「一に推し、二に推し活のためのバイト、三に推し活を続けるための学業&就活」
他界します。今までありがとうございました。
初めてそのフレーズを目にしたとき、とても驚いたのをよく覚えている。ファンをやめることをわざわざそんな強い言葉で表現するなんて、と当初は若干の抵抗感を持ったものだ。思考停止のことを「脳死」と表現することへの違和感と似ていて、いちいち咎めたりはしないけれど、どこか引っかかってしまうような。
けれど今となっては、ファンをやめるとは他界と言えるほどの出来事なのかもしれない、という納得感が得られつつあった。それほどまでに、私にとって由唯から言われた言葉は重くのしかかっていて、死刑宣告に等しかったのだ。
私のような人間は、推しを中心に世界が回っているわけであって。推しのために働き、推しのために体調を整え、そうして会えた推しのおかげで日々を生きていける。逆に言えば、それを取り上げられると全てがどうでもよくなってしまう。腑抜けた別の人間になるようなもので、生きながらにして生まれ変わるということだ。すなわち、これまでの自分は死を迎えるわけである。
そんなことを、私は講義を上の空で受けながら真剣に考えていたのであった。
***
「ファンをやめて欲しい」とお願いされた後、授業を終えてからコッソリと由唯が授業を受けているという大講義室へ向かった。私が居たA棟から大講義室まで、それほど距離があるわけではないけれど、おおよそ同じタイミングで解散となるわけで、着く頃には既に人は疎らになっていて、由唯の姿も見えなかった。
少し視線を彷徨わせて、何人か知らない人と目が合って気まずくなった。これではまるでストーカーだ、と自分を客観視して、そそくさと退散する。
それにしても、由唯がまさか同じ大学だったなんて。今の今まで全く気がつかなかった。あんなオーラを放つ人間がそんな近くに居たとしたら、すぐに耳目を集めてしまいそうだが。それに、大のファンを自称している私が由唯の存在を見過ごしていたなんて、不覚だ。逆に、由唯が一介のファンに過ぎない私に気がつくなんて、やっぱりスゴいと感心してしまう。
「──あ、いた! 晴香、慌てて出てったと思ったら……。今、大講義室の方から来たよね。何か誰かに用事?」
「えっ、や、ちょっとね……」
大学構内のメインストリートに出たところで、入学以来の友人である谷端美紀に捕まった。同じ学部で、学籍番号で並べられたときに席が前後であったことから自然と話すようになり、今までなんとなくよく行動を共にしている。
「な〜んか怪しいなぁ。なんていうか、疚しさを感じるっていうか……。なに、恋人でもできた?」
「いやいや、そんなまさか」
「じゃあ、気になる人とか?」
目を輝かせて無い恋バナを求めて来る美紀に、少し鬱陶しさを覚えながら、簡単にあしらった。
「あのさぁ、美紀が一番よく知ってるでしょ。私の人生における優先順位」
「一に推し、二に推し活のためのバイト、三に推し活を続けるための学業&就活って?」
「そういうこと」
言いながら、推しである由唯を気になる人と捉えれば、強ち美紀の推理(というより願望に近いかもしれない)は間違いではないのかもしれない、と思う。まかり間違っても、恋愛だなんて言えはしないけれど。
「でもさぁ、推し活と恋愛は別でしょ? アイドルの熱狂的なファンで恋人いる人なんて山ほどいるじゃん!」
「そうだね」
「じゃあ晴香も両立できるって!」
余計なお世話だ。なんで美紀のエンタメのために私が恋愛しなきゃいけないのか。そう思ったことをそのまま言ったって良かったけれど、流石に角が立ちそうだと自重して、無難な返答にとどめた。
「私は恋愛とか面倒だし興味ないの。だいたい、人から好かれるような人間じゃないし」
「いやいや、晴香めっちゃ良いやつじゃん! なんなら性格悪くたって晴香くらい可愛い子なら恋人できないのはおかしいくらい!」
「そんなの知らないよ……」
美紀は一緒に過ごしていて楽だし悪い人ではないけれど、恋愛脳過ぎるところが玉に瑕だ。このモードに入ってしまったらもう面倒ったらありゃしない。
「まあ、晴香は由唯ちゃんにぞっこんだからなぁ。あれだ、ガチ恋ってやつ?」
