33 本家の図書室
歴史学の斑先生は一般的な歴史と世界史を墓堀家の領地史と並行して教えてくれていた。
ここに来るまで歴史の授業というものを受けたことがなかったから、初めて聞く昔の話にワクワクした。日本史と領地史は重なる部分が多いから、一緒に並列して教えてくれて、世界史のときには世界各地にある『鍵』たちの領地がどのように関わったか、ということを話してくれる。
斑先生の授業は課題も多いのだ。
今日の課題は平安時代における陰陽道の成り立ちと道術の比較を出された。
おそらく6世紀に伝わった道教の中の陰陽思想と、それを取り入れながら日本独自の発展をした陰陽道の違いをまとめればいいはずなのだけれど……。
いつもは習ったことをまとめていたけれど、今日出された課題は祝が習っていないものだった。
資料も与えられていないし、調べるにしてもどこにその資料があるのだろうか。
「斑先生、離れの図書室にない資料が必要な場合はどうしたらいいですか?」
離れの図書室はそんなに大きくはない。1階の応接室の奥にある20畳ほどの部屋がそう呼ばれているだけで、図書室と言う名前には完全に負けている。
斑先生が出す課題の答えがネットに転がっているとも思えないんだよね。
墓堀家の領地は結界で侵入を防ぐ以外は他の土地とまったく同じなので、テレビもネットもちゃんと繋がる。世間から隔離されている割には情報は入ってくるのだ。
「陰陽道については本家の図書室にございます。各地の歴史を残すのも『鍵』である本家の仕事ですからな。そもそも、陰陽道の元になった道教は仙境が深く関わっておりますので、それをきっちりと調べなさい」
「本家の図書室ですか……」
んー、本家は立ち入り禁止になっているんだけどな。
父が呪詛に倒れてから、その首謀者が伯母の兄だと分かっているのに、わざわざその首謀者の身内の住んでいる敵陣に入り込むこともない、と両親や蝶子たちから口を酸っぱくして言われているのだ。
「祝さま。初めてお会いしたときに歴史は繰り返される、という話をしたのを覚えていらっしゃいますか?」
斑先生は白くて長い眉毛の奥に見えるグレーがかった目を祝に向けた。
「墓堀家にも何度も危機がございました。それは歴史書をご覧になればよろしいでしょう。一番、大きな危機は『鍵』から闇に下った者が出たことでございました。人間は体内に光と闇の両方がないと生きることができないのはご理解されておるでしょう」
ヨボヨボとした足取りからは想像がつかないほど、斑先生の口調はしっかりしている。
光と闇のバランスが人を生かすのだと、祝も精霊王たちや父から聞いて知っていた。
ただ、祝や父は光の量が多く闇の量が少ない。精霊王や精霊たちは完全に光しかない。もし、祝の体内から闇がすべて消えることがあれば命を失うことになるそうだ。
光の量が多いのは『鍵』の特徴であるし、また、そういう子どもが生まれるように縁組をしてきた結果なのだと、斑先生は教えてくれた。
「人も一族も同じことではございませんか? 光だけでも闇だけでも成り立ちません。祝さまにはそれを一度よく考えて頂きとうございます」
祝は一歩引いて、斑先生を見る。研究にしか興味のなさそうな無害な老人を、蝶子が父や祝の教師に選ぶはずがないのだ。斑先生はおそらく、今、祝に大きな問題を投げかけているのだろう。
それを解くために、わざと離れの図書室にはない課題をだしたのかもしれない。本家で調べれば何か分かるのだろうか。
「はい、よく考えてみます」
祝がそう答えると、斑先生は満足したように「よろしい」とだけ言った。
斑先生が帰った後、水の精霊王の精霊歌のレッスンへ向かう前に、蝶子に本家の図書室から本を借りてきて欲しいとお願いした。
「3時間ほど水の館でレッスンがありますから、その間に取りに行って貰えますか? 道教と陰陽道に関する書籍が必要です」
「では、さっそく本家へ使いを出しましょう」
斑先生は祝に本家へ足を運んでほしいのだろうけれど、まだ、問題が解決していないから自分を守りきることもできない状態で訪ねるのは躊躇ってしまう。
蝶子に頼んで本を借りてきてもらうことが無難だと祝なりに判断した。
