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13 教育係

 水の精霊王にひとしきり文句を言い終えた父は、彼から手のひらにすっぽりと入ってしまうぐらいの小瓶を受け取っていた。

 それをポケットに入れると、祝と楪を引きずるようにして離れに戻った。


 出迎えに出てきていた蝶子に、父は楪を押し付ける。


「あのバカが祝に祝福を与えた。それに当てられたんだろう。しばらく休めば回復するだろうが、家に戻した方がいいだろう」


 蝶子はそれを聞いても動じることもなく、一礼しただけで楪を連れて行く。

 楪は本当に具合が悪そうで、青白くなった顔は今にも吐きそうに見えた。


 祝は父と一緒に母がいる部屋まで戻った。

 墓堀家の本家と違い、この離れは父が育った場所だけあって閑散としている。

 祖母が暮らしていたころはもっと使用人の数もいたそうだけれど、今は主の父が出て行ってしまっているので、そんなに人手もいらないそうだ。

 父はここへ仕事のたびに戻ってきて泊まっていくけれど、暮らしているわけでないから、必要なのは掃除をする人と料理人、それに彼らをまとめる蝶子だけで事足りる。


 祝がこの家で泊まっている部屋は、祖母が結婚した両親の里帰りのために用意した部屋だった。

 主寝室があり、その続き部屋にもう一つベッドルームがあるので、主寝室を両親が、その隣のベッドルームを祝が使っている。

 シャワールームも付いていて、祝にはもの珍しいものばかりだった。


 家のお風呂はシステムバスだから、もっと天井も低いしこじんまりしてるもんね。


 猫足付きの浅いバスタブに大きな蓮の花を(かたど)ったシャワーヘッドは、この建物にふさわしく、真っ白なタイルに大きな天窓から入ってくる光が反射してとても明るい。


 父は低血圧で朝が弱いから、朝イチでシャワーを浴びるのがマストなのだ。

 祖母はそれも見越してこの部屋を作ったのだろう。


 祝は母にただいまの挨拶をして汗を流すためにシャワーを浴びた。


 昼過ぎに軽めの昼食が用意された。

 食堂で両親と祝が食事をしていると、楪を送り届けた蝶子が入ってきた。

 両親は顔を見合わせると、蝶子にこっちにくるように言う。蝶子は座っている祝の横に立った。


「この数日、祝はびっくりすることばっかりだったと思う」


 父は母と元々話し合っていたのか、ときどき、母の顔を見ながら祝に話を続ける。

 結界に始まって、隠された町や、自分の一族が精霊が住む仙境と呼ばれる場所の鍵であること、跡取り問題でキナ臭い実家など、驚くことしかなかった。


「祝は今まで暮らしていた世界の常識はある程度知っているけれど、こっちの世界の知識はほとんどないよね」

「うん。知らない言葉ばっかりだったもん」

「だよね。だから、きっちり教えておいた方がいいんじゃないかとお母さんとも話し合ったんだ」


 父はそう言って蝶子へ視線を向けた。


「蝶子はお父さんの教育係でもあった人でね。教え方も上手いし、ここで生きていくために祝が必要な知識を授けてくれる。だから、蝶子を祝の教育係に付けようと思うんだ」


 祝はそれを聞いて少し不安になる。


「ここで生きていくためって、もうお家には戻れないの?」

「化け鴉に襲われただろう? これからもしあっちの世界に戻ってあんなのが襲ってきたときに、今の祝なら簡単に捕まってしまう。ここなら人の目もあるし、対処できる人間もいる。それに、ずっといるわけじゃない。祝が自分のことを守れるようになったときは、またあっちへ戻ることだって出来る」


 それを聞いてホッとした。

 だけど、祝がここに残るということは楪を跡取りにしたいと思っている人たちにとって不安の種になるのではないだろうか。

 父にそれを聞いたけれど、「どこにいたって不安になるだろうから、放っておいてかまわない」と言った。


「蝶子さんはそれでいいんですか?」


 厳しい目をしている蝶子に断られたらそれまでだ。

 蝶子はこの家の使用人たちのまとめ役でもある。仕事が少ないわけではないだろう。それに祝の教育係という仕事が増えれば大変ではないのだろうか。


「もちろんでございます。精一杯つとめさせて頂きますわ」


蝶子は吊り上がった目を細めてきれいに笑った。


 祝たちが住むことになった父の生家は、『離れ』と呼ばれている。

 四季の庭の端に本家と繋がる半屋外の廊下が続いていて、そこを通って本家へ向かうのだ。

 

