第30話 勃発
アランソンが『アラマサ・システム』によって未曾有の繁栄を遂げてから、瞬く間に時間が流れた。
1789年。日本の歴史を知る俺にとって、この年は特別な、そして最も恐るべき意味を持つ。
フランス革命の、その幕が上がる年だ。
「マサト! パリからの定期便だ。いよいよ街の空気がおかしくなってやがるぞ」
工房のオフィスに駆け込んできたジャンが、 数日遅れの新聞を机に叩きつける。
紙面に躍るのは『三部会の招集』『平民議員の反発』そして、連日のように発生している暴動の記録だ。特権階級への怒りと、極限に達した飢餓が、フランスという巨大な国家を内側から焼き尽くそうとしていた。
「……ついに、引き金が引かれるか」
俺は新聞を見つめながら、静かに息を吐いた。
アランソンの外の世界は地獄だ。パンの価格は高騰し、餓死者が溢れ、治安は崩壊している。だが、俺たちの住むこの街だけは違った。
窓の外を見下ろす。
アランソンの街を古くから囲む城壁は、この数ヶ月で完全に補修や改造が行われていた。
ボスカリ家傘下の豪商たちから合法的にむしり取った資金や自警団に加盟している警備代などを注ぎ込み、近代的な要塞化へと補強。
城壁の要所には、ドニの工房が総力を挙げてライフル技術を転用し鋳造した『新型の後装式大砲』が極秘裏に置いてある。
通りを行き交うアラマサ自警団の数も何倍にも膨れ上がり、装備もただの自警団の域を超えていた。
全員が統一された制服を纏い、肩には量産化に成功した最新鋭のライフル。毎日、徹底された軍隊式の規律と戦術訓練を叩き込まれた彼らは、その辺の領主軍やゴロツキなど一蹴できる、この時代で最も洗練された私兵へと変貌していた。
「ジャン、備蓄の状況は?」
「お前の指示通り、倉庫は火薬と弾薬、それから数年分は耐えられる干し肉と小麦でパンパンだ。ギルドの連中も、今や俺たちの顔色を伺ってペコペコしてくる。……なぁマサト、本当にここまでする必要があったのか? この街は、もうフランスで一番安全な場所だぜ」
ジャンの言う通り、アランソンは奇跡のユートピアだ。民衆は笑顔に溢れ、飯が食えることに感謝している。
だが、国家が崩壊するとき、その富と平和を狙って、飢えた暴徒や、あるいは統制を失った正規軍がこの街に押し寄せてくるのは火を見るより明らかだった。
「ジャン、これが最後の警告だと思ってくれ。近いうち、パリで大事件が起きる。その火花は一瞬でフランス全土に広がるぞ。自警団の警戒レベルを最大に上げてくれ。街に入る怪しい奴は全員拘束だ」
「……分かったよ。お前の予測が外れたことはねぇからな」
ジャンが真剣な表情で頷き、部屋を出ていく。
一人残された俺は久しぶりに、図説・日本戦史[付録・歴史年表付き]入りの僅かなフランス革命前後の歴史の流れを何とか把握しようとページを捲る。
史実通りなら、まもなくパリの民衆が動き出す。武器弾薬を求める民衆が狙うのは、バスティーユ牢獄だ。
その嵐が吹き荒れたとき、このアランソンは民衆の味方となるのか、それとも旧体制の敵となるのか。
「……誰が相手だろうと関係ない」
俺は拳を強く握りしめた。
歴史の荒波に飲み込まれてたまるか。この知識と、作り上げた軍隊、そしてこの要塞で、俺たちの居場所は俺たちが死守する。
1789年7月15日・深夜
パリの方角から走ってきた早馬が、アランソンの城門を激しく叩いた。
『――パリ市民が蜂起! バスティーユ牢獄が、陥落したぞ!!!』
もたらされた報せは、俺が恐れ、そして待ち構えていた、フランスの長い長い混沌の始まりだ。




