35 盗み聞き
本家で調べた資料を使って、風斗に手伝ってもらいながら何とか斑先生の課題を仕上げた。
「この課題、斑先生はわたしを本家に行かせたくて出したと思うのです」
課題のレポートを手に持ったまま、隣りに立っている風斗を見上げる。
風斗は、ちらりと祝を見下ろすと、腕を組んで眉を上げた。こんな仕草を見ると蝶子と血縁だなあ、と思う。顔つきや体型はまったく似ていないのに、機嫌が悪くなったときの雰囲気はそっくりなのだ。
「斑先生が何をお考えになっているかはわかりませんがね、二度と祝さまには本家に近づいて欲しくないと思いますよ」
「……善処します」
本家から戻ってきた風斗は父にすぐに何があったかを報告に行った。それなのに、父は風斗に「そうか」しか言わなかったらしく、それ以来彼の機嫌が悪いのだ。風斗は父のことが大好きなので、構ってもらえなくて苛立っているのかもしれない。だけど、それをこっちにぶつけないで欲しいと思う。
風斗の機嫌の悪さは鬱陶しいけれど、まあ、放置しておけばいいからそれはいい。それよりも斑先生が祝を本家に行かせた理由が分からないことがモヤモヤして気持ち悪かった。
風斗も機嫌が悪いけれど、有馬も父も蝶子も七緒もピリピリしている。
家の中でのんきに暮らしているのは母ぐらいのものだろうか。家の中の雰囲気の悪さを感じていないわけでもないのだろうけれど、まったく態度も生活も変わっていないのだ。
こんな家の嫁になる覚悟があっただけあって、母は意外に図太いのかもしれない。
斑先生の授業の日、玄関に先生を出迎えに行くと、父と有馬が立っていた。
先生がドアを開けると、玄関に立っている祝たちを見て「おやおや」と笑った。
「これはこれは大層な出迎えですな。かつての教え子が2人もいるとは」
「ご無沙汰しております。娘まで教えを頂くことになるとは思いませんでした」
斑先生は靴を脱ぎながら父と有馬に視線を向ける。
「ふむ。君の父上と有馬くんは私に用事があるようですな。祝さんは先に部屋に戻って世界史のテキストを出しておきなさい。古代エジプト文明とアブシンベルの『鍵』の一族のところを読んでおきなさい」
祝が頷いて、部屋に上がろうと階段を上り始めちらりと振り返ると、父たちが応接室へ入っていくところだった。
「ほら、祝さま、よそ見せずに部屋に行きますよ」
最近、すっかり祝の護衛になっている風斗が足を止めた祝を階段の踊り場から呼ぶ。
祝は急いで階段を上ると、踊り場にいる風斗にしゃがむように言った。
「斑先生とお父さんたちが何の話をしているか、気になりませんか?」
耳元でコソコソと話すと、風斗は「気にならないと言えばウソになりますね」と答えた。
「だけど、有馬さんや瑞祥様がいる場所で盗み聞きなんてすぐにバレますから。やるだけムダです。さあ、部屋に行きますよ」
「ま、待ってください。盗み聞きじゃないならいいのではありませんか? わたし、偶然、斑先生が読んでおくようにと言ったテキストを応接室の奥の図書室に忘れてきたみたいなのです、という建前はどうでしょうか?」
風斗は、「はあああああ……」と長いため息を吐いた後、祝の部屋から世界史のテキストを取ってきてくれた。それを手に持ち、風斗と祝はコッソリと図書室に入る。応接室と図書室の間のドアは閉まっているけれど、近づけば声が聞こえないほどではない。
中からは父の聞いたことのないような冷たい声が聞こえてきた。
「祝を楪に会わせてどうしようと?」
祝は風斗と顔を見合わせる。そっとドアを開け隙間から応接室の中を見た。
ちょうどドアに背を向けるように父と有馬が座っている。その前のソファに斑先生がいた。
「従兄に会わせて何が悪いんですかな」
「先生、うちの状況は分かっておられるはずです」
「瑞祥様も楪様の状況をお分かりでは?」
てっきり父と有馬は先日の本家で伯母に絡まれたことで苦情を言うのだと思っていたのに、父と斑先生が話している対象は従兄の楪のことだった。
「彼が今、どんな状態なのか一番あなたが理解できるのではないですか?」
「なぜ、僕が楪のことを理解できるんです。あいつは本家の跡取りで僕は後妻の子どもだったんですよ」
それに実力もまったく違う、と父は付け加えた。
父の声はいつものちょっと頼りなくて優しい声ではなく、底冷えするような冷たさを持っていた。
「あなたは確かに光の子だ。一族の中でも飛びぬけて光の量が多い。ですが、あなたの本質は闇に近いでしょう? 闇そのものだと言ってもいいのかもしれない」
「それと楪と何の関係があるんです?」
「楪様は体内に闇が多い。それなのにさらに闇を抱えようとしている。あなたには沙織さんがいたでしょう。今は娘の祝さんもいらっしゃる。しかし、あの子は独りなのですよ」
祝は扉から顔を離して、風斗を見上げる。風斗は祝の耳を塞ぐように手を伸ばす。祝はそれを押しのけた。
「自分の闇を抱え込めず呑まれてしまうならそこまでだ。放っておけばいいのですよ。無能は必要ない。そうでしょう?」
父の顔は祝からは見えない。けれど、今、父が笑っているような気がして仕方なかった。
父の声は穏やかな怒りだ。どこまでも冷たい怒りが含まれていた。
「先生、瑞祥はそれだけのことを本家からされてきたのです。無能は必要ない――それは瑞祥が小さいころから父親である前当主に言われ続けてきたことだ」
有馬は低い声で斑先生にそう言った。
「残念ですな。負の連鎖というものはどこかで断ち切らないといけない。あなたが受けた連鎖を娘である祝さんや甥の楪様に引き継がないことを祈るばかりです」
斑先生がそう言って席を立とうとする気配がしたので、祝と風斗はそっとドアから離れた。
そのまま静かに階段を上って部屋に戻る。
「祝さま、瑞祥様のことを誤解しないでください。あの方はそれだけこの家で戦ってこられたのです。たった独りで」
風斗は苦しそうに顔を歪めていたけれど、祝には返す言葉が見つからなかった。
まだ心臓が締め付けられるように不愉快な鼓動を刻んでいる。
わからないことばかりだ。
斑先生が気にしているのは楪のことだということは、わかった。
本家の図書室で会った楪は人が変わったようになっていた。その理由を祝は知らない。
知れば父の心の奥にある怒りも理解できるのだろうか。
部屋のドアがノックされ、斑先生が入室の許可を求めた。
祝は風斗と目配せし、表情を作り変える。そして、風斗にドアを開けてもらい、いつもの笑顔で「よろしくお願いします」と礼をした。
読んでくださってありがとうございます。
娘である祝も知らない父の側面を見ました。
墓堀家の歪さが少しづつ明かされます。