水の精霊王の元で昨日と同じ練習をした。妖精王を讃える歌の最初の1節を繰り返した。言葉を間違えないように覚え、今日は音階をつけて発音した。
昨日よりはずいぶん楽に唄えるようになった。それでも、音階が付いた分、体内から出す光のコントロールが難しくなった。
レッスンが終われば、水の精霊王と精霊たちにお礼を言って離れに帰ってくる。今日の護衛は有馬だったから、四季の庭にある滝に直接送ってもらえた。
有馬と祝が滝の前に姿を現すと、目の前には蝶子が出迎えに来ていた。
「おかえりなさいませ、祝さま」
「ただいま戻りました。本は借りれましたか?」
有馬が先に歩き、祝と蝶子が話しながらその後ろを歩く。
蝶子を首を振った。
「もうしわけございません。祝さまが指定なさった本は持ち出し禁止の書物のようでございます。閲覧するためには本家の図書室まで足を運ばなければならないようです」
「……そうですか。わたしでは判断がつかないので後で皆に相談して決めましょう」
ヨボヨボジジイめ。分かってて課題を出したな。
斑先生を出し抜けるはずがなかった。きっと、祝が今置かれている立場を理解して、さらに、貸し出しという方法を取ることも予測して、持ち出し禁止の本が必要な課題を与えたのだ。
斑先生が祝に本家へ足を向けさせるなら、それなりの理由があるのだろう。斑先生が祝に害を加えることがあるとは思えないし、そうする理由もない。
それならば、本家の図書室へ行った方がいいのではないだろうか。
祝は離れに戻って、父にそれを伝えてみた。
蝶子や有馬は反対したし、護衛役の七緒と風斗も難しい顔をしている。
「まあ、いいんじゃないか」
それなのに、父は簡単にそう言って許可を出した。
「何を言うのです、瑞祥様。あなた、死にかけましたよね!?」
「子どものころに何度も僕の目の前で死にかけた風斗が言うと説得力がないね。それに、さすがに本家で命を狙うようなことはしないだろう。『化け鴉』程度の脅しならまだしも」
風斗は諦めたように首を振り、蝶子は眉間のシワを深くした。
「それに斑先生の課題だろう? あの人が意味のないことをさせるとは思えないからね」
父は自分も経験があるのか、困ったように笑っていた。
蝶子が本家へ祝の訪問を打診している間に、父は護衛として有馬と風斗を付けるように、と言った。
有馬は本家筋の人間だから、風斗では対応できないことが起こったときにも便利なのだそうだ。確かに、風斗では伯父や伯母に強く言えなくても、有馬であればそこははっきりと言えるだろう。
「明日の午後でしたら祝さまが図書室を利用されてもかまわないそうです」
「じゃあ、明日の13時に伺います、と返事をお願いします」
返事を持ってきた蝶子に、その場で日時を伝えてもらう。
実に面倒だ、と思わないでもないけれど、本家に行くときには必要なことなのだそうだ。
客人を迎える準備もいるので、勝手に訪ねて行くのはマナー違反らしい。本家が上位の存在だと思っていますよ、という意味も含めて、必ずお伺いを立てないといけないらしい。
ほんと、ややこしい家だよね。おじゃましまーす、の一声で入れたらいいのに。
次の日、祝の前に有馬、後ろに風斗が付き本家へ向かった。
本家で出迎えてくれたのは、『化け鴉』騒動のときに祝を守ろうとしてケガをした使用人頭の由美子だった。
「おかりなさいませ、祝さま」
「ご無理を言いますが、よろしくお願いしますね」
祝は『鍵』であり、墓堀家の人間だから、この場合、使用人頭である由美子が「おかえりなさいませ」というのは正しい。
けれど、そこで「ただいま」と言ってはいけないのだ。あくまでもこちらは訪問客であって、本家の人間ではない、と匂わせなければいけない。
祝の様子をそっと見ていた風斗が小さく頷いたのを見て、対応が間違っていなかったとホッとした。
由美子を先頭に本家の中を歩く。『化け鴉』に襲われてからこちらへは来ていなかったので、三年半ぶりになる。由美子が足を止め、ドアを開けた。
「こちらが図書室です。本家の人間が同室でない場合使えないことになっておりますので、中で楪様がお待ちです。後ほど飲み物をお持ちいたしますね」
祝は小さく頷いて、去っていく由美子を見送った。
