45 襲撃の後
淡いの森で襲撃を受けたあと倒れた祝は、結局、三日間熱が下がらずに寝込んでしまった。
ときおり意識が浮上したときに、額に触れる冷たい手を感じたぐらいで、意識がぼんやりしたままの三日間だった。
熱も下がり、意識が戻っても二日間はベッドの上で寝ているようにと監視まで付いていたから、結局、襲撃から五日間、祝はベッドの上で過ごすことになった。
やっと、蝶子のお許しがでたので、久しぶりに朝食を父と母と一緒に摂ろうと食堂へ行ったけれど、誰もいない。
「瑞祥様は本家へ有馬様と風斗と一緒に向かわれました。先日の襲撃の犯人を捕まえておりますので、その調査でございましょう」
蝶子は卵を溶いたスープを祝の前に置きながらそう言った。
「奥様は水の精霊王と土の精霊王に渡すためのパウンドケーキをご実家まで取りに行かれておりますよ」
祝はそれを聞きながらスプーンを握った。
いい加減、固形物が食べたいけれど、蝶子がまだダメだというので仕方ない。
カツオとイリコで丁寧に出汁を取ったスープに溶き卵をふわふわと流し込み、岩塩だけで味付けしてあるスープは祝の祖母である桜子直伝の療養食らしい。
小さいころ熱を良く出していた父もこれを飲まされていたようだ。
「グルタミンとアミノ酸がたっぷりですからね。消化も良いですし、一石二鳥ですよ」
蝶子はそう言うけれど、塩結びが食べたい、と祝が口に出すと、昼食には出しましょう、と言ってくれた。
スープを飲んでいる祝の前に立ち、襲撃の後のことを蝶子は簡単に説明してくれた。
祝が放った光がすべての呪詛を消してしまったそうだ。その光を浴びて倒れた呪詛の犯人は拘束されて本家にある牢に入れられているらしい。
自宅に牢があるとか、本当にこの家バカなんじゃないの。
心の声が顔に出ないように注意しつつ、スープボウルに視線を落とした。
牢に入れられている犯人はやはりというか当然というか、伯母の兄である川渡の次期当主の側近だったようだ。
強力が呪詛が使える人間がもう限られているのだろう、というのが父たちの結論だそうだ。
捨て駒が少なくなって、いよいよ近い立場の人間を送り込んでくるようになったということだろう。
今回の犯人が黒幕に繋がればいいけど。
一つ気になるのは楪がいるのに襲撃があったことだ。
祝だけを攻撃するなら理屈が通る。けれど、川渡にとって傀儡としての役割を背負わせたい楪がいるときに襲われたのが腑に落ちない。
祝と楪が一緒に出かけたことは分かっていたはずだから、間違えて、という可能性は低いだろう。もしかしたら、川渡は跡継ぎの楪すら必要ないと考えているのだろうか。
そこまで考えて祝は小さく首を振った。
難しいことは大人に考えてもらおう。祝では手にしている情報が少なすぎる。
「それから、お元気になられたら水の館へ行って欲しいそうです。風の精霊が新しい歌を届けに来ているそうなのですが……」
蝶子は彼女にしては珍しく歯切れが悪い。
フィートが約束を守って新しい歌を届けてくれたのだろう。祝が寝込んでいたから水の館に行ったのだろうか。
「何かあったのですか?」
「ええ、私は直接伺ったわけではございませんので。どうやら風の精霊が水の館でご迷惑をおかけしているようでして」
「フィートが? ヴィー様に?」
水の精霊王が手を焼いているということだろうか。
ヴィー様が振り回されているところなんて想像もつかないけど。
「わかりました。明日、出かけても構いませんか?」
「今日一日、しっかりお休みになられると約束していただければ許可しましょう」
祝は蝶子に頷く。
食事の後、一緒に四季の春の庭にある滝まで行ってもらうことにした。
明日の訪問を水の精霊に言づけておかないといけないのだ。
