「……あのさ、幻滅した?」
いつもと変わらない、ほどほどの賑やかさで収まっている時間帯の食堂。対して、私の心中は先日の就活イベント以来、ざわめきっぱなしだった。
あの日、陽向の姿を認めて衝撃を受けた私と同じく、陽向も私にあの姿を知られて気不味そうな顔をしていたし、やはり完全オフの状態は見られたくはなかったのだろう。かといって、いつも由唯の状態で私の前に現れるのだって、それなりにリスクが大きいと思うけれど。
なんにせよ、彼女の言行不一致には、推しと言えど思うところはあった。
果たして、今日は彼女はどんな姿でやって来るのか、それともそもそも姿を現さないのか。何もかもが不明瞭な中で、私は努めて普段通り、メニューを決め、会計を済ませ、いつもの席に向かう。
それにしても、あの日あの場所で顔を合わせることになったということは、彼女も就活をしているというわけで。既に、仕事はあるはずなのに。
ただの、松川さんといったか、彼女の付き添いだったのか、あるいは外の社会を知るためなのか。──それとも、アイドルは辞めてしまうのか。
ファンをやめている今となっては、本来関係のないことだけれども、それでもその想像が現実ならば、ショックであることは否めない。というか、万一アイドル卒業となるなら、それまでの残り少ないステージを目に焼き付けることはおろか、その日にも私は立ち会えないのだろうか。別にライブに足を運ぶことは禁じられていないけれど、参戦してしまえばファンとしてのムーブをしてしまう。それは彼女だって嫌がるだろうから、私の望むところではない。
そんなことを考えながら椅子をひいて座ると、背後から人の気配がした。目に映ったのは、見慣れた姿。
「や、晴香」
──由唯だ。
やっぱり、私は所詮隙なんて見せられない程度の存在なのだ。対等だなんだと言っておいて、一線引いているのは私だけでなく、由唯の方もではないか。友達だなんて、思い上がりだったのだと知らしめられた気がした。悔しいような、恥ずかしいような。
「この間はビックリしたよ。まさかあんなところで、あんなところっていうのもアレだけど、会うなんてさ」
「……うん、そうだね」
「あー、どうだった? いいとこ見つかった?」
「まぁ、ぼちぼち」
我ながら私の反応が鈍いのはいつものこととして、今日はどうにも由唯の歯切れが悪い。それほど表には出していないつもりだけれど、こちらのモヤモヤが伝わっているのだろうか。でも、私の心情なんて、いつも分かった上で関係なく振る舞っているのに、今回に限って影響があるとも思えなかった。
いくら考えたところで、由唯の考えなんて分かるはずもなく。ただ色々なものが積もり積もっていく中で、迷ったように口を開閉していた由唯が、声を発した。
「……あのさ、幻滅した?」
「は? ……何が?」
全く想像もしていないワードが飛び出してきて、一瞬処理ができずにゲンメツの変換が上手くいかない。ああ、幻滅かと理解してなお、やはり意味が分からないで当惑した。
「いや、あんな気抜いてる感じ……。今みたいなのと違い過ぎて、幻滅したかなって」
「別に幻滅とか、そんなことはありえないけど」
「本当?」
「本当。むしろなんでそんな風に思うの」
由唯がそんなことを気にするなんて、驚きだった。まあ確かに受ける印象は違ったけれど、それで幻滅とはならない。そもそも、顔の良さは魅力の一つではあるとはいえ、私が由唯に惹かれているのは気高さというか、生き様というか、そういったものだ。だから、見た目は関係ない。
「晴香は……、自分で言うのもなんだけど、完璧なアイドル美城由唯が好きなのかと思ってた。だから、あんな姿見たくないかなって」
「それはそうかもしれないけど、あれは陽向だし。あんなことで幻滅はしないよ」
プロ意識が高くて、アイドルとしての自分というものを完璧に演出している美城由唯が好きだというのは、まさにおっしゃる通りだ。でも、それはそれ、これはこれ。陽向にそんなものを求めるのは筋違いだし、求めるつもりもない。
同一人物である以上、恋愛なんてされてしまうのは問題かもしれないけれど、この程度のスイッチのオンオフくらいは許されるべきだろう。
「そっか、なら、良かった……」
私からの評価が変わらないことに、心底安堵している様子の由唯。何をそんなに気にしているのだろう。たかだか元ファンの友人未満のことを。
「じゃあさ、なんで?」
「なんで、って?」
「何か引っかかってそうだから、私に」
「それは……」
すっかり調子を取り戻した由唯が、そんなことを私に問いかけてきた。
正直、言いたくない。ごちゃごちゃと考えていたけれど、まとめてしまえば、あのとき感じた不満は素を私にも見せて欲しいということで。そんな要求、烏滸がましいにも程がある。