「そういうわけではないから」
「そんな怒んないでよ。頑なだなぁ〜」
ファンはあくまでファンであって、アイドルと個人的に特別な関係になんてなり得ない。そんな勘違いは危険でしかないという思想を持っている私としては、ガチ恋だなんて言われたくもなかった。そういう感情を持っている人がいるのは知っているし、別にその人たちは好きにすればいいとは思うけれど。
実際、感情は理屈で抑制することはできても、湧き上がることそのものを止められるわけではないから、どうしようもないことだってある。だからある意味、ガチ恋勢には同情してしまうし、逆に尊敬するところもある。叶う可能性の低い想いをひたむきに持っていられるなんて、と。
「とにかく、私は恋だとか愛だとか、そういうのに振り回されたくないの。疲れるし」
「ふーん……」
「何その表情」
「……いや、なんていうか、達観してるな、っていうか。あ、これが悟り世代ってやつ?」
「いや、同い年でしょ」
「残念! 私は浪人してるので年上なのだ!」
「だとして大差ないじゃん」
「じゃあなおさら私たちは恋に恋するお年頃でしょうが〜」
「それはもうちょい若い子じゃないの?」
私たちの歳で若い子というのは妙な気もするけれど。自分たちより年下となると、幼いと表現する方がしっくりくる。
「仕方ないじゃん! 私ずっと女子校だったんだもん! 今取り返してんの!」
「はいはい」
「もー。どうでもよさそうに返事しよってからに」
「まあ、実際どうでも……。ってか、私だって共学だったけど経験ないし、そんな焦って取り返そうとしなくても大丈夫でしょ」
「その状況で焦んないのは晴香ぐらいだから! 興味なさすぎ!」
「はいはい……。で、何か用事あったんじゃないの?」
なおも言い募ってきそうな勢いの美紀をいなして、わざわざ私を探し出して声をかけてきた理由を問う。この一瞬で、眉間にしわを寄せて怒りを表明していた表情が、パッと目を見開いてハッとしたものに変わった。感情の豊かさに溢れていて毎度感心してしまう。
「そうそう、そうだったそうだった。正直この話の流れで言いたかないけど……」
「合コンなら行かないよ」
「はや! ちょっ、待って。そこをなんとか!」
「一回は行ったんだから、もう勘弁してよ……」
前振りでだいたい予想はついたので、すぐさまお断りする。断り続けるのも美紀に悪いと思って一度は参加したが、そのときに心底気分が悪くなって以降は二度と参加するまいと心に決めていた。
「ねーえー、あのときもなんだかんだ楽しそうだったじゃーん」
「……そう見えてたならよかったけど。とにかく行かないから。ダダこねてもダメ」
「ちぇー」
参加する以上は楽しい空気を壊さないために、嫌々だろうが態度に出さないよう努めていただけであって。美紀が勘違いするほど演技がうまくいっていたのは結果良かったのか悪かったのか。
唇を尖らせながらも、これ以上は無駄だと悟っている美紀は怒りの矛先を方向転換した。
「毎回こうやってすげなく断られてるのにさ。この努力、晴香のこと誘ってこいって言ってくる奴らちゃんと分かってんのかな」
「それを分かってくれなかったり文句言ってきたりするような奴なら、つるむのやめなよ」
「そんな簡単な話じゃないの。……はーあ、じゃ、また。今度二人で飲み行こね」
「それなら是非」
手を振って、今日のところは解散となる。大講義室をちらっと一瞥してから、帰路につく。雨雲が空を覆い始めているから、さっさと帰るが吉だ。
さて、帰って何をしよう。バイトも休み、ライブもないこんな日は、家事や課題などなどやるべきことは山積みなのになんだか暇な気分になる不思議。
「陽向? どうしたの急にいなくなったと思ったら」
「……や、なんでも」
歩いている途中で推しに似た声が聞こえたような気がするけれど、申し訳ないが聞こえてしまった内容的に違う人だ。反射で振り向きかけた顔を前に向けたまま進む。
「またそのうち、ね」
「え?」
「んーん」
最後に耳に届いた会話は、聞き取れないながらも心なしか私に向けて呟かれた気がして少し後ろ髪を引かれる。けれど、ろくに大学で人間関係を築いていないし、流石に自意識過剰だと降雨から逃げるように先を急いだ。




