116話 プライド
パリ、総政府の執務室。
重厚な扉が開くと、そこに立っていたのはプロイセン外相ハルデンベルク、そして少数の護衛を伴い、極秘でフランスへ乗り込んできたプロイセン国王、フリードリヒ・ヴィルヘルム3世その人であった。
かつて軍事大国としてのプライドを誇り、フランスを見下していた面影はどこにもない。
国王の顔には濃い疲弊の色が滲み、その肩は落とされていた。
「……マサト総裁。不躾な訪問を許してほしい」
国王自らが深く頭を下げる。
室内にはマサトとジャンの二人しかいなかったが、ジャンは呆れたように小さな声で呟く。
「ハッ、これは驚いたな。ベルリンで『後回しにされた』ってカンカンに怒ってたプロイセンの国王陛下が、直々にパリまでお越しになるとはね」
「……煽るな、ジャン」
マサトはジャンを手で制すると、静かに立ち上がり、国王に席を勧めた。
「遠路はるばるようこそ、ヴィルヘルム3世殿。して、本日はどのようなご用件で? 我々は現在、英・墺・西との共通市場の調整で非常に多忙なのですが……」
あえてすっとぼけるマサトの言葉に、国王は苦そうに顔を歪めた。
だが、もはや見栄を張っている猶予など、プロイセンには一刻の猶予も残されていないのだ。
「……単刀直入に言おう! 我がプロイセンを、今すぐ『新生同盟』に加入させてほしい!」
国王は机に両手をつき、身を乗り出して叫んだ。
「このままでは我が国は干上がる! 商人は関税の壁に泣き、軍部は技術の格差に焦り、民は『なぜ我が国だけが取り残されるのか』と暴動寸前なのだ! 頼む……我が国を見捨てないでくれ!」
威厳もプライドも捨て去り、なりふり構わず懇願するプロイセン王。
ジャンは「そこまで言わせりゃ上等だろ」とでも言いたげに、マサトへ視線を送った。
マサトはしばらく無言で国王を見つめていたが、やがてゆっくりと首を振った。
「国王陛下。我が同盟は、軍事的な覇権を競うためのものではありません。加盟国の『プライド』や『特別扱い』を保証する場所でもない。自国の軍隊の誇りよりも、民の豊かさと平和を第一に考えられない国は、申し訳ありませんがお断りしています」
マサトの静かな、しかし芯のある突っぱねに、国王はハッと息をのんだ。
己がこれまで抱いていた「軍国プロイセンの特権意識」が、いかに時代遅れで愚かなものであったかを突きつけられたのだ。
「……わかった。我が国の愚かなプライドは、すべてここで捨てよう」
国王はゆっくりと腰の飾剣を外すと、それを静かにマサトの机の上に置いた。
「我が軍の誇りも、特権の要求もすべて撤回する。我が国が求めるのはただ一つ、プロイセンの民に豊かさと安心を与えることだ。……どうか、我が国を同盟に加えてくれ」
その瞳には、かつての傲慢さは消え、一国の主としての真摯な決意だけが宿っていた。
熟した果実が、ついに木から落ちた瞬間だった。
「……言葉を聞けて安心しました、ヴィルヘルム3世殿」
マサトは穏やかな笑みを浮かべると、机の上の飾剣には手を触れず、自ら右手を差し出した。
「古い剣を捨てる方に、差し出す手は拒みません。ようこそ、新生同盟へ。貴国の誇り高き技術と勇敢な兵士たちは、これより全ヨーロッパを守る『東の要』となります」
「マサト総裁……!」
国王は差し出されたマサトの手を、涙ぐみながら固く握り返した。
その夜。
プロイセンの正式加入が決まり、パリの街はもうすぐ執り行われる「新生同盟正式調印式」の準備で、かつてないお祭り騒ぎに包まれていた。
総政府のテラスからは、色鮮やかな万国旗で飾られたパリの街並みと、新しく敷設された線路を試運転する蒸気機関車の汽笛が見下ろせた。
「ふう……これで本当に、パズルの最後のピースがハマったな」
ジャンが手すりに寄りかかり、夜風に吹かれながら呟く。
「ええ。イギリス、オーストリア、スペイン、そしてプロイセン。ヨーロッパの主要国が手を取り合って、一つのテーブルにつく。……明日、歴史が変わりますね」
隣に立ったラーブルが、感慨深そうにワイングラスを傾ける。
「ドニの奴は?」
「『調印式の目玉である、全欧州横断列車の最終調整だ!』って言って、工場に泊まり込みですよ」
「あいつらしいや」
マサトは夜空を見上げた。
調印式には、全加盟国の首脳が集う。かつて泥沼の戦場で殺し合っていた国々が、ペン一本で新しい時代の誓いを立てるのだ。




