69 紫玉ねぎ
楪に大人しく抱えられている闇の精霊は閉じていた目を少し開け、チラリ、と周りを見ていた。
祝と目が合ったときだけ、「キィィィッ」と牙を剥きだしにして唸ったのは見間違いではないだろう。
「ずいぶん嫌われたものですね」
祝の横に立っていた風斗は堪え切れないとばかりに吹き出す。
祝はそれを聞きながら目を眇めて、闇の精霊を見ていた。
「あのまま冬の庭の土の上に放置すれば良かったですね。土の精霊の愛情がたっぷり詰まった土の上で最期を迎えれば宜しかったのに」
それを聞いた闇の精霊は一瞬、身体をびくりとさせたけれど、楪に抱えてもらって体調も戻って来たのか、「ふん」と鼻を鳴らした。
「それで、どうしてあんな場所にいたのですか?」
祝が楪に近づきながら手を伸ばすと、闇の精霊はまた牙を剥いた。
「そんなに牙を見せたいなら引き抜いてあげましょうか。それとも、もう一度クルクルしてあげましょうか?」
祝の腕が自分に届きそうだと思ったのか、先ほどの冬の庭で振り回されて気を失ったことを思い出したのか。闇の精霊は「なんでも喋るから!」と悲鳴を上げた。
「最初から素直にそうおっしゃればよろしいのですよ。それであなたのお名前は?」
まさかの尋問する担当が自分から祝に変わってしまったことを呆然としている父と、腕の中の闇の精霊が小刻みに震えているのを感じている楪、それを見ていた伯父や風斗などは何とも言えない顔をしている。しかし、今一番必要なのはこの精霊の侵入経路だと分かっているから、誰も口を挟まなかった。
「名前? そんなもん必要ないからないわ」
相変わらず楪の腕の中にいる精霊はブウたれて口元を歪めている。
「そう。だけど、便宜上、名前が無いと呼ぶのにややこしいから適当に付けますね。そうですね、『紫玉ねぎ』で良いのではないですか?」
「なんでやねん!」
「見た目の通りですよ。紫色で頭の先っぽが尖がっているじゃないですか」
「いや、だから、それだけでなんで精霊の名前に『紫玉ねぎ』やねん! お前、アホの子やろ!?」
祝は文句を言い続ける紫玉ねぎを無視して質問を続けた。
「それでムラタマはどうやってここまで来たんですか?」
「なんで略すねん!」
紫玉ねぎが長いからに決まっている。
しばらく名前についての言い合いがあったものの、不毛だと感じたのか、ムラタマが折れた。
「俺ら闇の精霊は外部から侵攻もない安全な場所で長い間暮らしてたんや。さっき、そこのおっさんが言うてた通り、魔境にも人間の番人がおった時期もあったよ。けど、まあ、色々あっていつの間にか鍵もおらんようになってね。別に不便もないし、元々そんな馴れ合いもないしで俺らの生活に変わりなかった」
ムラタマはもぞもぞと楪の腕の中で体勢を変えると、祝たちに向き合うように座りなおした。
「ねえ、その話、長くなるんだったら私たちも座りたいんだけど」
「そうですね。私はお茶を準備してまいりましょう。七緒、手伝いなさい」
「じゃあ、私は見えないし聞こえないから二度寝させてもらうわね。国継さん、ユズくん、ごゆっくり」
みんなが食堂のイスを引いて座り、母が手をひらひらと振って食堂を出ていく。
蝶子と七緒がお茶の準備をしているワゴンを押して戻って来たころ、祝がムラタマに話の続きを促した。
「……それで、つい最近や。魔境の中に人間が入って来たんや」
「人間?」
「そうや。あんたらみたいな光の悪魔とちゃうで。魔境に入っても害を与えへん人間や。そうやな、近いとしたらこの高貴なお坊ちゃんみたいな人間やな」
ムラタマはそう言いながら顔を上げて楪を見ている。
楪に近いということは闇が濃い人間が入り込んだということだろうか。
「ただ、そいつら、魔境に穴を開けよるねん。その穴がどこに繋がってるんかわからんねんけど、その穴から空気が漏れるみたいに魔境の中の精霊なんかが吸い出されてしもてな。気が付くとその穴は閉じられてるんやけど、被害は大きなる一方やったんや」
「ちょっと待て、その人間が入って来たつい最近っていうのはいつ頃のことだ?」
何か思い当たることでもあったのか、父が話を止めて割り込んできた。ムラタマの話を聞いて顔色を変えたのは父と風斗、それに伯父の三人だった。
「つい最近はつい最近や」
精霊の寿命は人間と比べ物にならない。だから、つい最近、の感覚が大きくずれているのだ。
ましてや妖精王や精霊王になると不死だといっても良いだろう。というか、あの王たちが死ぬと、地球上の光も四大元素もなくなるから必然的に人間も絶滅する。
「ムラタマの住んでいる魔境には季節がある?」
「ないな」
「じゃあ、人間界の季節とかもわからない?」
ムラタマは祝に聞かれて、しばらく考え込んでいた。
紫色の小さな腕を組んで首を傾げている。
「季節ってアレか。白いのが空から降ってきたり水がふったり」
「そう、それ! その白いのが降る季節が人間が来るようになって何回あった?」
淡いの森や仙境から人間界を覗くことができるように、魔境からも人間界を覗くことが出来る場所があるのでは、と思ったのだ。覗ける場所があって良かった!
