第46話 泥沼
パリの夜は、文字通り「狂気と血」の匂いに満ちていた。
表向きは「人民の自由」を唱えるジャコバン派だったが、その裏側で繰り広げられていたのは、理念もクソもない泥沼の派閥抗争だった。
「ロベスピエールを讃える演説をした奴の首を引っくくってこい!」
「エベール派の事務所に火を放て! 一人も生かして返すな!」
深夜のパリの路地裏。松明の火に照らされた暗がりで、連日連夜、刺客同士のドス黒い惨劇が繰り広げられていた。
過激派のエベール派が街頭でロベスピエール派の幹部に棍棒やナイフを叩き込めば、翌晩にはロベスピエール派の部隊がエベール派のアジトを強襲し、見せしめに全員の首を跳ねる。
もはや政治運動ではない。自らの派閥を守り、敵対勢力を潰すため、熾烈な抗争が繰り広げられていた。
「……凄絶な有様だな。昨日はジャコバン・クラブの幹部が三人、路地裏で刺殺体で見つかったそうだ」
アランソンの執務室。
ジャンが呆れたように、パリから送られてきた血生臭い報告書を机に放り投げた。
「ロベスピエール派とエベール派、お互いに殺し屋を送り込んで殺し合ってる。街の民衆も『あいつら、自分たちの権力争いで殺し合ってるだけじゃねえか』って冷め始めてるぞ」
「いい傾向だ」
マサトはワイングラスを傾けながら、ニヤリと口角を上げた。
「ロベスピエールは『真の正義』を装っていたが、これでただの『血に飢えた狂人』であることが民衆にもバレ始めた。……で、ラーブル。俺たちが仕掛けた『餌』の効き目はどうだ?」
影からすっと姿を現したラーブルが、恭しく頭を下げた。
「完璧です、マサトさん。ロベスピエールに追い詰められ、命の危険を感じたエベール派の幹部たちに、我がアラマサの隠密ルートから『資金』と『ロベスピエール派の情報』を匿名で買い取らせました。跳ね上がった資金力でますますロベスピエール派へ苛烈な報復攻撃を仕掛けております」
「くくっ、最高じゃないか」
俺は低く笑った。
そう、この抗争を裏で激化させているのは、他ならぬ俺たちアランソンだ。
ロベスピエールに潰されそうになっている弱小派閥に、裏から「金」と「敵の居場所の情報」を流し込んでやる。すると、本来なら一方的に潰されるはずだった連限が息を吹き返し、ロベスピエール派に壊滅的な打撃を与えるのだ。
敵同士が勝手に殺し合い、お互いの組織をすり減らしていく。
ロベスピエールは他派閥を排除しようと必死になればなるほど、味方を失い、敵の怨嗟を集め、自らの足元を崩していくことになる。
「ジャン、自警団の精鋭数名を『アランソンの警護組織』としてパリの隠れ家に潜ませろ。抗争に巻き込まれて逃げてきた無派閥の議員や技術者を、密かにアランソンへ亡命させる」
「へっ、逃げてきた奴らをかくまって、さらにうちの力にするってわけだな。任せろ、極上の隠れ家を用意してやるよ」
ジャンが不敵に口端を上げた。
狂熱と血みどろの暗闘に包まれるパリ。
ロベスピエールがどれほど権力を握ろうと焦ろうが、彼が踊らされている舞台の糸を引いているのは、アランソンに鎮座する俺だ。
「さあ、ロベスピエール。次はお前が刺客を送る番か? それとも……お前自身が首を狙われる番かな?」
暗闇の中で渦巻くジャコバン派の流血劇を冷ややかに見下ろしながら、マサトは次の手を静かに指すのだった。




