58 次期当主の胸の内
楪にとって、墓堀家の領地は当たり前に自分に何かを産み出す場所だった。
楪が歩けば領民は頭を下げ、感謝を示す。それが当たり前だった。
同年代の子どもたちは楪がすることをすべて肯定し、反論する者はいなかった。もちろん、本家の使用人も同じだ。小言を言うような人間はいない。
それが当たり前だったのだ。
いつのまにか楪は小さな世界がすべてで、そこの王様になった気分でいたのだ。
慈悲深く、領民を思いやるポーズさえ見せておけば、誰もが頭を下げる。
次期当主らしい振る舞いはそれで十分だった。なんて簡単でバカバカしいのだろう。
楪は常に次期当主としてふさわしい笑顔を顔に貼り付け、鷹揚にふるまう癖がついていた。
祝がうちにやってきたのはそんな時だった。
血の繋がった従妹は母の実家である川渡にもいたから、さほど興味も湧かなかった。興味があるとすれば、叔父上の娘といったところだろうか。
先祖返りと言われるほど、瑞祥叔父上の能力はずば抜けていた。祝福を持たない楪はそれを憧憬をもって見てきた。
叔父上とあまり話をしてはいけない、と母に言われていた。けれど、仕事で離れに来るのが事前に分かっているときは待ち伏せをした。
叔父上は気が付いても、大抵はスルーしてしまうので、なかなか話せる機会もなかった。
そんな叔父上の娘なのだから、きっとすごい才女なのだろう。
そう思っていたのに。
楪の目の前に現れたのはサルが進化したかどうかという程度の阿呆だった。
喋り方も知らず、常識もない。楪の顔を見てぽかんと口を開けている姿は叔父上と血縁だとは思えなかった。
母親が平民上がりだから、きっと、そっちの血が濃いのだろう。
それならば仕方ない。そう思っていた。
最初に祝に対して『ただの阿呆ではないかもしれない』と思ったのは化け鴉に襲われたときだった。祝を庇おうとする使用人の由美子に逃げるように、と言ったのだ。
祝はそのまま化け鴉を引きつけ庭じゅうを逃げ回っていた。使用人など使い捨てなのに、それを庇って危ない目に遭うなんて、『ただの阿呆ではない』間違いなく『頭の中に虫が湧いて機能していない』としか思えなかった。
そんな従妹を久しぶりに見かけたのは叔父上が呪詛で亡くなったという噂が流れ始めていたころだった。
本家の自室の窓から四季の冬の庭を眺めていると、有馬と祝が精霊捕縛の訓練を始めた。
楪も有馬に教えて欲しいと言っても母はそれを認めなかった。それなのに、祝には一流の教師が付いて教えてもらっている。それがとても気に障った。
だから、母に何故自分は『鍵』の仕事を教えてくれる人がいないのかと聞いた。
「あなたは当主になる人なのですよ。身体を使って仕事をするのは下賤のすること。楪はそんな危ないことをする必要はないの。すべて母に任せておきなさいな」
母はそう言って楪を慰めた。
ああ、そうだ。
自分は次期当主なのだ。だから、あんな土にまみれたり危ないことなど必要ない。
そう思っていた。
そう思っていたのに、父親の生死が不明のくせに毎日仙境へ向かっている従妹を見ると、心の底がざわざわとした。
彼女は土と水の祝福を持っていた。土を自在に動かし、水は彼女の意思に従っている姿を見ると、どうしようもなく胸が掻きむしられるようだった。
そして、叔父上が離れに戻ってきてしばらくして、川渡の伯父に母が「どうして生きているのよ!」と罵っている現場に出くわしてしまった。
母と伯父は楪に聞かれたことを知っても取り繕いもしなかった。それどころか、すべて楪のためにやったことだ、と言った。
もう、何もかもどうでも良くなった。
叔父上に放たれた呪詛は自分のせいだった。それだけで、十分投げやりになる理由になった。
そんな時、水の精霊王から招待を受けた。
三年半ぶりに話す従妹は別人のようになっていた。惚けて開けていた口は閉まっていたし、顔つきもどこか厳しさが見えるようになった。まだ十歳なのに、その表情に子どもらしさはなかった。
彼女は楪に遠慮がなかった。配慮もなかった。取り巻きの子どもたちのように持ち上げもしなかった。
斜に構えていた自分を今なら笑える。
「楪兄さまはこう言ってはなんですけれど、役立たずではありませんか」
「その頭は何のためについているのですか? その無駄に整った顔を晒すためではありませんよね?」
三つも離れている従妹から放たれる忌憚のない言葉は楪を揺さぶった。
目が覚めた、とは言わない。ただ、自分の外側を覆う殻にヒビが入った気がした。
「お互い出来ることをしたらいいではありませんか。兄さまは領地経営をわたしは仙境を」
ずっと、母に言われてきた「瑞祥と祝はあなたを邪魔に思っているのよ。この家を狙っているから」という言葉が色を失った。
祝は領地経営なんて面倒なことはお断りだと言った。その代り仙境の仕事は手伝うと。
そんな彼女を信じてみようと思えるようになるまで、もう少し時間がかかった。
今では出会ったときのことが嘘のように対等の従兄妹として付き合っている。
彼女はここにきて、叔父上が倒れてから恐ろしいほどの努力をした。命がけで光の歌を歌い、光を纏って風の祝福を受けた。
そんな彼女をバカにすることなど出来ない。バカにされるなら何せずに閉じこもっていた自分の方だろう。
祝との関係が改善するのと比例して、父との関係もマシになったように思う。
学院が終わると、父の会社に顔を出して経営の勉強をした。
祝が言うように、楪にしかできないことをすればいいのだ。
そう思うと、気持ちが軽くなった。
母は思い通りに楪を動かせなくなったことに歯噛みしている。
それでも川渡の動きを少しでも察知するために、祝との関係は知られるわけにはいかない。母が楪のためだということを言い訳にして色んなことをしているのを、今なら理解することができる。
ただ、それをこれから先も止めることができるかどうか、不安しかない。
まあ、取り合えずは領主会議の間か――。
楪は人質として離れに滞在することになったけれど、実は、離れで生活するのが楽しみなのだ。
本家とはまったく違う雰囲気に憧れていた。
あんな環境で育てば自分も祝のようになれただろうか。
思っても仕方ないことを考えてしまう。
読んでくださってありがとうございます。
楪のターンでした。
次はいよいよ領主会議の間のお留守番になります。
少しでも楽しんで頂ければ嬉しいです。




