72 魔境へ
ムラタマは目の前の灰色の塔へ祝たちを案内するように手招きしている。
祝と楪はお互いに顔を見合わせ、小さく無言で頷きあった。
ここがさっきの仙境に現われた歪と繋がっている世界なら、調べるチャンスだ。それに伯父が言っていたように、魔境に穴を開けている人を見ることができるかもしれない。
「はーい、こちらが魔境の塔でーす。闇の精霊王がお住まいになっている魔境の宮殿でっす」
「宮殿!?」
コレが!?
という言葉は何とか飲み込んだ。
灰色の塔の表面はざらりとしていて、先端に行くほど細くなっている。三角柱のような造形で、宮殿というよりは蟻塚みたいだ。それに宮殿と呼ぶにはきらびやかさが足りないのではないだろうか。
そんな祝の心の中のことはもちろん知りもしないムラタマは二人の前をテクテクと歩いている。
仙境にいた時や冬の庭で疲れていたとは思えないほど、その足取りは軽かった。
「ささ、お客人、こっちが玄関やで」
「……おじゃまします」
祝と楪はそう小さな声で挨拶して、勝手に開いた焦げ茶色のオーク材のような扉の中へ入った。
中は全体的に薄暗く、埃っぽい。
「ここへ人間が来るんは何百年ぶりかなあ。そやからあんまり掃除が出来てないねん。客人があるってわかってたらピッカピカにしてんけど、ごめんやで」
ムラタマは少しだけ恥ずかしそうに後頭部を掻いていた。
祝たちは気にしてない、とムラタマに伝える。それを聞いてホッとしているようだった。
「さあ、これに乗ってくれる?」
「なんですか、これは」
石で出来た巨大な手が卵を掴んでいるような形で、手のひらを上に向けて指を曲げている。
ムラタマはさっさとその手のひらに飛び乗ると、小さな身体で小指の根本に抱き着いた。ムラタマに急かされて、祝と楪もそれに恐る恐る乗り込む。
ムラタマの指示で、それぞれ親指と人差し指に掴まった。
「止まるまで絶対に手を離したらあかんで!」
ムラタマが言い終わらないうちに、石像の指先が閉まり、すごいスピードで上昇し始めた。
「うっ……」
「何これぇぇぇぇっ」
「ヒョウエエエエエィィィ」
腐ってもお坊ちゃまの楪は声を抑え、パッチもののお嬢様の祝は叫び声をあげ、三下の闇の精霊のムラタマはよだれと一緒に悲鳴を上げた。
「……着いたみたいや。良かった、今回も生きてる……」
止まった石像は指を開き、祝たちが降りやすいように指を平らに開いていた。
「ここは?」
口から魂が飛び出てしまっているムラタマや祝とは違い、楪は一番最初に平静を取り戻した。
「ここは精霊王の間や。この塔のてっぺんやで。ほな、挨拶にいこか」
ようやく立ち直ったムラタマはまだフラフラしている足取りで、祝たちを案内するように先に歩いた。
祝たちもその後ろを歩く。
しばらく歩くと、黒いレースのカーテンが何重にも吊るされている部屋に通された。その部屋の真ん中には光沢のある漆黒の玉座があり、そこにはそのイスが似合う鴉の濡れ羽のような長い髪と黒曜石のような瞳を持つ精霊王が座っていた。
鼻梁はすっと通り、薄い唇を優雅に弓なりにしている。さらに、その黒曜石を持つ目元は涼やかな切れ長だ。
祝は思わず見惚れてしまった。
水の精霊王であるヴィー様も風の精霊王もとても整った顔をしていて、見慣れない人間が見ると眩しいほどだと思う。
祝はそんな精霊王たちを見慣れているし、仙境に住む精霊は美しい。そんな美形耐性のある祝でさえ見惚れてしまうほど、闇の精霊王の存在は圧倒的だった。
「ようこそ、光の鍵の番人の子らよ」
低い声は目の前にいる闇の精霊王に良く似合っている。地を震わせるような低い声なのに、とても聞き取りやすい。
「お招き頂きありがとうございます」
楪が挨拶をし、祝も同じように頭を下げた。
闇の精霊王が、楽にしなさい、と言ったので顔を上げる。
闇の精霊王は玉座から立ち上がり衣擦れの音をさせながら、祝たちの前まで来て視線が合うように膝を曲げた。
「この度は我が精霊が世話になったようだ。礼を言う」
ここは時代劇で見たように、ありがたき幸せ、とか言った方がいいのだろうか。
悩んでいる祝をよそに、楪は「はっ」と小さく返事をした。
「我も悩んでおるのだ。そなたらの同類である人間がここに入り込んで穴を開ける。見つけるたびに塞いではおるが……まさか、その穴の先が仙境だとはな」
闇の精霊王の話は父たちから聞いていたものや、ムラタマから聞いていたものとだいたい同じだった。
四年ほど前から魔境に人間が出入りするようになったというのだ。
「どこから出入りしているのかご存知ですか?」
楪が闇の精霊王に聞く。
精霊王は少し驚いたように目を大きく開いた。
「ああ、そうか。仙境の鍵の番人には魔境への入り方は伝わっていなかったか」
そう呟くと、楪と祝をならべてじっと眺めている。
「楪、と申したか。お前には光が少ないのだな。だが、人間性は真っ直ぐだ。それから、お前が祝だな。人間だとは思えんほど光の量が多いな。その割には腹の中は何やら黒い気もするがな」
祝は黙ったまま、それを聞いていた。
初対面の相手に、しかも、精霊王と名の付くものに噛みつかないだけの常識はあるのだ。
それに、外れてもいないのでそのままにして聞き流した。
「まあよい。二人に祝福を与えよう。精霊を助けて貰った礼だ。受け取るがよい」
精霊王はそう言うと指先で祝たちの額を順番に触った。
黒い影がその指から流れ出し、身体の中をぐるりを回る。少し、気分が悪くなったけれど、すぐに慣れたのか治まった。
――というか、闇も祝福なのかな。呪いじゃなくて?
などと失礼なことを考えたのは内緒だ。
「すべてを多い隠す闇も影もお前たちの味方になるだろう。上手く使いなさい」
闇の精霊王はそう言って立ち上がると、玉座に座り直した。
あっという間の出来事で、祝福を断ることもできなかったけれど、まさか――。
「祝、お前はなかなか鋭いな」
「何で考えてることがわかるんですか!?」
「子どもの顔に浮かんでいることぐらい読めるわ」
精霊王はそう言って、フッと薄く形の良い唇で笑みを作った。
「お前が考えた通りだ。祝福は礼の意味ももちろんあるが、魔境に穴を開ける人間を調べるのに使って欲しい。そして、その不届き者を捕らえよ」
――やっぱりか。
タダより高い物はない。
祝はその言葉を噛み締めていた。
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