「……なんかさ、壁作ってない?」
「昨日の今日で約束守ってくれるなんて、晴香は流石だな~」
「いやそんな……。別に、普通でしょ」
「照れてる? 可愛いなぁ」
「……」
「ちょっと〜、無視しないでよ」
散歩の翌日。そのときの会話の中で、いつもと違う所で食事をしてみたいと言っていたから、今日はそっちにしようと連絡して、今に至る。
この程度の小さな約束を守ったくらいで、そこまで言われるほどでもないだろう。……この程度の小さな約束でも、楽しみにしていたら、破られたときに胸が痛むだけであって。
「言っても、ちょっとメニュー違うくらいで、あんまり変わんないね」
「まあ、結局学食だから」
「う~ん、晴香は何にする?」
陽向が後ろから私の肩に顎を乗せてメニューを見つつ、耳元で話しかけてきた。身体中に緊張が走って、要らない感情が湧き出してくる。必死に抑えつけて、大して興味もないメニューに目を滑らせた。
「……さあ。別に、なんでもいい」
「つれないなぁ」
私はこれにしよっかな、と言いながら陽向が離れていって、ほっと一息つく。適当に目についたメニューに決めて、私も陽向の後ろに並んだ。
「いただきます」
「いただきま〜す」
空いている端の方の席を確保して、いつものように他愛もない話をしながら昼食をとる。そう、ロケーションが少し違うだけで、いつもとなんら変わりはない。そう思っていたけれど。
「……なんかさ、壁作ってない?」
陽向から見た私は、様子が変だったらしい。訝しげに声をかけられて、内心ドキリとしつつ、平然と首をかしげた。
「なんで? そんなことないと思うけど」
「ウソ。だって今日全然目合わせてくれないし。素っ気ないのはいつものことだけど」
「気のせいじゃない?」
「じゃあ、こっち見てよ」
何もないというなら、今すぐ目を合わせられるだろう、と圧をかけられている。それはその通りだ。
だから、勘ぐられないよう言われた通りにするべきだけれども、今視線を陽向へやってしまえば、全てを見透かされそうな気がして怖かった。結局、目を逸らしたまま、合わせられずにいる。
「……なんか私、悪いことしちゃった?」
「そんなことない」
「じゃあ、なんで?」
「それは……」
嘘は吐きたくないし、余計な罪悪感も感じさせたくはない。でも、正直に言いたくもない。
「とにかく気のせいだから。陽向は何も悪くないし、私の問題」
「なんでそんな……、突き放す言い方しなくても」
「違う、そうじゃなくて──」
頭の中がごちゃごちゃしてきて、涙が込み上げてくる感覚が襲ってくる。今は絶対に泣きたくなくて、慌てて立ち上がった。
「晴香?」
「……ごめん、ごちそうさま」
「晴香!」
逃げるように食器を返して、その場を去る。後ろから、呼び止める声が聞こえたけれど、振り切って足を動かす。
陽向が近づいてくれば近づいてくるほど、その存在が自分の中で大きくなればなるほど、どうにも怖くなって逃げ出してしまう。ステージ上にいる"由唯"は遠くて、眩しくて、手の届かない存在だったからこそ安心して好きでいられた。
でも、同じ大学に通う、同級生の等身大の陽向として現れた彼女には、好きという気持ちにどうしてもブレーキがかかる。そう想ってはいけないし、仮にそんな感情が頭をもたげても、決して表に出してはいけないと無意識に抑制がかかっていた。
これまでファンとして好意なんて何度も伝えているし、隠そうとしても今更だってことは分かっているけれど。だから素っ気ない態度になって、結果的に由唯の気に障るようなことをしてしまっている。決して、わざわざ嫌われたくはないのに。
過去に囚われて、現在の大切なものをないがしろにして、私は一体何をしているのだろう。ずっと目を背け続けていた記憶が、頭の中で駆け巡った。
***
「ハルごめん。今日も無理」
「そっ、か。いや、こっちこそごめん。しつこく誘っちゃって」
「いや、うん。……じゃあ、急いでるから」