楪がいるのか。面倒だな。
「祝さま、顔に出ております。笑顔ですよ、笑顔」
「風斗さんは細かいことに気が付きすぎですね。ちゃんと猫を被りますよ」
小声で風斗にそう言って笑顔を貼り付け、室内に入る。
本家の図書室は離れとは比べ物にならないほど大きかった。祝が通っていた小学校の図書室ぐらいはあるかもしれない。
「うわあ、すごい」
思わず声が漏れてしまう。
本棚が部屋をぐるりと囲むようにあり、中央部分には鍵付きの大きな本棚が背中合わせで置かれている。読書するための1人掛けのソファーが何脚か置かれていて、小さなテーブルがそれぞれに付いていた。
「祝、久しぶり」
鍵付きの本棚の後ろから声がして、顔を向けると楪が立っていた。
最後に見たときよりも背が高くなっていて、子どもだった従兄は大人に近づいている。高くきれいな声は低く、甘さのあった天使のような顔立ちは引き締まり、甘さの欠片も残っていなかった。
美少年は美男子になるのか。やっぱり子どものときの顔立ちって重要よね。
「楪兄さま、ご無沙汰しております。今日はお時間を頂いてありがとうございます」
祝は蝶子に特訓された猫かぶり挨拶を披露する。視界に入る風斗の口元が笑いを堪えているように見えるのは気にしないでおこう。
「昔みたいに楪、と呼んでくれないのは少し寂しい気もするね」
「まあ、あの頃のことは忘れてくださいませ。あれから少しは成長したのですよ」
ウフフ、アハハ、と笑い合い、お互いの腹を探り合う。
天使みたいだったのに、この三年ですっかり愛らしさをどこかへ落としてきたみたいだ。
「陰陽道と道教だったね。ここの棚に入っているから鍵を渡しておくよ。持ち出しは出来ないからこの部屋で読むようにして欲しい。じゃあ、僕は奥のソファにいるから用事があれば声をかけてくれればいいから」
涼やかな切れ長の目をそっと伏せて祝の手の中に鍵を落とした。
静まり返った図書室の中で楪が遠くのイスで本のページをめくる音が聞こえる。
祝も風斗に本を取り出してもらい、用意していた筆記用具をテーブルの上に置いて必要な個所を書き出していった。
一緒に来た有馬は楪と祝のちょうど中間ぐらいに置かれたソファに座って、用意されたコーヒーを飲んでいた。
風斗はさり気なく祝の前に立ち、楪の視界に入らないようにしている。
祝は斑先生の課題が提出できるほどの情報を得ると、風斗に頼んで出してもらっていた本を仕舞ってもらった。
本棚に鍵をかけ、それを手に楪の元へ行く。
楪は祝に気が付かないのか、視線を本から上げなかった。
「楪兄さま、ありがとうございました。終わりました」
祝は楪に鍵を差し出す。彼はそれを受け取ると、座ったままで祝を見上げた。
「課題は出来そう?」
「はい、わかりやすい本で助かりました」
祝が楪に暇の挨拶をして部屋から出ようとすると、後ろから声をかけられた。
「陰陽道の陰と陽のバランスと、僕たちって似てるよね」
楪はそう言うと口元を意味ありげに引き上げ、フッと笑った。
この3年で一体お前に何があったんだっ! と問い詰めたいぐらいに従兄がおかしい。
天真爛漫を絵にかいたような子どもだったくせに、変な影を纏ってるんじゃない!
とは、口が裂けても言えないので、祝は首を傾げてにっこり笑った。
「楪兄さまは中学生になられて難しいことがお分かりになるのですね。子どものわたしには何のことだかさっぱりです」
こいつに罪はなくても、こいつの母親の親族には罪がある。
父を3年も呪詛で動けなくしていたのだから、直接従兄を恨む気持ちはないけれど、用心することは忘れていないのだ。
風斗も祝に外に出るようにさり気なく背中を押す。
有馬が楪の方へ向き直った。
「それでは楪兄さま、失礼しますね」
出来るだけ上品に足音を立てないように歩いたけれど、いつもより歩幅を大きくする。
一刻も早く、本家を出て家に帰りたい。
祝はそればかりを思っていた。
読んでくださってありがとうございます。
3年半ぶりに会った従兄は暗い人になってしまってました。
隣り同士に住んでいても、3年間祝は仙境に通っていたのと恣意的に従兄に会わないようにしていたので、久しぶりの対面となりました。




