「相席、いいですか?」
──絶望の起床。略して、絶起。
前日の宅飲みでは、そこまで深酒をしたわけではなかった。というか、人生においてアルコールを酔うまで摂取したことはないし、するつもりもない。
問題は宅飲みの後だ。由唯、あるいは陽向のせいで、昨夜はすこぶる寝つきが悪かった。結果的に、一限がもう終わろうかという時間になって、目が覚めたわけである。
やってしまった。やってしまったけれど、幸い、出席の有無が単位取得に大きく影響するような講義ではないし、内容はアップロードされている資料を見れば済む。けれど、くだらないことで寝坊をしてしまったことは、反省しなければならない。
──この追い詰められたような感覚、罪悪感は、寝過ごしたことに向けられたものであるべきだ。なのに、この事態の原因をくだらないことと評した自分の思考に、己自身で非難するような気持ちもあった。
これだけ眠ったのだから、少しはスッキリしてくれれば良いものを。気分は晴れるどころか、一層どんよりとしている。メンタルが不調なときは、とにかく食事と睡眠。これに尽きる。とりあえず、睡眠欲は満たされているから、お次は腹を満たすべく冷蔵庫を開く。だが、そこは見事なまでに、もぬけの殻だった。
昨日の急な来客がなければ、買い物に行く予定だったのを思い出す。こんなことなら、面倒がらずに早く補充しておけばよかった。
「……はぁ」
今から買い出しに行って、料理をするのは流石にだるい。二限が終わる前、正午を迎えるより少し早くに学食へ迎えば、昼休みに来るよりは多少は混雑を回避できるはずだ。
どうせ一人でご飯を食べるから、関係ないといえば関係ないのだけれど。さっさと行って、食事を済ませて、混む前に席を空けよう。重い体を起こして、寝間着から着替え、大学に向かった。
「……お願いします」
掲示されている今日のメニューをぼんやり眺めて、適当に選んだものを盆にのせて会計へ。よく一見しただけで会計できるものだなぁ、と学食に来る度思う。
「いただきます」
支払いを済ませて、出入り口から遠く、人通りが多くない端の席を探す。手頃な場所に腰を下ろし、いざ実食、といこうとしたときだった。
「相席、いいですか?」
「は? ……っ!」
何をわけのわからないことを。ヤバい奴に絡まれてしまったか、と恐る恐る声の方へ目をやると、そこにいたのは見知った人間。
「な、にして」
「お邪魔しま〜す」
「ちょ、良いとは言ってないんだけど」
「でもダメとも言われてないし?」
「それは……」
「沈黙は肯定ってね。いただきます」
流れるように席について、昼食に手をつけ始めたのは、陽向だった。
「晴香はハンバーグ? せっかく期間限定メニューやってるのに、それにしなかったんだ」
「別にいいでしょ、なんでも」
「まあ、それもそうだね。定番はハズレなく美味しいし」
「……」
昨日の今日で少し気まずいとはいえ、ちょっと当たりがキツくなってしまっただろうか。代わりにフォローになるのか分からないような、当たり障りのない会話を振る。
「……そういう陽向は、限定メニューとやらにしたの?」
「! そうだよ〜、天津麻婆丼! どう、美味しそうじゃない?」
「へー、確かに。今度家で作ろうかな」
「ちょいちょい、そこは学食じゃないの?」
「麻婆豆腐って、当たり外れ結構ある気がするんだよね」
一体、何の話をしているのだろう。口先だけで話す自分を、少し引いた位置で眺めている自分がいる。
「じゃあ、一口食べてみる?」
「えっ」
「ほら、いけそうなら今度食べてみなよ」
言いながら、天津麻婆丼をすくったレンゲをこちらに差し出してくる。ここで断るのは簡単だけれど、変に意識している自分も気持ち悪くて、迷いが生じる。
向こうは何の躊躇いなく私の口に突っ込もうとしているから、ここで押し問答するよりも受け容れた方が早いとみて、黙って口を開く。
「どう? 美味しい?」
「うん……まあ……」
正直、味はよく分からないけれど、適当に頷いておく。曖昧な相槌だったのに、目の前に座る顔の良い女はニパッと笑った。
「やった、餌付け成功?」
