32 精霊歌の特訓
祝の日常は割と忙しい。
学校へ通っていない分、午前中は義務教育で習う課程を教える教師が来るし、昼食を挟んで午後からは墓堀家特有の教育がある。
今日はそれに加えて水の精霊王の元で精霊歌のレッスンがある。
祝は護衛に付く七緒と一緒に淡いの森を通り、水の館を尋ねた。本来、火の祝福を持っている七緒は水の精霊との相性があまり良くないので、風斗を護衛に付けたかった。
七緒は水の館に入れないから外で待たないといけないのだ。
「では行ってまいります。精霊にお茶の準備を頼んでおきますから、七緒さんもゆっくり過ごしてくださいね」
七緒を待たせておかないといけない理由は、水の祝福がないからだ。
もし、七緒が水の館から離れて淡いの森に戻ったら、二度と水の館へは戻って来れない。道案内がいないと訪ねることができないのだ。
先に帰ってもらってもいいけれど、七緒が納得しないので仕方ない。
祝は館の中に入り、水の精霊王に挨拶をする。そのあと、近くにいた精霊に七緒のことを頼んだ。
「今日から妖精王を讃える歌を練習するのだけれど、半年で仕上げるのはかなり厳しいと思うの」
精霊のことを歌った精霊歌より、上位の存在である妖精王のことを歌うので体力もずいぶんと消費するのだそうだ。もう、この歌は千年近く人の子が歌ってないので、歌ったらどうなるかということもわからないらしい。
「まず初めに精霊王を讃える歌の意味を正しく理解しなくてはいけないわ」
水の精霊王が指を動かすと空中に水鏡が現れた。
透き通った水面が垂直に空中にあるので、なぜ水が落ちてこないのだろうか、とか考えるけれど、頭を使うだけムダだと分かっているので、早々にそういうものだと思うことにした。
「水鏡って通信に使うんだと思ってました」
「普通はそれで正しいのよ。だけど、書き残したくないものを書いておくメモ帳としても使えるの」
精霊王は水鏡の両側を持って引っ張る。それはホワイトボードぐらいの大きさに広がった。
文字は金色で浮かぶから、透き通った透明でも難なく読めるから心配ないそうだ。
「妖精王を讃える歌ってメモに書いて覚えてはいけないんですか?」
「絶対にダメ。ここで覚えるしかないのよ。鼻歌もダメよ。口に出していいのはこの館の中だけね。祝ちゃんが練習するときはアタシが結界を張って音が漏れないようにしているのよ」
精霊歌はメモを取って言葉を暗記していたけれど、それが出来ないとなると半年は厳しい。
精霊の古語より古い言葉なら、祝にはまったく馴染みがないから聞いたことのない外国語をカタカナで覚えていくようなものなのだ。
「まずはこの歌の詩の意味を理解しないといけないわね」
水の精霊王はさらさらと指を水鏡の上で動かす。そこには見たことのない文字が金色で浮き上がった。
「これは冒頭からの一節で、光がこの世界を創った、という意味ね。その次が、四大精霊王はその光の恩恵を受け始まりを迎える、と書いてあるわ」
光があって、四大精霊王たちがこの地で生きることになった。
土、水、風、火は多くの命を産み出した源であり、その源に力を与える光は輝き続ける。
土は光を与えられ木を産み、水は光を与えられ海の命を育み、風は光を与えられ命を運び、火は光を与えられ終わりを迎えた命を再生するために浄化する。
すべての源である光の妖精王を讃えよ。
と、いう内容だった。
これが今のことろ20番まであるそうだ。
「実際に歌うのはこの妖精王の始まりの部分と、次の妖精王の治世の始まりという部分の二つだけなの。じゃあ、この古語を読んでいきましょう。アタシの言葉を復唱してね」
二つだけなら何とかなるか、と祝は簡単に考えていたけれど、文字を言葉に変えて口に出した途端、水の精霊王が言っていた「半年では厳しい」という意味を理解した。
言葉を一つ口にするごとに、身体の中の温度が下がるのだ。一節を繰り返すころには、鳥肌が立っていた。
「ヴィー様、ちょっと待ってください、なんだか身体がおかしいです」
「休憩にしましょう。さあ、これを飲んでちょうだい」
水の精霊王はこんな状況になることが分かっていたのか、そばにいた精霊から小さな瓶を受け取るとそれを祝に渡した。
無味無臭のピンク色のとろりとした液体は小さじ1杯ぐらいの量だったけれど、口に入れいると身体の中の奪われた熱が戻ってくるようだった。
「精霊歌というのは前にも話したけれど、光を使って歌うものなの。だから、光の多い祝ちゃんは今まで教えた歌ぐらいだったら何も感じなかったかもしれないわ。だけど、この歌は特別大変なのよ」
身体が冷えていたのは体内の光の量が減っていたからみたいだ。命を削って歌う曲というほど大袈裟な感じではないけれど、光の量が通常よりかなり多いと普段から言われている祝でこのような状態になるのであれば、普通の量の人なら『命を削る』に当たるのかもしれない。
精霊歌が光を使って歌う、ということを頭では理解していたつもりでも、今まではまったく負担にすら感じていなかった。いくら歌っても体内の光の量が減った感覚すらなかったから、この曲が特別大変だという意味が良く分かる。
「初日に一節読めることだけでもすごいと思うわよ。普通の人の子なら死んでるもの」
「精霊歌が呪文だということを実感しました」
この歌を歌うためには身体から流れ出る光の量を意識して、少なくコントロールしなくてはいけないみたいだ。
大量の光を使って歌うと呪文が発動してしまうし、こっちの生命の危機になる。
祝は水の精霊王に教えられた通り、細い糸が身体から紡がれていくようなイメージでその一節を何度か繰り返した。
そのたびにさっきの液体を口に入れた。
この薬は水の精霊王が作った薬で、失った分の光を体内に取り込むものだそうだ。
体内にある光はよほどのことがない限り、一晩寝たら回復するのだけれど、今は覚えるのが先で寝て回復を待つ余裕がない。何度も繰り返すうちに使う光の量が分かってきて、一節だけなら身体に負担を感じないようになった。
「ここまでにしましょう。よく頑張ったわね」
「ありがとうございます」
水の精霊王は水の癒しを祝にかけてくれた。疲れた身体がふんわりと温かくなった。
「家で復習したとしても声をだしてはいけないわよ。頭の中でだけね」
祝は精霊王にお礼を言って、館を出た。
外では良いお天気の中、七緒がイスに座って精霊が用意してくれていたお茶を飲んでいる。
「七緒さん、お待たせしました」
祝が側に歩いていくと、七緒は立ち上がって首を振った。
「こちらで水の精霊たちが良くしてくれましたから時間があっという間でした。私は火の館しかしりませんので、精霊王によってずいぶんと雰囲気が変わるのだと思っていたところです」
七緒は蝶子に似ている吊り上がった目を細めて、眩しそうに館を見上げていた。
「ヴィー様、また明日もよろしくお願いします」
祝は館に向かって頭を下げて、淡いの森へ向かった。
その日、祝はぐっすりと眠った。さっき寝たところなのに、一瞬で朝が来た気分だ。
父にそれを話すと、妖精王を讃える歌で体内の光の量が不安定になったからだろうと言っていた。
こればかりは慣れるしかないようで、祝は小さくため息を吐いた。
読んでくださってありがとうございます。
祝は風の祝福を得るために、妖精王を讃える歌を特訓中です。
精霊歌は言葉が少し違うだけでも意味をなさないので、完璧に覚えるのに苦労しそうです。
次は久しぶりに従兄の楪と会います。