急な訪問は基本的にマナー違反だ。それは人間のお宅も精霊王の館も同じこと。
滝に着くと、水の精霊を呼び出した。
滝の中から小さな光が現れ、あたふたと祝の周りを飛び回っている。
ここに住んでる水の精霊さんってみんな手のひらサイズだなあ。小さくてかわいらしいけれど。
水の館にいる精霊たちは人間の大人と同じ背丈なのに、ここだけ手のひらサイズ。
もしかして、大きさが変えられるのだろうか。
「水の祝福を受けし水の子よ。このままここで待っていてくださいませんか」
「それは構いませんけれど」
いつも優雅と美しさを信条とする水の精霊が慌てているのが珍しい。
小さな精霊は祝の返事を聞くと、すぐに滝に飛び込んだ。
祝が滝の中をそのままの体勢で覗き込んでいると、不自然に滝が光り、大きな水しぶきが上がった。
水の祝福を受けている祝を避けるように、水が跳ねた。けれど、祝福を受けていない蝶子はまともに被ってびしょぬれになっていた。
その状態で、取り乱さない蝶子は使用人の鏡だと思う。
「祝ちゃああああんっ、もうダメ、アタシ、もうダメなのよおおおおっ!」
滝から水しぶきと共に飛び出したのは、水の精霊王だった。
祝の前まで来た精霊王は力一杯祝を抱きしめると、「もうダメ~」を繰り返した。
「ヴィー様、いったいどうしたんですか!?」
普段の言動からしてぶっ飛んでいる水の精霊王だけれど、それを差し引いてもとても取り乱していた。自慢の青銀色の髪は心なしかくすんでいるように見えるし、マントはどこかヨロっとしているようにも見える。
「フィートがうちにいるのよぉぉぉっ、祝ちゃんが来るまで待たせてもらうってうちにいるのぉぉぉぉ」
水の精霊王が落ち着くのを待って、事情を訊いてみると、フィートは新しい歌を祝に届けるために水の館に滞在することに決めたらしい。
深く考えずに水の精霊王は風の精霊であるフィートを迎えたけれど、どうやら彼は好き勝手に過ごしているようで、精霊たちが疲れ果てているそうだ。
「風の館に追い返せばいいじゃないですか」
「帰らないのよ、あの歌バカ」
館じゅうに広がる声で朝から晩まで歌っているらしい。
最初は、美しい歌が聞けるなら、と楽しみにしていた精霊たちも、館のどこにいても聞こえてくるフィートの歌に心が休まる暇もなく、精霊たちが疲れ切っているようだ。
もちろん、精霊王自らも見てわかるようにぐったりとしている。
「しかも、あの歌バカ、曲作りは天才的なのに、歌声は壊滅的なのよぉぉぉぉぉ」
「すみません、思ったより寝込んでしまっていて、フィートのことまで気が回りませんでした」
作曲の才能はあるのに、歌唱の才能は皆無というもの気の毒な話だ。
新しい歌を一週間以内に届けるという約束をしたけれど、直接祝のところに来るか、風の館にでも戻っていると思っていたのに。
「いいのよ、もう大丈夫なの? 大丈夫なら早めに来てほしいわ」
「明日、伺います。なので、今日一日耐えてもらっていいですか?」
「わかったわ。終わりがわかれば耐えられる気がするわ。明日ね、絶対に明日よ!!」
水の精霊王が念を押すので、祝は、必ず、と返事をした。
水の精霊王は見たこともないような疲れた姿でヨロヨロと滝へ戻っていった。
「蝶子さん、お母さんに電話してパウンドケーキを追加で持って帰ってきて欲しいとお願いしてください」
「そうですね、それが良いと思います」
祝は水の精霊王が消えた滝に向かって心の中で謝った。
本当にごめんなさい、明日フィートをそこから追い出しますから!
読んでくださってありがとうございます。
作曲と歌唱の才能は同じではないフィートは水の館の美しい環境に感動して歌いまくっているのだと思います。
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