11 水の精霊王の薬
祝たちが『化け鴉』に襲われて丸1日寝てしまったことで、従兄の楪にはずいぶんと心配をさせてしまったようだ。
初対面の後すぐにあんなことになったし、寝てしまう最後に見た楪の顔は真っ青だったから、よほど気にさせてしまったのだろう。
「祝、楪さまが来られてるんだけど」
食堂で父と朝食を食べていた祝はびっくりして、呼びに来た母を見る。
一緒に朝食を食べていた父は驚きはしなかったけれど、コーヒーが入ったカップに口を付けながら、片方の眉を上げていた。
「こんなに早い時間に? まだ朝ご飯食べてるのに」
「何言ってるの、もう9時過ぎじゃない。あなたたち2人がねぼすけなだけでしょ」
祝がトーストを手に持ったまま、迷惑だなあ、という表情を隠さずにぶうぶう言うと、「普通の人はもう起きて動き出している時間です!」と母に怒られた。
「来てしまったものを追い返すのも角が立つな。これを食べたら祝と顔を出すからその辺の部屋にでも放り込んでおけばいい」
と父が興味なさそうにコーヒーを飲み続け、
「その辺の部屋ってどこの部屋よ。まさか玄関に立たせたままにしておけって言うんじゃないでしょうね。あなた、ちょっと大人気ないわよ」
と母が呆れた顔を父に向けた。
父はため息を一つ吐いてコーヒーカップをソーサーに置き、立ち上がって食堂を母と一緒に出ていった。
独り残された祝は、手に持っていたトーストを手早く口の中に押し込む。
喉に引っかかりそうになって、そばに置いてあったオレンジジュースで流し込んだ。
食堂を出て玄関へ向かう廊下の途中で使用人と出会った。
「えっと……」
「祝さま、お食事は終わりましたか?」
名前がわからず、呼びかけるのに迷っていた祝に使用人は「立花です」と名乗った。
彼女はまだ20代前半の若い女性で、紺色のお仕着せに白いエプロン姿で腰を屈め、祝と視線が近づくように話しかける。
それを後ろで見ていたもう一人の年配の女性が立花の後ろに立つと、背中をパシっと叩いた。
「イタッ……蝶子さま! もう、何をなさるんですか」
立花は振り返って蝶子の姿を見つけると、唇を尖らせて拗ねたような声を出す。蝶子はひっつめた白髪交じりの髪で余計に吊り上がった目を細めて、立花をじっと見ていた。
「何をなさるのですか、ではありませんよ。立花、今、祝さまに対してどのように接していましたか?」
「ちゃんと視線が合うようにしましたよ!」
立花は怒られたことが納得いかなかったようで、蝶子に言い返す。蝶子はメガネの奥の目の眼光をキラリとさらに鋭くした。
「腰を折っていただけでしょう。上から覆いかぶさるように祝さまの前に立つものではありませんよ。膝を屈めて自分の頭が祝さまより低い位置に来るようにするのです」
立花は、肩をすくめて「はーい、すみませんでした」と言うと、食堂へ朝食の片づけに向かった。
その場に残された祝は蝶子を見て顔が引き攣る。
蝶子は祖母の世話係として、嫁入りのときに実家から墓堀家へ一緒にやってきた人だそうだ。父のことはそれこそ赤ちゃんのときから知っているから、父にとっても頭の上がらない人だ。
「使用人の躾が出来ておりませんで申し訳もございません。それで、祝さまはどちらへ向かわれるのですか?」
「楪が来ているみたいで、お父さんが先にいってるから追いかけてるの」
蝶子は、ジッと祝を見つめるとおもむろに口を開いた。
「祝さま。『楪さまがお越しになったらしく、お父様が先に行ってくださったのです』、ですね。はい、言い直してください」
祝は引き攣りながら声を出した。
「ゆ、楪さまがおこちに」
「お越しに!」
「楪さまがお越しになったらしく、お、お、おっ、おとうっ」
ダメだ。
お父様なんて言えない。口が動かないんだもん。
結局、蝶子はきちんと言えるようになるまで、何回も祝に言い直しをさせた。
その代りちゃんとできると、「たいへんよくできました」と吊り上がった目を細めて褒めてくれる。それが少しくすぐったい。