「四回や」
ムラタマは今度は尖った爪の伸びた紫ゴボウのような指を折っている。
「四年前から……」
「四年前といえば」
「四年か」
風斗と父と伯父が考え込むように、四年を呟いていた。
「四年前になにがあったんや?」
少し話し出して気安くなったムラタマは祝に問いかける。
「四年前? ああ、うちのそこにいるお父さんが隣にいる伯父さんの奥さんの実家に殺されかけたのですよ」
「え? どういうこと!?」
ムラタマは、頭の中で相関図を描いているのか、ときどき父たちを指さしながら「うわあ」と唸っていた。
「もしかしたら、聞いたらあかんことやったんとちゃうん?」
「別に大丈夫ですよ。ここにいる全員が知ってますし、事実ですから」
祝がにっこりと笑ってそう言うと、対角線上に座っている伯父は顔を引き攣らせ、隣りに座っている楪は諦めたように天井を見上げている。風斗が笑いを堪え、父が頭を抱えてテーブルの上に肘をついた。
「そ、そうか。アホの子いうてごめんな。お前もけっこう複雑な家の子やってんな」
「複雑なんですかね。単純な話ですよ。伯父の奥さんが父を殺したいほど嫌っているということだけですから、まあよくある家庭の事情というやつですね」
よくあるか、そんな家庭の事情――その場にいる全員が思ったけれど精霊ですら口には出さなかった。
「横道にそれてしまいましたけど、ムラタマはその開いた穴からこっちへ来たのですか?」
「そうや。散歩してたら急に穴に吸い込まれてしもたんや。それで気が付いたら
知らんところにおってな。歩いてるうちに苦しなってきて、川に落ちてしもたんや」
闇の精霊が苦しい、ということはやはり仙境の中をさまよったのだろうか。川に落ちたのは、おそらく水の館から淡いの森を流れている川のことだろう。
「で、命からがら川からはい出したら、足元の土がぼこんって無くなって、気が付いたらお前の顔が目の前にあったんや」
川から這い出したのがおそらく、土の精霊王のエリアで、たまたま冬の庭に土を運ぼうとしていた精霊たちに巻き込まれて冬の庭に出てきてしまったのだろう。
冬の庭の土の手入れは、土の精霊たちの朝一の日課なのだ。
しかも、祝が早起きなのでそれまでに整えてくれるから、きっと、ムラタマが巻き込まれたのはそのときだろう。
「だいたいの事情はわかりました」
祝はそう言って父と伯父を見る。
父も伯父もそれぞれ聞きたいことを質問し、ムラタマもさほど嫌がらずに答えてくれた。
「穴が開いている、というのは最果ての地なのだろうな」
父がそう呟くと、伯父は眉を寄せて黙り込んでしまった。
おそらく魔境に現われた人間というのが川渡の関係者である可能性が強い。というか、ほぼクロである。
最果ての地で開いていた歪みは瘴気のせいではなく、人為的に魔境の方から開けられていたことになる。
祝はそっと楪を見た。
自分の母親の実家のことなのだ。きっと、気になっているだろうと思ったのに。
楪はムラタマを腕に抱いたまま、居眠りをしていた。
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