第40話 ル・アーヴル
アランソン地方長官屋敷の応接室。
出された温かいスープと香ばしい焼き立てのパンを口にしたラファイエットは、その素朴ながらも深い味わいに思わず目を見張っていた。
「……パリの街角では、黒く固いパン一切れのために民衆が争っているというのに。この街の食卓は実に豊かだな」
「満足していただけて何よりです、侯爵」
向かいに座るマサトは、ワイングラスに手をかけながら静かに微笑んだ。
「さて、本題に入りましょう。パリへの食料援助の件です。俺たちが提示する条件は至ってシンプルです。『ル・アーヴル港からセーヌ川を経由する貿易権』を認めさせること」
「ル・アーヴル港の貿易権……!?」
ラファイエットの顔から笑みが消え、鋭い眼光が俺を射抜いた。
ル・アーヴルはセーヌ川の河口に位置する要衝だ。そこからセーヌ川を遡れば、アランソンの近郊を通り、そのまま首都パリへと至る大動脈となる。
「待ってくれ、マサト殿。ル・アーヴルからの水運を抑えるということは、パリへの物流の喉元を握るも同然だ! それに……今、フランス国内は猛烈な不作だぞ。港の権利を得たところで、どこからそれほどの食料を仕入れるというのだ?」
「決まっているでしょう。海を渡ったすぐ隣国ブリ……イギリスからですよ」
「なっ……イギリスだと!?」
ラファイエットが勢いよく立ち上がった。
「馬鹿な! 宿敵であるイギリスから食料を輸入するなど、国民議会が納得するはずがない! 伝統的な愛国心にも反する!」
「愛国心で腹が膨らみますか、侯爵?」
俺は冷徹な声で、立ち上がるラファイエットを見下ろした。
「誇りや伝統にこだわって市民を餓死させるのが、あなたの目指す『自由と平等』なんですか?しかも直接イギリスから輸入するとは言ってませんよ?イギリス植民地やアイルランドを利用しイギリスを中継地点とする三角貿易を行う予定です。これなら文句はございませんよね?」
「ぐっ……」
「俺の資金でイギリスを経由し莫大な食料を買い叩き、ル・アーヴル港からセーヌ川を使って運ぶ。アランソンの胃袋を満たし、その余剰分をパリへ適正価格で流してやる。……これでパリの暴動は収まり、あなたの『国民衛兵』も市民の暴徒化に頭を抱えずに済む。双方にとって何の不満があるんですか?」
ラファイエットは拳を握り締め、激しい葛藤に顔を歪めた。
マサトの言うことは、身も蓋もないほど正論だった。
パリの混乱の根源は「腹が減っていること」だ。もしアランソンがイギリスからの食料ラインを確立し、セーヌ川経由で安定してパンを供給してくれるなら、どれほどの市民の命が救われ、暴動が鎮静化するか計り知れない。
だがそれは同時に、「首都パリの生命線を、完全にマサトという一人の平民に握られる」ことを意味していた。
「……君は、恐ろしい男だな、マサト殿。力で攻め落とすのではなく、食料と金でパリそのものを飼い慣らそうというのか」
「滅相もない。俺はただの平民ですよ。平和に商売がしたいだけです」
俺はそっとグラスを傾けた。
「国民議会を説得し、俺に貿易権の認可を出させること。それがラファイエット侯爵、あなたの役目だ。……悪い取引じゃないでしょう?」
沈黙が応接室を支配する。
アメリカ独立戦争の英雄は、長考の末、深いため息とともに再び椅子へと腰を下ろした。
「……分かった。議会には私が掛け合おう。『ル・アーヴルからの特例貿易権』を君に与える。……その代わり、約束しろ。パリの市民を餓死させないと」
「ええ、お約束します。男に二言はありません」
俺は不敵に微笑み、ラファイエットに向かって手を差し伸ばした。
イギリスを中継した大量の物資、セーヌ川の水運網、そしてアランソンの圧倒的な近代兵器。
マサトの手の中に、フランスの未来を動かす巨大なピースが、また一つ収まった瞬間だった。