祝は蝶子に案内され、玄関の近くにある応接室に入った。
祝が部屋に入ると、楪は座っていたイスから立ち上がり、目の前まで走ってきた。
「もう大丈夫なのか? ケガの具合は?」
楪が祝の手を取り、手のひらを上に向けガーゼの貼ってある箇所を見て眉根を寄せる。
「ごめん、僕が弱いせいで祝を『傷物』にしてしまった」
「大袈裟だよ。こんなの擦り傷だもん。すぐに治るよ」
祝はにっこりと笑いかける。それでも楪は納得がいかないようで、首を横に振った。
「いや、女性を傷を付けるのは最低な行為だそうだ。そういうときは『責任』というやつを取らないといけないらしい」
「責任?」
「うん。だから、祝を『傷物』にした『責任』を取って僕のお嫁さんにしようと思う」
「はあっ!?」
なんでそんな話になるのか、一度、ゆっくり楪の頭をカチ割って覗いてやりたい。祝がどう言っていいのか分からず、何も言えずにいると父が静かに口を開いた。
「楪、こっちへ来て座りなさい」
父が呼びかけに楪は「はい、叔父上」と言って祝の手を離しイスに座りなおした。
「楪、誰に何を言われたか知りたいと思わないけど、祝は『傷物』になっていないし、お前が『責任』を取ることもない。さらにはっきりと言っておくと、お前に娘をくれてやる気はまったくない」
父はニコニコを気味の悪い笑顔を顔に貼り付けている。
これはマズイやつだ。
本気で父が嫌なものを相手にするとき、怖ろしいほどの笑顔になるのだ。
父はしいたけが大嫌いなのだけれど、母を怒らせた次の日の晩御飯は決まってしいたけが入っている。茶碗蒸しの中に大きなしいたけだったり、しいたけの肉詰めだったり、巻き寿司の中身がほぼしいたけということもあった。
そんなとき、父はいつも決まって、気味の悪い満面の笑みでしいたけをじっと見つめて口にいれるのだ。
そのときの顔と今の顔が同じ。
父の大嫌いなしいたけを見つめる顔と、楪を見つめる顔が同じなのだ。
「叔父上、そうなのですか! 僕はてっきり……。水の精霊王が、祝は『傷物』になったからもうお嫁さんになれないのだ、とおっしゃっていたのです。良かった。祝はお嫁さんになれるのですね!」
「……やっぱりアイツか。あの阿呆が」
父がニコニコ顔のままイスから立ち上がり、ポケットに入れていた短剣の石に触れる。
短剣が光に包まれ、短剣の精霊である『藍』が現れた。
「藍、着いてこい」
藍は「はっ」と短い返事をして、イスから立ち上がった父の後ろを歩く。それを止めたのはドアの前に立っていた蝶子だった。
「瑞祥さま、落ち着きなさいませ。水の精霊王のおふざけにいちいちお怒りになっていては血圧が上がって血管が切れてしまいますよ」
目の前に現われた蝶子を見て、父の顔が引き攣る。父もこの人には弱いのだ。
「……別に文句を言いに行くわけじゃない。ちょうど目の色を戻す薬も無くなりそうだからね。アイツのところに取りに行くだけだ」
父がそう言うと、蝶子は「さようでございますか」とニヤリと笑った。
「では、祝さまと楪さまを一緒にお連れなさいませ。祝さまはこちらに初めての里帰りなのですから、精霊王に挨拶をするのは当たり前のことでしょう。それに、瑞祥さまが祝さまを水の精霊王に会わせようとしないから、楪さままで巻き込まれたのではないのですか?」
父の顔が引き攣る。
後ろに立っていた藍がこそっと祝に教えてくれた。
父の目の色が金色から元の黒色に戻す目薬を作っているのは、水の精霊王なのだそうだ。
水に由来するすべてが水の精霊王の支配下にあるのだという。
「ねえ、水の精霊王ってどんな人?」
立ち上がって祝のそばまで来ていた楪に聞いた。
「美しく楽しいお方だ」
楪がそう言うと、聞こえていたのか父が「アイツのどこが楽しいんだっ!」と怒鳴った。
いつも読んでくださってありがとうございます。
水の精霊王に会うところまで書きたかったのですが、長くなってしまったので一度切って明日また更新します。
次こそ、水の精霊王を書きたいと思います。
よろしくお願いします。




