第120話 共栄
サント・ドミンゴ市街と深いジャングルを隔てる境界線上に位置する、一軒の小高い丘の教会。
そこが、フランス全権大使ラトゥーシュ=トレヴィル提督と、反乱軍首領トゥーサン・ルーヴェルチュールによる歴史的な直接会談の場となった。
護衛の数を絞り、無武装で姿を現したラトゥーシュ=トレヴィルに対し、鋭い眼光を持つ黒人指導者トゥーサンは静かに頷き、席を勧めた。
「……よくぞ丸腰で来られた、フランスの提督」
「未来のビジネスパートナーに武器を持ち大勢を引きつれ挨拶しに行くのは失礼かと思ってな。」
ラトゥーシュ=トレヴィルは豪快に笑うと、ドニから託された大きな木箱をテーブルの上にドスンと置いた。
「手土産だ。フランス最新鋭の蒸気精米機と、マラリアの特効薬キニーネ。それと我が国の技術省が作成した『近代農業とインフラ構築の教科書』だ」
トゥーサンは木箱の中身を検分し、すでに街でフランス軍が現地住民を分け隔てなく治療・手当していた光景を思い返した。
「……信じがたい。我々を『撃ち殺すべき奴隷』ではなくひとつの人間として扱い、このような貴重な物資を与えるとはな。スペインの奴らとは大違いだ」
「当たり前だ」
ラトゥーシュ=トレヴィルは表情を真剣なものに変え、卓上に一枚の協定書、マサトがパリで起草した『サント・ドミンゴ自治・独占貿易協定案』を広げた。
「我がフランスの総裁マサトの考えはこうだ。『武力で抑えつけ、人間を奴隷として搾取する統治は、必ず反乱を呼んで崩壊する愚行である』と。我々は君たちを鎖で繋ぐ気はない。自治政府の設立を認め、医療やインフラ、機械を惜しみなく提供して自立させる」
「……何だと?」
トゥーサンをはじめ、背後に控えていた反乱軍の幹部たちが息をのんだ。自分たちが命を賭して勝ち取ろうとしていた「自由と自治」が完璧に保証されているのだ。
「ただし、当然だがこれはただの慈善事業ではないぞ、トゥーサン」
ラトゥーシュ=トレヴィルはニヤリと不敵に口の端を上げた。
「これだけの技術・医療・インフラ投資を無償で行う以上、我がフランスは相応の『対価』を要求する。この島で産出される砂糖、コーヒー、綿花などの全農産物・資源は、すべてフランスが独占的に買い取るものとする」
「独占貿易……!」
「そうだ。他国への勝手な転売は認めん。だが安心しろ。フランスはスペインのように不当に買い叩く真似はしない。『公正な協定価格』で全量を買い上げる。さらに我が国からの輸入関税を極限まで免除する最恵国待遇を相互に適用する」
提督は卓上の協定書を力強く叩いた。
「君たちは奴隷の鎖から解き放たれ、フランスの技術で豊かになりながら自治を行える。そして我がフランスは、大西洋における莫大な農産物の『完全独占供給ルート』を手に入れる。……反乱のリスクはゼロ、互いに永久に利益が出続けるWin-Winというやつだろ?」
武力による屈服でも、旧時代の凄惨な搾取でもない。
圧倒的な投資と技術提供を武器に、相手を自立させつつも経済の太いパイプをフランスが完全に握りしめる、マサトの計算し尽くされた戦略。
トゥーサンはしばらく無言で協定書を見つめていたが、やがて深く、深く息を吐き出した。
「……力で搾取する悪魔ではなく、圧倒的な富と技術で経済の主導権を握る者か。マサトという総裁は、なんと恐ろしく、なんと賢明な男なのだ」
トゥーサンは腰の剣を外し、静かに卓上に置いた。
「我々としても異論はない。同胞の尊厳と自治が守られ、生活が豊かになるのであれば、最高の顧客であるフランスにすべてを納めるのは当然の筋だ。喜んで『独占貿易協定』に署名しよう」
「交渉成立だな!」
ラトゥーシュ=トレヴィルは立ち上がると、黒き指導者トゥーサンに向かって力強く右手を差し出した。
トゥーサンも迷うことなくその手を固く握り返した。
砦に閉じこもっていた無能なスペイン駐屯軍が呆然と見守る中、サント・ドミンゴの港にはフランス国旗と自治政府の旗が並んで掲げられた。
大西洋の風を受け、カリブ海に歴史上初となる「フランス独占の自治共栄圏」が爆誕した瞬間であった。




