第120話 砂糖
サント=ドマンゴから届いた巨大な貿易船団の到来から数ヶ月後。
パリの街並みには、これまでにない小さな変化と、人々の弾んだ笑顔が溢れていた。
「はいよ! サント=ドマンゴ産の特級純糖を使った焼きたての『カヌレ』とショコラタルトだよ! 昔の三分の一の値段だ、持っていきな!」
街角のパティスリー(菓子店)の店頭には、香ばしく甘い香りが漂い、焼き立てのお菓子を求める市民たちで行列ができていた。
かつて砂糖やカカオといえば、王侯貴族しか口にできない超高級品であった。それが今や、マサトたちの「独占・大増産ライン」によって上質な砂糖が比較的安価に市場へ出回り、庶民の日常にささやかな幸せとして広がっていたのだ。
「へえ、街中でこんなお菓子が普通に買えるようになるなんてな……」
パリの市街巡回から戻ってきたジャンが、両手いっぱいに抱えた紙袋を総裁府のテーブルにどさりと置いた。
「マサト、ドニ! 街の職人どもがサント=ドマンゴの砂糖で開発したっていう『新しいお菓子』を片っ端から買ってきたぞ!」
「わあ、すごい量だね」
マサトが目を輝かせ、紙袋から香ばしい焼き菓子を取り出す。外はカリッと香ばしく、中はモチッとした新感覚の『カヌレ』や、濃厚なカカオの風味が引き立つショコラ菓子。
「どれどれ……ふむ!生地の火の通り方が均一で、砂糖の甘みが極上に引き立ってるぜ!」
ドニたちと菓子を頬張ってると、執務室の扉が開いて豪華なゲストたちがやってきた。
ナポレオン将軍、ラ=ファイエット総裁、そして遠征から戻ったラトゥーシュ=トレヴィル提督である。
「おや、甘い匂いに誘われてやってきたが……これは素晴らしい宴だな」
ラ=ファイエットが微笑み、ナポレオンも珍しく目を細めてテーブルの上の焼き菓子を眺めた。
「将軍方もどうぞ! パリの市民たちの間で大流行している、新しいお菓子ですよ」
ジャンに勧められ、一同はテーブルを囲んで腰を下ろした。
ラ=ファイエットが小さなカヌレを手に取り、一口頬張る。途端に、その表情がふわりと和らいだ。
「……うむ、うまいな。砂糖の甘みが誠に上品だ。かつて宮殿で食した気取った菓子よりも、ずっと心が温まる味がする」
「ハハハ! 総裁、その通りですな!」
ラトゥーシュ=トレヴィル提督が豪快に笑いながら、熱いコーヒーにたっぷりと砂糖を投入した。
「サント=ドマンゴの現地では、トゥーサン殿たちが『自分たちの手でつくった砂糖がヨーロッパ中に届いている』と誇らしげに汗を流しておりました。搾取の鎖を断ち切り、自分たちの労働の対価として豊かになる……あの島の笑顔が、この甘みを作っているのですな」
「力で抑えつけて奪うのではなく、現地を自立させて手に入れた果実か……」
ラ=ファイエットが優雅に一口味わい、深く感銘を受けたように頷いた。
「かつては流血と怨嗟の象徴だった砂糖が、今やこうしてパリの街角で市民の誰もが味わえる幸せとなっている。マサト総裁、これこそがあなたが創り出した『新しい世界の形』ですな」
ラーブルが試算表を片手に、静かにマサトの隣に寄り添う。
「マサトさん。安価で高品質な砂糖の流通により、パリをはじめとする各都市で新たな菓子産業やカフェ文化が爆発的に開花しています。税収の増加はもちろん、市民の生活満足度は過去最高を記録しておりますよ」
「安くてうまいものが食えて、みんなが笑顔になる。……一番最高の経済効果だね」
マサトが温かいコーヒーに砂糖をすくって入れ、微笑んだ。
ジャンが大口でお菓子を丸呑みにして「おいおい、俺の分まで残しておけよ!」と笑い、ドニとナポレオンが美味そうにおかわりを手に取る。
かつての銃砲の煙は消え去り、いまやパリを包むのは芳醇なコーヒーと甘い焼き菓子の香りだ。




