113話 覇道と自由
パリ第1公立小学校の開校から数週間。
教育改革の第一歩が軌道に乗る中、総政府の執務室には重苦しい静寂が漂っていた。
マサトとジャンの前に座っているのは、フランス陸軍のトップであるナポレオン・ボナパルトと、ラ=ファイエット総裁だった。
「マサト総裁。イギリスは牙を抜かれ、オーストリアもプロイセンも我が国の軍勢と技術に怯えている。……今こそ、我が軍を全欧州へ進軍させるべきだ」
ナポレオンが腕を組み、鋭い眼光でマサトを見つめる。
「我がフランスの法と技術、そして秩序によって全ヨーロッパを直接支配する。それこそが、二度と我々に刃を向けさせない唯一の道だ」
「待たれよ、ボナパルト将軍」
すかさずラ=ファイエットが制した。穏やかだが譲らない態度で首を振る。
「武力による征服など、かつての暴君と同じだ。他国の主権を踏みにじれば、たとえ今は恐怖で服従させても、いずれ全欧州で大規模な反乱が起きる。我が国が目指すべきは各国の『自由と自立』であり、武力による圧政ではない」
「自由だと? それで奴らが再び裏で手を組み、我が国に攻め込んできたらどうする!? 理想論だけでは国は守れんのだ、ラ=ファイエット総裁!」
ナポレオンの激昂に、室内は緊迫した空気に包まれた。
軍事力による強権的な欧州統一を主張するナポレオンと、各国の主権と自由を重んじるラ=ファイエット。フランスの未来を左右する二つの思想が、火花を散らして衝突していた。
じっと二人の議論に耳を傾けていたマサトは、ふうっと息を吐き出すと、壁に掛けられた大きなヨーロッパ地図へ歩み寄った。
「ボナパルト将軍の言う『二度と戦わせない安全保障』も、ラ=ファイエット将軍の言う『主権の尊重と自由』も、どちらも正しい」
「……何が言いたい、マサト?」
ジャンが背もたれに寄りかかりながら尋ねる。
「武力で征服すれば必ず反発が起き、野放しにすれば再び戦争が起きる。……なら、その二つを両立させる『第三の道』を作ればいいんだ」
「第三の道だって……?」
ナポレオンが眉をひそめた。マサトは地図のパリ、ウィーン、ベルリン、ロンドンを指でなぞる。
「武力で国境を消すんじゃない。『経済』と『安全保障』で国境の壁を意味のないものにするんだ。……全ヨーロッパを巻き込んだ、巨大な『平和共同体』を作る」
「共同体……?」
ポカンとするラ=ファイエットに対し、マサトは一歩を踏み出して語りを強めた。
「まず経済だ。加盟国間での関税をすべて撤廃し、共通の市場を作る。我が国の蒸気機関や最新技術、農産物や工業製品を自由に行き来させるんだ。自国だけで狭い領土を奪い合うより、みんなで貿易をした方が何倍も豊かになれる仕組みを作る」
「……ほほう」
ナポレオンの目が、わずかに光を帯びた。
「さらに軍事面だ。これはナポレオン将軍、君の力を借りる。加盟国のどこか一国でも外敵から攻撃された場合、それは『共同体全体への攻撃』とみなし、フランス軍を筆頭とする連合軍が即座に敵を粉砕する共同防衛条約を結ぶんだ」
「 つまり!……」
「そうだ。武力で他国をねじ伏せるのではなく、『フランスの強大な力と豊かさの傘に入っていた方が得だし安全だ』と、向こうから喜んで頭を下げてくる状況を作る。各国の主権は守りつつ、実質的に全欧州を『一つの平和な陣営』として束ね上げる」
静まり返る執務室。
ラ=ファイエットはハッと息をのみ、感銘を受けたように呟いた。
「自由と主権を守りながら、戦争そのものを経済構造から不可能なものにする……。まさに理想の同盟だ」
一方のナポレオンは、しばらく腕を組んで目を閉じていたが、やがて不敵な笑みを浮かべて目を開けた。
「剣で切り従えるよりも、ずっと大がかりで、ずっとタチの悪い『征服』ですね。マサト総裁は、いつも私の想像を超える軍略を立てる」
「軍略じゃなくて、平和のための外交だよ」
マサトが苦笑すると、ジャンが立ち上がり、ポンとマサトの肩を叩いた。
「いいじゃねえか。武力で脅すより、金と安全で縛る方が俺のガラにも合ってる。……で、その大層な共同体とやらに、あの頭の硬い各国の王様どもが素直に乗ってくるか?」
「乗ってくるさ。断れば、自分たちだけが時代に取り残されて貧しくなり、防衛の盾も失うんだからね。断る理由がない」
マサトは決意を込めた目で仲間たちを見渡した。
「全ヨーロッパの首脳を、このパリに招待しよう。……新しい時代のルールを決める、歴史上最大の会議を開くんだ」
ナポレオンとラ=ファイエットが力強く頷く。
一国主権の戦争の時代を終わらせ、全欧州を束ねる「ヨーロッパ共同体」構想。その壮大な構想が、いま静かに実行されようとしていた。




