第41話 セーヌ川
ラファイエット侯爵がパリへ戻り、国民議会で「ル・アーヴル港における特例貿易権」を力技で押し通してから、わずか数週間後のことだった。
セーヌ川の河口に位置する港町、ル・アーヴル。
普段なら静かなはずの港に、大型の商船が次々と入港していた。イギリス本土やアイルランド、遠くは新大陸の植民地から買い付けた小麦、トウモロコシ、乾燥肉、そして塩漬けの魚を満載した船団だ。
「よし、どんどん積め! 船底を空にしたら次の船が入ってくるぞ!」
港には、長官の隠し財産から潤沢な日当を支払われて目を輝かせる現地の港湾労働者たちと、全体の手配を取り仕切る自警団組織アラマサたちの威勢の良い声が響き渡っていた。
地方長官の遺産という資金はまだ残っており、惜しみなく投じ、イギリス側の商人たちに相場通りの金貨を即金で支払うマサトの手法は、あまりにも強力だった。革命の混乱で紙幣の信用が暴落しかけているフランスにおいて、本物の金貨を積み上げてくるマサトは、イギリスの商人にとっても最高の上客だったのだ。
大型船から降ろされた膨大な食料は、すぐさまセーヌ川専用の平底船へと積み替えられ、水運を使ってセーヌ川を遡上していく。
陸路とは違い、盗賊や過激派の襲撃の可能性をかなり下げられる。川の流れに乗せて、大量の食料が一気に首都パリへと運ばれていくのだ。
「……おい、あれを見ろ! セーヌ川から船が来るぞ!」
パリ近く、セーヌ川沿いの河岸に集まっていた貧民や市民たちが、川上からやってくる船団を見てざわめき立った。
平底船のデッキには、山のように積み上げられた小麦粉の袋と、香ばしい匂いを漂わせる膨大なパンの箱。
船の船首には、パリ市民が見慣れた「国民衛兵」の旗と――見たこともない「アラマサ」の紋章が誇らしげに掲げられていた。
「パンだ……! 本物の小麦粉だぞ!」
「嘘だろ、こんな大量の食料、どこから湧いてきたんだ!?」
食料不足とハイパーインフレに喘ぎ、昨日もパン屋の前で暴動を起こしかけていたパリ市民たちが、吸い寄せられるように岸辺へと群がる。
船から降り立ったアラマサの隊員と国民衛兵たちが、声を揃えて木箱を持ち上げた。
「パリ市民の皆さんに知らせる! これはアランソンに本拠地を置く、アラマサ自警団代表のマサト氏の手配により、正規の貿易ルートで運び込まれた食料である! 本日より、適正価格にて市場へ供給する!」
「適正価格……!? 闇市のようなふっかけた値段じゃないのか!?」
「そうだ! 腹を空かせた市民を救うため、マサト代表の意向により、平民でも買える価格で販売する! 順番に並べ!」
その言葉が発せられた瞬間、河岸は割れんばかりの大歓声に包まれた。
「マサト……? アランソンのマサトだって!」
「神様、仏様、マサト様だ! 救世主が現れたぞ!」
「ヴィヴ・ラ・リベルテ(自由万歳)!」
熱狂する民衆。押し合いへし合いしながらも、安い値段で焼き立てのパンや小麦粉を手に入れた人々は、涙を流しながらそのパンにぶりつくのだった。
同日。パリ・ヴェルサイユ宮殿近くの国民衛兵司令部。
窓からパリ市内の喧騒を眺めていたラファイエット侯爵の元に、部下が息を切らせて飛び込んできた。
「総司令官! セーヌ川からの食料搬入、大成功です! パリ市内のパンの価格が一気に落ち着き、聖アントワール街の暴動騒ぎも完全に沈静化しました!」
「……そうか」
ラファイエットは手元にある報告書を見つめながら、深く息を吐き出した。
報告書には、パリ市民が「マサト」の名を絶賛し、まるで英雄のように語り合っている現状が記されていた。
武力で鎮圧することもなく、美しい理念を語るでもなく、ただ『腹を満たす』ことだけでパリの狂気を鎮めてみせたか……
ラファイエットの脳裏に、アランソンで冷徹にグラスを傾けていた青年の姿が浮かぶ。
マサト殿。君はパリを救った救世主だ……だが同時に、パリ市民の胃袋も、我々国民議会の求心力も、すべて君の手のひらの上に載せられてしまったな
一方その頃、アランソンの執務室。
「マサト! パリから大至急の報告だ! 運んだ食料は完売だ!」
ジャンが弾んだ声で報告書を叩きつける。
「そうか。まあ、計算通りだな」
俺は書類から目を離さずにニヤリと笑った。
「パリの連中に『俺たちから食料を買わなければ生きていけない』という事実を骨の髄まで叩き込んだ。これで当面、パリの過激派や議会がアランソンに余計な干渉をしてくることはない」
「腹を満たして味方にし、物流を握って脅しにもする……相変わらず悪どいやり方だなあ」
ドニが呆れたように笑う。
「商売だよ、ドニ。……さて、パリの胃袋を握ったところで、次に移るぞ」




