第43話 囚われの王家
1789年、10月5日。
秋の冷たい雨が降りしきる中、歴史を大きく動かす大事件が勃発した。
ロベスピエールらジャコバン派の裏工作と煽動によって煽られたパリの市場の女性たち数千人が、太鼓を打ち鳴らし、大砲や槍を手にしてヴェルサイユ宮殿を目指して進軍を開始したのだ。
「パンはある! だが王が人権宣言を拒む限り、明日の食卓はない!」
「奢り振舞う王妃を許すな! 国王をパリへ連れ戻せ!」
マサトがセーヌ川経由で流した食料のおかげで、飢餓の絶望こそ和らいでいたものの、それゆえに民衆の怒りは王家の政治的態度へと純粋に向けられていた。
大雨の中を押し寄せた激昂する群衆の中には、何と国民衛兵も紛れておりあっさりと、ヴェルサイユ宮殿を包囲。制止を試みたラファイエットは1人では無力で押し切られ、ついに一部の過激派が宮殿内へ侵入。近衛兵を殺害し、王妃マリー・アントワネットの寝室まで雪崩れ込むという惨劇に発展した。
事態を収拾できなくなったルイ16世は、ついに折れた。
『人権宣言』への署名を認め、さらには民衆の要求通り、住み慣れたヴェルサイユ宮殿を捨ててパリのテュイルリー宮殿へと移住することを承諾したのだった。
数日後。アランソン領主館の執務室。
「……信じられないな。あのヴェルサイユ宮殿が民衆に破られ、国王陛下と王妃様がパリへ『連行』されたんだとよ」
届いたばかりのパリからの急報を読み上げながら、ジャンが顔を引きつらせていた。
「実質的な軟禁状態、だな」
俺——マサトは、机の上の地図に並べた駒をひとつ動かした。
「ラファイエット侯爵も、部下に脅されて王宮を守り切れず、王宮からパリに連行される時にしか、護衛が出来なかったらしいな。もうパリは民衆とジャコバン派の監視下に置かれたも同然だ」
「マサト、俺たちが食料を送って暴動を防ごうとしたのは無駄だったのか?」
ドニが眉をひそめて尋ねてくる。
「いや、無駄じゃない」
俺は首を振った。
「もし食料すら届いていなかったら、ヴェルサイユ宮殿は文字通り血の海になり、ルイ16世をその場で首を跳ねる勢いだっただろう。……食料があったからこそ、民衆の要求は『王をパリへ連れ戻して政情を安定させる』にとどまったんだ」
そう、史実通りの流れではあるが、マサトの食料供給によって「王家がその場で惨殺される」という最悪のシナリオだけは回避できていたのだ。
「だが、これでパリの権力構造は完全に変わったぞ」
俺は窓の外、静かに、しかし着実に要塞化が進むアランソンの街並みを見下ろした。
「国王は実権を失い、ラファイエットの温和派も後手に回っている。これからパリを支配していくのは、民衆の怒りを煽り立てるロベスピエールたち過激派(ジャコバン派)だ。あいつらは遠からず、自らの権力を固めるために『さらなる暴挙』に出る」
「さらなる暴挙……?」
ジャンがゴクリと唾を飲み込む。
「過激派による恐怖政治かな。王も退け、温和派も後手に回ってるようなら、止められないだろうな、パリがどれだけ狂気に染まろうと、このアランソンだけは絶対に侵させない。……来るべき『本当の嵐』に備えるぞ」