「別に、気にしなくていいよ」
「なんでよ。ねえ、ちゃんと言って」
「大したことじゃない」
「じゃあ、言えるじゃん」
「……」
「晴香」
こうなったら、こちらが折れるまで諦めてくれなさそうで、面倒だ。適当に誤魔化すにしろ、いい塩梅のものが思いつかない。
「約束でしょ? ちゃんと正直に教えて、晴香の考えてること」
それを言われてしまえば、もうどうしようもない。黙秘権くらいは認めてもらえないだろうか。少し迷って、一つため息をつく。
「結局さ、そこまで私は信頼されてないんだなって」
「なんで、どういうこと?」
「そういう、完璧な状態しか見せられないわけでしょ、私にはさ」
「それは違うじゃん! 信頼してないとかじゃない。さっきも言ったけど、晴香にはガッカリされたくないから──」
「でも松川さんには、いつもあれなわけでしょ?」
「そりゃ、晴香とあの子じゃ違うし……」
それは、至極当然のことではある。昔馴染の松川さんと、所詮付き合いがそこまで長くはない私。両者には大きな違いがある。そんなこと、分かっているけれど、カチンときてしまった。
「ほら、やっぱり」
「ちがっ、そういう意味じゃない!」
「もういいよ、別にさ」
「勝手に納得して諦めないで、って!」
焦ったように、由唯が声を大きくする。不機嫌で人をコントロールしているような気分になって、自分で自分が心底嫌になる。けれど、どうにも止められない。
「じゃあ、次はあの格好ならいいの?」
「……そういう問題じゃないし。もういいって、気にしなくて。好きにしてよ」
そんな表面だけの話ではない。私が、本当に求めているのは、作られていない、本当の陽向だ。
納得がいかなそうな表情を浮かべ、まだ食い下がってくる由唯をシャットアウトして、食事を取り終えた私は、席を立ったのだった。
食堂を出て、すぐ上にある図書館に向かって一段一段階段を上りながら、大きく息を吐く。
「はぁ……」
先ほど、由唯の言い草にカッとなってしまったから、一度距離を取った方がいいと思って席を立ったけれど、またやらかしてしまった気がする。あんなの、自分勝手な不満だから言いたくないと思っていたのに、いざ口に出してしまうと、どんどん気持ちが膨れ上がってしまって、ダメだった。
後悔するくらいなら、やっぱり口車に乗らずに黙っていれば良かった。でも、それはそれで今とは違う意味での良くない未来が待っていた気もする。どうにも人生というやつは難しい。
とにもかくにも、一旦切り替えよう。そのためにここに来たのだから。今日は何を読もうか、なんて考えつつ、結局興味関心を抱いて読もうと食指が動くのはいつも同じ分野で、まだ読んでいないと思しき一冊を手に取って、空いている席に着いた。
同じような中身の本であっても、文体なのか何なのか、読みやすいものとそうでないもの、頭に入ってくるもの入ってこないものがある。──自分自身の集中力というかコンディションの問題かもしれないけれど。
その点今回適当に選んだ本は、私に相性が良かったようで、大変すらすらと文章を追えていた。そのために割と早い段階で没頭することができて、だから、私は全く気がつかなかったのだ。
「……っ!」
読み終えて顔をあげたとき、初めて陽向の存在に気がついた。息をのむ気配を感じたのか、陽向も目を落としていた本から顔を上げて、視線がかち合う。
図書館だから声を上げることもできず、ただ目を大きく見開いて驚く私に、目の前の陽向はひらひらと手を振っていた。由唯ではなく陽向としての彼女は、どこか表情が乏しく見えて、その無表情さを怒っているのだろうかと勝手に深読みしてしまう。
手にしている読み終えた本を戻すために立ち上がって歩き出すと、当然のように彼女も着いてきた。彼女自身が私を待つ間に読んでいた本は私物だったようで、既に鞄にしまわれている。
記憶を頼りにしつつ、番号も見ながら、もとのあるべき場所に本を戻した瞬間、陽向は私の腕を捕まえて、グイグイと引っ張りながら出口へと向かう。驚きと緊張で、一瞬で心拍数が上がる。とにかく、近い。
「あのっ……!」
「ねえ、今から晴香ん家行っていい?」
外に出て、もう静かにする必要がなくなった途端に、抗議しようとした私を遮って陽向がそんなことを宣う。次から次へと、驚かせないでくれ、と懇願したくなる。
「外じゃ……、人がいるところじゃ、話しづらいから。本当は私の家に呼べたらよかったんだけど、晴香の家の方がいいから」
「……」
「ダメ?」
今の今まで呑気に読書していた癖に、断れる訳もなく。そうでなくても、ここでまた逃げるなんて、絶対にしてはいけないと思った。
「ダメじゃ、ない」
こうして、再び私の家に、陽向が来ることになった。




