第117話 調印式
この日、パリの街は歴史上いまだかつて見られなかったほどの狂乱と歓喜の渦に包まれていた。
快晴の青空には色鮮やかな各国の万国旗がたなびき、シャンゼリゼ通りを埋め尽くした数十万の市民からは、地鳴りのような歓声が湧き起こっている。
「すごい人出だな……! パリ中の人間が集まったんじゃないか!?」
総政府の大テラスから街を見下ろし、ジャンが感嘆の声をあげる。
「ええ、パリ市民だけではありませんよ。イギリス、オーストリア、スペイン、プロイセンから、この瞬間を一目見ようとやってきた観光客や新聞記者で溢れかえっています」
隣でラーブルが、誇らしげに胸を張った。
総政府の大広間には、歴史に名を残す覇者たちが一堂に会していた。
イギリスのアディントン首相、オーストリアのヨーゼフ大公、スペイン外交特使、そして、新生同盟への加入を乞い願ったプロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世。
かつて泥沼の戦場で数万の兵を散らし、血で血を洗う仇敵同士だった男たちが、今や仕立ての良い礼服に身を包み、同じ円卓を囲んでいるのだ。
定刻となり、中央の壇上にマサトが登壇すると、地鳴りのような歓声が一瞬で静まり返り、息を呑むような静寂が広場を支配した。
「諸君。本日、我々は歴史の扉を新しく押し開くために集まった」
いつの間にかドニが開発してた巨大拡声器を通じて、マサトの声がパリの街全体へと響き渡る。
「銃声と悲鳴に満ちていた古いヨーロッパは、昨日限りで終わりを迎えた。今日ここに、経済の壁を取り払い、お互いの平和を共に守り抜く不可侵の誓い……『新生同盟』の成立を宣言する!」
マサトの宣言とともに、ラーブルの手によって羊皮紙の「新生同盟協定書(パリ条約)」が広げられた。
真っ先に進み出たのは、イギリスのアディントン首相だった。
「戦争ではなく、繁栄のために」とマサトに言い、金色の万年筆で誇り高く署名を刻む。
続いてオーストリアのヨーゼフ大公、スペイン特使、そしてプロイセン国王が、感無量の表情で次々と署名していった。
最後の署名欄にマサトがペンを走らせ、協定書を高く掲げたその瞬間。
「『新生同盟』の調印、完了!!」
ドォォォォン!! ドォォォォン!!
パリ市街の祝砲が一斉に打ち上がり、聖堂の巨大な鐘が鳴り響いた。空を埋め尽くす紙吹雪と、割れんばかりの万歳の歓声が地響きとなって街を揺らす!
「さあ! 最高の宴の始まりだ!!」
ジャンの合図とともに、総政府前の特設広場に巨大な幕が引き落とされた。
黒光りする重厚な鋼鉄の巨体、ドニが総力を挙げて創り上げた怪物、全欧州横断蒸気機関車一号機『シンセイ号』が、白い蒸気を爆発させて姿を現したのだ!
「うわあああ! なんだあれはーっ!?」
「でかい! すげえ! 鉄の化け物だ!」
群衆から今日一番の雷鳴のような大歓声が上
がる。
車体には、フランス、イギリス、オーストリア、スペイン、プロイセンの国旗が誇らしげに並んで描かれていた。
「ハハハ! 見ろよマサト! 各国の国王も首脳も、口をぽかんと開けて固まってやがるぞ!」
作業着のまま駆け寄ってきたドニが、黒くなった顔で破顔した。
「このシンセイ号はな、スペインを出発して、フランスを抜け、プロイセンまで駆け抜ける予定だ!」
「ああ、素晴らしいよ、ドニ」
マサトは感極まった様子でドニの肩を抱き寄せた。
汽笛がと高く響き渡り、巨大な車輪が滑らかに回転を始める。
車窓からは、かつて敵同士だった各国の士官や技師たちが、笑顔で手を振っていた。国境を越え、平和と繁栄を運ぶ「鉄の使者」が、大歓声の中を未来へ向かって力強く走り出していく。
「やったな、マサト」
ジャンがそっとマサトの隣に並び、遠ざかっていく列車の煙を見つめた。
「ああ。武力でも強迫でもない。誰もが笑って手を取り合える時代を、本当に作れたんだ」
「ふっ……アランソンの小さな工房から始まって、まさかヨーロッパ全体を一つに束ねちまうとはな。お前は本当に、とんでもない男だよ」
晴れ渡るパリの青空の下。
万国旗が風に揺れ、大鐘の音がいつまでもいつまでも、誇らしく響き続けていた。
内政と技術、そして知恵によって世界を塗り替えたアランソンの若者たちが掴み取った、歴史上最大のグランドフィナーレであった。