 夏休みの終わり前には前の家からの引っ越しも終わった。

 クラスメイトに挨拶もせず引っ越すことになったことは、少し寂しいような気もしたけれど、これで『死神』の二つ名から解放されると思うと、まあ、いっか、と思ってしまう。


「祝さま、お勉強の時間ですよ」

「はい、すぐに参ります」


 祝は蝶子によって言葉使いから立ち居振る舞いまで、日常的に指摘を受けるようになった。

 それはこっちの世界の一般家庭で育った母も同じように苦労していた。父はやはり腐ってもお坊ちゃまなので、そのへんの所作は矯正されることもないのが羨ましい。


「今日から歴史の教師が来ることになっておりますから、しっかりと学ばれてください」


 蝶子は祝の教育係ではあるけれど、すべてを自分が教えるわけではなく、それぞれの分野の教師を見つけて祝に付けてくれた。

 教師たちは蝶子が選んだだけあって、分かりやすく丁寧に教えてくれる人たちばかりだった。


 歴史の教師は(まだら)先生というおじいちゃんだった。

 真っ白な髪の真ん中の方がちょっと寂しくなっていて、歩くとヨボヨボするのでこっちが心配になる。

 それでも知識量はすごい。祝がどんなことを質問しても答えてくれた。

 実はこの斑先生、父にも教えていたらしい。親子二代に渡ってお世話になっているのだ。


「歴史というのは書き残した人がどちら側にいたかで変わってくるのです。例えば、祝さまがお育ちになった世界で『ヤマタノオロチ』というものがあったのをご存知ですか」

「首が八本あって、お酒の甕に頭を入れて退治される蛇です」


 祝が日本むかしばなしの本で読んでいた知識で答えると、よろしい、と満足そうに斑先生は頷いた。


「そのヤマタノオロチですが、墓堀家の歴史では『蛇』ではなく『川』なのですよ。八という数字は昔、多くの、という意味で使われていました。八つの頭は『たくさんの川」のことを指しております」


 斑先生の話によると、川の支流で毒を流され、川沿いで集落を作っていた豪族たちは死に絶えたらしい。その話を国家平定のために使うなら『ヤマタノオロチ討伐』ということになるそうだ。


 要は、国造りのために豪族を打ち負かして、まとめ上げた豪族の一つの箔付けというヤツなのだろう。


「このように、歴史の中で一つひとつの出来事に裏と表があり、どちらが正しいということでもありません。祝さまは歴史の表面だけをみるのではなく、その裏にあるものにも目を向けることのできる人になられますように」


 斑先生はそう言って授業を終えた。

 先生を玄関まで見送るために祝が向かうと、ちょうど蝶子も玄関へ現れたところだった。

 二人で「ありがとうございました」と頭を下げ、斑先生がヨボヨボと歩くのを見送った。


「祝さま、本家から連絡がありまして明後日、親族の集まる食事会が開かれることになったそうです」

「ずいぶん急なんですね」


 三日ほど前に親戚中に声をかけて集まるのだろうか。


「食事会自体はずいぶん前に決まっていたのですよ。本来であれば瑞祥さまと奥様だけ出席されることになっていたのですが、それぞれの家の子どもたちも呼ぶことになったそうで、祝さまも出席するようにと連絡があったのです」


 蝶子の言葉に祝は「わかりました」と返事をした。

 正直言って、水の精霊王のところに行ったきり楪とは会っていないし、祝福を受けてない楪の前で水の精霊王から祝福を与えられたことが祝の中でも引っかかっていて会いにくかったのだ。


 だけど、いつまでも会わないわけにもいかないし。

 祝は蝶子に見つからないように、はあ、と小さくため息を吐いた。


 


 

いつも読んでくださってありがとうございます。


祝がやっとこの町で暮らすことになりました。


明日も更新します

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