で突撃を敢行する。
それを待ってましたと、国民衛兵がなんと巨大な岩を転がして来た。
俺たちが布陣してるのは丘の上、そこで物を落とすと当然、平野に布陣するプロイセン・オーストリア連合軍の方に転がって行く。
そして、その巨石は容赦なく突撃をするプロイセン・オーストリア連合軍を、引き潰して行く。予想以上に効果があり、さらに敵軍は大混乱する。これは頑張って巨石を丘の上に何個も運んできた甲斐がある。
勿論、巨石が丘を転がってる間も、鉛の雨を容赦なく降らせてるため敵軍はボロボロだ。
そこでラ=ファイエット侯爵が声を張り上げる。
「敵軍は大混乱だ、つまり今が好機!全軍突撃!!!」
大混乱中に、民兵集団からの突撃でも弱目に祟り目。
プロイセン・オーストリア連合軍は戦局不利となり、終いには撤退していった。
数的優位も、誇り高き歩兵戦も、絶え間なく飛んでくる弾幕と巨石の前には何の意味もなさなかったのだ。
プロイセン・オーストリア連合軍の撤退。
圧倒的な数的不利を跳ね返し、アランソン自警団とラ=ファイエットの連合部隊は、奇跡的な大勝利を収めたのだった。
泥と硝煙が漂う丘の上で、ラ=ファイエットは震える手でマサトを見つめていた。
「……君は、歴史を塗り替えてしまったな、マサト殿」
「言ったでしょう、侯爵」
マサトは硝煙の漂う銃口から煙を吹き消し、ニヤリと不敵に笑った。
「戦いは『数』じゃない。『力と準備』ですよ。……さて、パリへ戻りましょうか。約束通り、主導権をいただきに」




