「待っててね」
「落ち着いた?」
「……うん」
陽向はずっと、ただただ嗚咽していた私を、黙って抱きしめ続けてくれた。涙が収まって、呼吸も規則正しくなった頃に、声がかけられる。ありがたくて、同時に少しむずがゆい。
身動ぎすると抱擁が解かれて、名残惜しさがありつつも、ようやく顔を見て話せると前向きに捉えて口を開いた。
「あの、ごめん。みっともないとこ、見せちゃって」
「え、何が?」
「何ってそりゃ……。この歳にもなって泣きわめいてさ。みっともないし、恥ずかしい」
「そんなことないって。泣くのは別に悪いことじゃないよ? ストレス発散にもなるしさ」
そう言っておどけたように笑う陽向が眩しい。何を言っても優しく包み込んでくれる返答をしてくれるのが、どうしようもなく心を締めつける。
「ほら、立って? 平気になったんなら、いつまでもこんなとこにいるもんじゃないよ。部屋入ろ?」
「うん……」
ずっと玄関に二人で座り込んでいて、冷静に考えると変な状況だ。陽向に促されて立ち上がり、手を引かれて部屋の中に入った。
──気軽に手をつながないで欲しい。こっちはそれで、簡単にドキドキしてしまうのだから。
「あっ、そうだ。水飲む?」
「えっ」
「いっぱい水分出しちゃったし、飲んだ方がいいよ、ほら」
私を部屋の中までエスコートした後に、陽向が持っていたカバンからペットボトルを探して差し出してきた。どこまでもお世話されるのも情けなくて、首を横に振る。
「いいよ、そんな。それは陽向のでしょ?」
「……あぁ、そっか。大丈夫だよ、これまだ口つけてないから」
「いやっ、そういうの気にしてるんじゃなくて!」
「えぇ? 前に気にしてたじゃん」
間接キスがどうとかいう話を蒸し返されて、顔が赤くなっていくのを感じる。もともと、とっくに赤くなっているような気もするけれど。
「そういう意味じゃなくてさ、ほらここ、私ん家だし。自分のあるから、っていう」
「ふ~ん? ……だからって、そーんな拒否しなくたっていいのに」
「いやそれは、やっぱ悪いし」
というかむしろ、逆に私がお茶でも出すべきだろう。陽向のペットボトルを押し付けられる前に自分の飲み物を用意するのもありつつ、慌てて冷蔵庫に向かう。
「陽向こそ何か飲む? お茶と……、野菜ジュースくらいしかないけど」
「ん? ああ、お構いなく。もう出なくちゃだし」
「え……」
寂しい。……ではなくて、何か用事があったのに、時間を取らせてしまったのだろうかと改めて罪悪感がわいてくる。そんな私の機微を見抜いたかのように、陽向は笑って言った。
「ごめんね、置いて行っちゃうけど」
「べ、別に謝ることないでしょ」
「え〜? だって、まだいて欲しそうだったから」
「そんなこと……!」
「ないの? それはそれで寂しいなぁ、私が」
「っ……」
そう言われると、否定もしづらい。何も言えずにいると、陽向が続ける。
「まあ、言ってもまだ余裕はあるんだけどさ。やっぱ遅刻はイメージ悪いし、早め早めに行動ってね」
そういうわけだから、じゃあ、と陽向が立ち去りかけて、ハッと呼び止める。
「ま、ちょっ、ちょっと待って!」
「?」
あまり引き留めるわけにもいかないけれど、言うべきことを、ちゃんと言わないといけない。
「あ、のさ。……ありがとう、本当に」
「……ふふっ。そんなの、こちらこそだよ。いつもありがとう」
「私は別に何も──」
「それでも、私にとっては本当に晴香が居てくれて良かったって思ってるの。っていうか、何かしてくれてるつもりもないのに、私が勝手に恩を感じてるんだから、お得じゃない?」
「お得、って……」
そう言われても、身に覚えのないことで感謝されるのは、なんともいたたまれないというか。
「それに私だって、感謝してくれてるけど、やりたいことやりたいようにやってるだけで……。自己満足に巻き込んでるのが、結果的に良い方に転んでるだけだし。実は感謝なんてされちゃいけないのかもね」
「そ、そんなわけ!」
「ね? だからお互い様だよ」
上手く丸め込まれてしまって、閉口せざるを得ない。全く、いつもこうだ。悔しさ混じりに少しふてくされていると、優しく頬を撫でられる。
「……可愛いなぁ、ホント」
「っ」
そんな風に、そんな目で、見つめてこないで欲しい。どうすればいいのか分からなくなってしまう。
「あのさ、もし卒業したら──」
「?」
撫で回す手が止められて、慎重に言葉が紡がれたと思えば、その言葉もまた途中で止められてしまう。不思議に思って、照れて逸らしていた目を向けると、陽向の表情は複雑そうなものに変わっていた。
「……ううん、なんでもない。これからも仲良くしてね、晴香」
「え、うん。それは、こちらこそ?」
詮索してはならない気がして、ただ投げかけられた言葉に頷く。依然として微妙な顔の陽向が、小さく呟いた言葉が、耳に残っている。
「ありがとう。まだ、言えないけど……。いつか、絶対に言うから。待っててね」




