第109話 教育
パリの第1中央駅。
黒く重厚な鉄の車体から、白い蒸気が激しく吹き出していた。蒸気機関車「アランソン号」である。
「すげえな……。馬車なら何日もかかった道を、たった数時間で行けるようになるとはね」
車窓からの景色を眺めながら、ジャンが感心したように口を開いた。
「だろ? ドニが死ぬ気で調整した甲斐があったよ」
向かいの座席でマサトが笑うと、隣に座っていたドニが照れくさそうに頭をかいた。
「へへ、蒸気圧の調整に苦労したけどな。マサトの提案通りに組んだら、最高のエンジンができたんだ」
「ふふ、二人とも子供みたいですね。ほら、軽食でも食べましょう」
ラーブルがバスケットから焼きたてのパンと燻製肉を取り出し、みんなに配る。
外交や治安維持、内政の激務から束の間解放された4人は、まるで昔に戻ったかのように笑い合いながら、列車に揺られていた。
数時間後。
列車は滑り込むようにアランソン駅へと到着した。
かつて、暴走したイギリス軍に狙われ、貴族の令息たちが人質として捕らえられていたあの場所だ。いまや工場群の煙突からは白い煙が立ち上り、街全体が生き生きとした活気に満ちあふれている。
「すっかり落ち着いた街になったな。あの時はイギリスのガキどもを囲い込んで大騒ぎだったのに」
ジャンが懐かしそうに街並みを見渡す。
「あの屈辱的な条約を踏まえて、今じゃイギリスの首相自ら頭を下げに来るんだからな。歴史ってのは分からんもんだ」
4人は昔の小さな工房へ向かって、舗装された石畳を歩いた。途中、市場を通りかかると、大勢の子供たちが楽しそうに駆け回っているのが目に入った。
その時、一人の少女が落とした手紙を拾おうとして、風に吹き飛ばされてしまう。
マサトがサッと手を伸ばして手紙を拾い上げ、少女に差し出した。
「はい、どうぞ。大事な手紙かい?」
「あ……ありがとう、お兄ちゃん!」
少女は嬉しそうに手紙を受け取ったが、その手紙をじっと見つめたまま、困ったように眉をひそめた。
「どうしたの?」
「……ううん。お父さんから届いた手紙なんだけど、私、文字が読めなくて。市場の大人に読んでもらおうと思ってたの」
少女の言葉に、マサトはハッと息をのんだ。
周りを見渡せば、元気に働く職人や子供たちも、看板の文字を読まずに「色」や「絵」で判断して買い物をしている。
そうか……。どんなに技術を発展させても、どんなに経済を豊かにしても、文字を読み書きできない人間がまだこんなにたくさんいるんだ……
マサトたちの作った蒸気機関車や最新の製品は、世界を驚かせ、列強を平伏させた。しかし、国民一人ひとりの暮らしの根底には、まだ「教育」という大きな課題が残されていたのだ。
少女の手紙を優しく読んで聞かせてやった後、マサトは足を止め、空を見上げた。
「……マサト? どうしたんだ急に立ち止まって」
ジャンが不思議そうに振り返る。ドニとラーブルも首をかしげた。
「なあ、みんな。俺たちが作ってきた『新しい時代』ってさ、軍事力や物資の豊かさだけじゃ完成しないと思わないか?」
「どういうことだ?」
「戦争に使うはずだった巨額の金も浮いた。イギリスからの賠償金もある。……その金を使って、フランス全土に『学校』と『図書館』を作りたいんだ。身分に関係なく、誰もがタダで文字を学び、本を読める国にしたい」
マサトの言葉に、ジャンは一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに口元をニヤリと緩めた。
「ハッ、相変わらずでかいことを言い出す。だが……いいじゃねえか。文字が読める奴が増えれば、俺の治安維持もずっと楽になる」
「俺の作る機械の設計図を読める若い職人も、山ほど育つな!」
「ええ、素晴らしい思いつきですね、マサトさん。子供たちが未来に希望を持てる国……それこそが、私たちの目指す本当の平和ですね」
仲間たちの温かい言葉に、マサトは強く頷いた。
武力で敵を屈服させる時代は終わった。
次にマサトが挑むのは、知恵と教育によって国民全体を豊かにする、史上最大の『内政改革』だった