さっさと私の元を去る彼女を手を振って見送り、完全に姿が見えなくなってから、こっそりため息をつく。
「……もうダメなのかな」
二人の、二つの高校にとっての最寄駅。下校する生徒たちで賑やかな中、泣かないように気合を入れ直した。
彼女とは小学生のときに仲良くなって、それなりに長い付き合いになってきた。中学生のときには同じ部活で、楽しいことも辛いことも共有し、苦しいときも互いに励まし合うことで乗り越えられた。
特に、私がチームのみんなに迷惑をかけて塞ぎ込んでいたときに救ってくれたことは、大きな恩としてずっと覚えている。それ以降も何かと辛いときには救われていて、その絆は強く深く私の中に刻まれていた。勉強の不得手な彼女とは高校で進路が分かれたけれど、それでもずっと仲良くいられると私は思っていた。
だが、それは幻想に過ぎなかった。いつまでも変わらない、変われない私とは対照的に、彼女は新しいコミュニティへ大きく羽ばたいていく。
次第に付き合いが悪くなっていき、たまに遊んでも前ほど楽しそうには見えない。その後一度街で知らない友人と交流している彼女を見かけたときは、心底楽しそうで、その差にひどくショックを受けたけれど、どこか納得する自分もいた。
趣味も違えば価値観も違う私たちは、ただ同じ学校で長い時間を共にしていたから繋がれていただけ。そのよすがが失われてしまえば縁遠くなってしまうのも自然なことだった。
もうあまり好ましく思われていないと気づいてからは、一緒に出かけようと誘うのを控えていた。自分は一緒にいて幸せだけれど、相手にとっての幸せは別にあるのなら、それを黙って見守るのが正しいのだとひたすらに信じ込んだ。そう自分に言い聞かせる度に涙が溢れて、それで己の中での彼女の存在の大きさを改めて自覚する。今までの友人たちの恋バナではピンと来なかったあれそれが、急に実感されて降りかかってきた。でも、もうとっくにこの恋に勝ち目はないと思い知らされていて、身動きがとれない。そうしてズルズルと未練を引きずったまま、高校生活の終わりが近づいてくる。
志望校が定まり、大学進学を機に上京することが決まって、このタイミングで気持ちにケリをつけるためにも告白しようと思い至った。時間が経つほどに激情は穏やかになって、ずっと楽にはなっていたけれど、ふとしたときに思い起こしては胸が痛むことは治まらなかった。いい加減前を向くためにも、幸い言い逃げできる今、想いを伝えて、フラレて、スッキリしたいと思った。
久々に連絡をとって、少しでも会って話せないかとメッセージを送る。何も一日遊んで連れ回すわけではない。ほんの数十分だけでも時間をくれればよかった。けれど、そんな淡い願いも叶わない。
『ごめん。ハルに構えるほど余裕ない』
心なしか文面からは強い拒絶が感じられて、それが傷を抉ってくる。冷静に中身だけ切り取って考えてみても、会えない、それはそれで一つの答えで、告白せずともフラレているということ。感情はまだまだ暴れていたけれど、頭では今度こそ終わりだと無理矢理想いを断ち切った。
そもそも、彼女が受験を終えているかも分からない現状、己の都合で想いをぶつけようとしているのは自分勝手だったかもしれない。それに、思えば仲良くしていた頃から、ずっと自分が一方的にベタベタとひっついていただけだったし、救われてばかりで何も返せない私なんて、もっと昔から迷惑がられていたのかもしれない。
そう思うと、あらゆる思い出がその仮定に沿った解釈に変わってゆく。あのときも、あのときも。そういえば、あんなことがあったけれど、嫌だったのかな。悲しいな。いや、そんなことより迷惑かけてごめん。いっぱいお世話になったのに、何も返せないで、ごめんなさい。好きでもない奴につきまとわれて、気持ち悪かったよね、ごめんね。楽しかった、嬉しかった思い出すら、思い浮かべることで失った苦しみにつながって。
告白どころか話すことすら許されずに終わったことで、事実以外の想像でも引き起こされた痛みが今もなお心の奥底で燻り続けている。