「餌付けって、こんなんで懐かないから」
「え〜? 残念」
もとよりさして期待なんてしていなかったろう。残念そうに見えない笑顔で、あっさりと陽向は食事を再開した。思わずジッと見つめてしまうと、二口目をいく前にバチリと目が合った。
「間接キスとか、気にする?」
「…………今さらでしょ」
もうお互い事が済んだ後なのに、このタイミングで聞いたところで意味がない。時間は不可逆なのだから。むしろ、意識するから言わないで欲しかった。
「ってことは気にするんだ。ごめんね?」
「別にいいよ、謝らないでも。嫌とかじゃないから。そんな潔癖でもないし」
「じゃあ何が気になったの?」
「気になったとかじゃないから」
「嘘。すごい見てたじゃん」
「それは、見てただけ」
「ふ~ん……」
本当に、中学生じゃあるまいし。そんなこと気にするまでもない。ただ、ちょっと頭によぎっただけだ。
「……えっち」
「は!?」
「恥ずかしいじゃん、そんな見つめられたら」
そんなことを、頬を赤らめながら言う。ニヤニヤしながらイジるように言ってくれていたら、まだ言い返しようがあったのに。
「〜〜〜っ、ごちそうさまでした!」
「あっ、ちょっと!」
急いでご飯をかきこんで、立ち上がる。置いて行かないでよ〜、と後ろから抗議の声が聞こえたけれど、無視して食器を返し、食堂をあとにした。
もうすぐ二限も終わる。混む前に席を空けるのが優しさってものだ。決して、逃げたわけではない。
「おっ。あれあれ、欠席して優雅にランチしてたんですか〜?」
だが、出たところで面倒なのに捕まる。おまけに、よく知らない人たち──恐らく同級生だけれど──と一緒だ。
正直、サボりなんて多くの大学生が一度や二度どころではなくやっているし、美紀も軽く言っただけだっただろう。
「……」
「あっ、お~い?」
けれど、そんなことに本気で罪悪感を覚えている私には、その軽口がそこそこに効いた。何の反応もせずに横を通り過ぎる。
沸騰していた頭が一気に冷静になって、寝坊した分際の癖に、何を呑気にやっていたんだろうと自分を責め立てた。元推しの言動に浮かされて、バカみたいだ。
結局、ファンをやめると言ったって、一挙手一投足に振り回されるほどの影響を受けているし、なにもかもが中途半端で、自分が嫌になる。
そんな自己嫌悪で、関係ない美紀にも当たってしまって、本当に最悪だ。なんで私なんかとつるんでいるのか。さっさとこんなやつ、切ってしまえばいいのに。
「晴香!」
後ろから声をかけられるけれど、逃げるように歩くスピードを上げる。
「逃げ足はやっ、待ってよ」
「……」
「どこ行くの?」
「……」
「まあ、どこまででもついてくけど」
「……なんで」
「ん?」
無視し続けるのも限界があって、ついに辛抱たまらず立ち止まって問いかけた。
「なんでついてくるの」
「そりゃあ、追いかけないと。今晴香相手に引いちゃったら、そこで終わりでしょ?」
「終わりでいいじゃん。私なんかにこだわらないで」
もう放っておいて欲しかった。プライベートで仲良くする友達が欲しいのなら、美紀でいいだろう。わざわざ元ファンの私なんていうリスクのある相手を選ぶ必要はない。
「何言ってるの。こだわるでしょ、そりゃ」
「なんで」
さっきから小さな子どものように、何度も問いかけを繰り返している気がする。けれど、陽向は嫌な顔ひとつ見せず、当然のように言い放った。
「晴香じゃなきゃ意味ないし。私が一緒にいたいのは晴香だもん」
「……意味が分からない」
「そう? 結構ストレートに言ったつもりだけど」
「そうじゃなくて」
私にそれほど固執する理由が、よく分からないのだ。
「まあいいじゃん、細かいことはさ」
「……あ」
「三限までまだ時間あるし、おしゃべりしようよ」
陽向が私の手を引いて、どこかへ向かって歩き出す。
こうしている今も、結局私は惚れた弱みで押し切られているわけで、ファンをやめて欲しいという由唯の望みは叶えられていない気がする。なのに、いいのだろうか。
けれど、その葛藤は私をどちらにも動かさず、なされるがまま、ただ陽向の後ろについていくだけだった。




